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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『ジャンヌ・ダルク』その1

ジャンヌ・ダルク (中公文庫)ジャンヌ・ダルク (中公文庫)
(1987/03)
ジュール ミシュレ

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史実とロマン

 私がジャンヌ・ダルクという人物を知ったのは、小学生のころに読んだ絵本だった。しかしなぜ、私はその後もジャンヌへの興味を抱き続けたのだろうか。自分でもよくわからないが、まあ、源義経の伝記を読んですっかり義経好きになってしまうような、そんな「ベタな」小学生だったからだ、ということにしておこう。

 私はフランスに行ったこともないし、フランス人と親しんだこともないので、かの国の国民性については知るよしもないのだが、この本の冒頭あたりを読んでみたならば、日本人の「判官贔屓」に似た、いってみれば「乙女贔屓」みたいなものが、どうもフランス人にはあるらしい印象を受ける。

 少なくとも、この「オルレアンの少女」、羊飼いの娘として生まれ、神に遣わされた「ロレーヌの乙女」として戦い、勝利し、敵の手におち、異端者として火刑台に消えた「救国の聖女」についてのミシュレの記述は、彼女に対する限りない愛情と憐憫と感謝とに充ちている。そしてその愛情は、フランスにおいては決して物珍しいものではないと、信じていいと思う。

 なぜならそれは、フランス人の気質云々の問題ではなく、ジャンヌ自身が、語の最も正確な意味での「国民的アイドル」に、相応しい人物だと思えるからだ。こういう人物が、自国の歴史上にいたならば、その国の人々は多かれ少なかれ愛着を示さずにはいられないだろう。まさに、我が国の義経のようにだ。

 そしてそのジャンヌを、「愛すべき」ものとして描いている、という点において、私はこの「ミシュレのジャンヌ」以上の好著を寡聞にして知らないし、またあり得ようとも思えない。

 ミシュレが『フランス史』を上梓したのは19世紀だ。我々からみれば「昔の人」だが、あるジャンヌの行動について、「そしてその英雄的な狂気は叡智そのものだった」といえるぐらいには、充分歴史家として科学的であり、近代的だ。だから、「フランス万歳」だの「カトリック万歳」だのといった調子は、その文章からは読み取れない。勿論あの『魔女』を著したこの歴史家に、「カトリックの聖女としてのジャンヌ」など描けようはずはないのだが。

 かといって、ただただ「史実」だけを、考古学的、文献学的、実証主義的に冷徹に並べ、「合理的な歴史解釈」をしただけの研究論文のようなものでもない。それはどこまでも19世紀的、ロマン主義的である。

 そう、信仰というものの負の側面である無批判な盲目性とも、実証科学の冷徹さとも、程よく距離がおかれた、19世紀という時代の最もよい部分が、この本にはある。そしてジャンヌ・ダルクという題材は、まさにこうした立ち位置から扱われるべきものだと、私には思われる。

 なぜならジャンヌというあの歴史上の事件は、まさしく人々の「感情」を舞台にして、繰り広げられたものだったからだ。勿論彼女が、本当に神の声を聞き、神の導きに従ってあのような事業をなしとげたと信じるならば、その舞台は「信仰」だといわなければならないが、その考え方は、我々には馴染まない。しかしそれを全て合理的に説明しようという試みもまた、どこか見当違いに思われる。

 序文おける描写。ジャンヌは、無知で善良な羊飼いの娘でしかなかった彼女は、「内心の声と天の声とを混同して」、フランスを救うために生まれ育った村を出た。なぜそんな大それたことをしたのか。彼女は問われ、答えた。「フランス王国にあった『悲惨』です」。天の声は、なるほど思い込みの産物かもしれない。しかしその思い込みを生み出したのは、祖国フランスへの限りない愛情だった。

 さらにミシュレは、「フランスは、ひとりの人格として愛されたその日から、ひとりの人格と」なったという。どういうことかといえば、それまではただ、領主たちが封土として支配する「諸州の寄せ集め」にすぎなかった広大な地方が、ひとりの娘に「祖国フランス」として愛された瞬間に、ひとつの国になったのだ、ということだ。勿論、ジャンヌを「建国の聖女」にまでしてしまうのは少々飛躍が過ぎるというものだが、しかし、実際彼女が成したことを鑑みれば、大げさだとばかりいえない部分もある。

 百年戦争は、フランスとイギリスとの争い、というよりも、ふたつの王家による、ひとつの王座の争奪戦、というべきものだった。そこには決定的に、近代的な意味での「国家」という概念が欠けている。要するに百年戦争は、領主たちが自分の利権のために戦っていた戦争であり、日本でいう戦国時代みたいなものだった訳だ。その戦いの末に、イギリス軍は勝利を重ね、オルレアンを攻囲するに至った。

 ジャンヌがあらわれたのはそんな時だった。彼女は「フランスを」救うために神が自分を遣わしたといった。その彼女の言葉が、王太子派の軍勢にひとつの方向性を与えたことは疑いない。その方向性こそが、つまりは「祖国フランス」だったということだ。勿論王太子やその周辺の貴族たちは、それほど単純ではなかっただろうけれど、民衆や兵士たちは、素直に彼女の指し示す方向へ進路を定めた。

 結果、ジャンヌはオルレアンを解放し、あっというまに王太子をランスに連れて行き、「正統な」フランス王シャルル七世にしてしまった。その結果をみて、ジャンヌの行動は実に合理的だった、とする見方があるが、私はそうは思えない。なにせ、彼女はただの田舎娘なのだ。ただ彼女は、「天の声」に従って、感情的に猪突猛進したのだと思う。

 それがなぜ好結果を生むことになったかといえば、もともと王太子派は、彼女のように、一気に事を進めるべきだったし、その力も潜在的に持っていたからだ、ということができる。ただそれを為すには、あまりにも王太子が優柔不断であり、また、彼の軍勢にまとまりがなさすぎた。そこにジャンヌがあらわれ、「神の声」という否応のない決定力で、方向とまとまりを与えた。合理的判断ではない、感情的な勢いだけが必要だったところに、彼女がそれをもたらしたのだ。

 一刻もはやく、ランスでシャルルを戴冠させること。これほどに、シャルル七世の勝利のために、効果的であり、理にかなったことはなかった。事実それを機に、事態は一気に(無論多少の紆余曲折はあったが)、戦争終結へと動き出した。そしてフランスはひとつの「祖国」としての、より近代的な意味での国家へと至る路を、歩み始めることになるのだ。

 そうした意味では、ひとりの娘の「祖国への愛情」が、フランスをして今あるフランスへの発展の路を歩ませしめたのだ、といい得るだろう。そして私が、「感情を舞台に」という意味を、ご理解いただけただろうか。シャルル王の戴冠後、彼女は敵の手に落ち、処刑される訳だが、それもまた、実に「感情的な」物語だと、私は思う。その辺りを、次回にもう一度考えてみたい。

 ちなみに、ここでの私の論は、全て、ミシュレの著作から「感情的に」抽出したものであり、歴史的事実の検証など一切していないことをお断りしておく。我々は今、「文学作品」を楽しんでいるのです。ずるいですか。私もそう思います。

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