FC2ブログ

乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『イリュージョン』

イリュージョン 悩める救世主の不思議な体験 (集英社文庫)イリュージョン 悩める救世主の不思議な体験 (集英社文庫)
(2009/05/20)
リチャード・バック

商品詳細を見る


自由論

 これは、少し前に『かもめのジョナサン』を読んで以来、ずっと読みたいと思っていた本だ。とても面白い作品だった。読み終えてしまうことが残念に思える本に出会ったのは、本当に久しぶりのことだ。

 本作は、『かもめのジョナサン』から七年後(1977年)に発表されたそうだ。扱われているテーマは、本質的には『ジョナサン』と同じだ、といっていいだろうと思う。そして、本作のドナルド・シモダをジョナサンに、リチャードを例えばフレッチャーに置き換えることは容易だし、そうした見方をするならば、本作と『ジョナサン』との類似性はさらに増す。しかし、作品の雰囲気にはかなりな違いが感じられた。

 『ジョナサン』のもつ、求道的な、ストイックなものが希薄なかわりに、「ファンタジー」らしさが増したのだ、とでもいうべきだろうか。かもめに仮託された物語のほうにシリアスさを、人間を描いたほうに「おとぎ話」を感じられた、というのも面白い話ではあるが。

 物語らしい物語がある訳ではない。遊覧飛行で日銭を稼ぎながら各地を旅する飛行機乗りであるリチャードが、あるとき、同業者で、しかも「元救世主」であるシモダと出会い、一緒に旅を続けるうちに、自らも「救世主」として目覚めていく、というもので、確かにちょっと風変わりな世界観ではあるが、複雑な物語性で読者を引き寄せる、という類いのものではない。

 それどころか、多くの場面は、どこか謎めいた「対話篇」のごときものとして展開され、その対話の内に、シモダがリチャードを啓発していく、という形が、作品の骨格とでもいうべきものを組み上げていく。

 そして結局、この作品が気に入るのか気に入らないのか、を分けるのは、その対話において語られるもの、即ち、この作品中における、「救世主であるということはいかなることか」というものが、気に入るのか否か、というところにかかってくる部分は少なくないと思われるのだが、まあ、いってしまうならば私はそれが「気に入った」、ということだ。

 「世界は私の表象である」という言葉を、私は『ジョナサン』の記事のなかで援用した。ここまで極端な主観主義ではないとしても、世界というものは、我々自身の「解釈」によって、いかようにも変化しうるものだ、という考え方がこの作品にはみられるのだが、つまりは、この考え方が「私好み」なのだ。

 ただ、この辺りのことについては、それこそ「好みの問題」になってしまうし、この作品の魅力は、その「世界観」にばかりあるとも思わないので、もう少し別の側面から、考えてみようと思う。

 飛行場でない、つまり飛行機にとっては本来的でない場所に着陸、もしくは不時着したことによって、主人公が不思議な人物と出会う、という点において、この物語はサン=テグジュペリの『星の王子様』と、ある種の共通点を持つ、といえるのかもしれない。飛行機というものには、何か非日常的なものがある。この乗り物が、こんなにも一般化し、当り前のものとなってしまった現代でさえ、それを感じることはある。

 例えば、私の住む街から北海道までは、道のりにして大体800kmぐらい離れているのだが、私はこれまでに経験した三度の北海道ツーリングにおいては、三度とも、バイクで高速道路を自走して北海道を目指した。津軽海峡以外では、カーフェリーも、飛行機も使わなかった(バイクを空輸することは可能だし、実際そうやって遠方から北海道に来るライダーもいます)。

 すると大体、一晩かけて本州をひたすら北上し、翌日のフェリーで津軽海峡を渡る、というような走行スケジュールとなるのであるが、これによって、800kmという距離がいかなるものなのか、身をもってじっくりと思い知らされることになる訳だ。

 よって私にとって、北海道とは、簡単には行くことのできない遠い遠い場所であり続けていたのであるが、妻と結婚し、新婚旅行を、ということで北海道にいったときには、さすがに飛行機を利用した。するとどうだろう、羽田から旭川まで、まさにひとっ飛びであった。東京の雑踏の中を、旅行荷物を抱えてふらふらしていた我々が、二時間後には、もう「遠い遠い北海道」の山中で、車を走らせていた。

 それはもう、頭では理解できても、感覚的にはまるきり受け入れられない出来事のように感じられた。現実の世界、日常の世界から、あっという間に憧れの世界、非日常の世界に放り込まれたような感覚である。ふたつの世界をつなぎ、かつ隔てているはずの、あの800kmが消えてなくなったのだ。まさに、「イリュージョン」であった。

 本来「地を這うもの」にすぎない我々が、空を飛ぶ、ということには、なんだか得体の知れない側面があるのだな、と私はそのとき思った。だとしたら、もしその飛行機が、本来着陸すべき飛行場なる場所に降りずに、広大な牧草地のまっただなかだとか、はてしない砂漠のど真ん中だとかに降りてしまったとき、なにやら予想もつかない、おかしな世界に迷い込んでしまったとしても、何の不思議もないと、そんな気がしないだろうか。まるで、タイムトンネルの真ん中で、ドラえもんのタイムマシンから飛び降りてしまったときのように、だ。

 さらにまた、こうして「場所ならぬ場所」に、気分次第に着陸してしまう、ということには、「自由」というものを感じることができる、という側面もあるだろう。つまり、定められた発着所や、定められた航空路に縛られず、自分の意志で着陸場所や航路を決める、という意味においてである。そしてあるいは、この側面からこそ、この作品の本質に近づけるのではないか、と私は思う。

 工具を空中に浮かせたり、水面を歩き、地面に潜ったりということができるドナルド・シモダだが、そうした「奇跡」には象徴的なものであること以上の意味は持たせるべきではないだろう。もしくは、そうしたことは、「自由」というものが持つ様々な意味の、ある限定された一部であるにすぎない、と考えるべきだろう。

 この作品はファンタジーだ。だから、壁を抜けたり、給油なしで飛行機を飛ばせたりということも起こるだろう。だがここに語られる「自由」というものそのものには、幻想も「奇跡」もないのだと私は思う。

 なるほど、シモダの語る「自由」論は、極論といえるものかもしれない。だが大切なのは、彼が「人は自由であれ」とは言わず、「人は自由である」と言う、ということだ。彼は、自由であるためにあれをしろ、これをしろとはいわない。人は何をするのも自由だという。これほどに、全的に自由を認めてしまうことには、ある危険が伴わざるを得ない。つまり、他者の自由が、自分の自由を侵害する可能性がある、という危険だ。そして実際、その危険は彼の身において現実のものとなってしまう。

 しかし彼は、そうした危険をも承知の上で、ひとが「利己的」であることを肯定し、それは善いことだという。つまり彼は、そのひとの利己心というもの、ほとんど本能的といっていい利己的意思とでもいったものの内にこそ、「善意思」というものがあるのだと信じているように私には思われた。そして、ひとは自分が自由であることを知れば知るほどに、その行動は結果的に他者をも利するものになっていくのだ、と。

 この作品の内に、リチャード・バックが語るところの自由論に、賛同するにせよしないにせよ、自由であるということはいかなることなのか、少なくともそれを考えるきっかけには充分なる作品だとはいえるだろう。そして、これほどまでにひとを「隷属的なもの」として扱おうとするこの現代社会にあって、自由について考えることは大きな意味のあることだろう。

 自由論、といえば、J・S・ミルのものが有名だが、この作品には、ミルの著作のような論理性は勿論ない。しかしこの小さな物語において語られる自由論は、決して浅はかでも短絡的でもない。平易な言葉で、ささやかな物語で、著者は、哲学論文の大著にも劣らない自由論を展開している。文学的表現、というものがいかなるものであり得るのか、この作品は、それを思い出させてもくれている気がする。

 そして私は、飛行機で旅をするふたりの姿に、またしても旅ごころをくすぐられ、遠方への憧れに胸を締めつけられた。ドナルドとリチャードの「自由」を目の当たりにして、それに憧れるということ。結局それが、この作品の楽しみ方として最も「正しい」のかもしれない。


関連記事
『かもめのジョナサン』 「かもめらしさ」とは何かを問う


スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

おおっ、ミルを対比に使われるとは!!
J.S.ミルはアダム・スミスとともに、経済学というより
倫理学や、道徳哲学に近い著作が多いので的確な比較だと思います。つい、本文を読み、考え耽ってしまいました。

また、静麿さんの洞察には驚きました。
ジャンルを問わず、博学ですね。特に、18段目の内容は、現代における(新古典派)経済学の危惧される欠点でもあります。

リチャードバックも含め、文学作品をしっかり読まないと、私の文章と同じで深みが出ないですね。

kappamama | URL | 2012-02-04(Sat)21:16 [編集]


読み終えてしまうことが残念に思える本

素敵な本の紹介の言葉ですね。

素晴らしい本との出会いは至福の時です。

タッキー@自己啓発&感動大好き | URL | 2012-02-04(Sat)23:43 [編集]


Re: kappamamaさん

kappamamaさん、こんにちは。

お褒めのお言葉の数々、ありがとうございます。
ミルの自由論について、読んだのはもうずっと前のことでして、そのときからしてじっくり理解できたとは言い難く、よってその内容について現在ちゃんと掴めているのかといえば、そんなことはあり得べくもないのですが、本当に、自由についてよく考えてみるべきなのは、家族をもち、社会的な束縛だとか規制だとかに否応なく従わざるを得ない部分が多くなった、今現在なのではないのかと、そんなことをこの読書で感じました。

なので、またミルは読み返したいなあと思っています。
読み返したい本ばかりで参ってしまいますが(笑)、人生の折り返し地点を通過する、ということとは、そういうことなのかな、などど考えるこの頃です。

コメント、ありがとうございました。

静磨 | URL | 2012-02-05(Sun)09:44 [編集]


Re: タッキー@自己啓発&感動大好きさん

タッキー@自己啓発&感動大好きさん、はじめまして。

本当に、良い本というものと出会ったときには、ものすごく得をした気分になれますね。
世に書籍はあふれていますが、自分に合った本との出会いは、実に稀なものですから。

どこかの誰かの、そんな出会いのお手伝いができたならと、こんなブログなどちまちまやっています。
私自身、たくさんの方々に、その出会いの機会を提供していただいていますので。
またお越し下さい。
コメント、ありがとうございました。

静磨 | URL | 2012-02-05(Sun)09:49 [編集]


こんにちは!

今回の記事にはすごく驚きました!
なぜかというと、この「自由」の内容はシュタイナーが呪文のようにめんどくさい言葉を連ねて言っている「自由」の諸概念とまったく同じだからですi-190
「自由である」=「利己的意思の内にある真・善・美の自覚」=「救世主」ということでi-88
シュタイナーの場合は、これを「科学的」に「事実」として解説しているつもりで、そこから社会に向けて具体的なたくさんの取り組みを提案しています
でもその出発点として自分が「自由」であることを把握しないとはじまらないということで、彼は自分の著書の中でまず読んでもらいたい本を「自由の哲学」だとしている
でもこの本はすごく読みづらいi-201
かわりに「イリュージョン」を読めば事足りそう・・というか、この静磨さんの記事を読みさえすればOK!って思いましたi-179


hasutama | URL | 2012-02-08(Wed)10:09 [編集]


Re:hasutamaさん

hasutamaさん、こんにちは。

へえ、そうなんですか!
シュタイナーの自由論が、そういうものだったとは面白いですね。

同じ目的でも、様々なアプローチがあるのだ、ということを知らされることは良くあることですが、私はやはり、文学的な方法が好きです。
ただ、文学ですと、逆に「言葉が足りない」ということが多いですね。
シュタイナーのように、多くの言葉を費やして、ひとつひとつ丁寧に説いてくれたほうがありがたい、という場合も多くあります。
hasutamaさんはきっと、シュタイナーの著作に触れることで、こういう問題をご自身でお考えになった経験がおありだからこそ、私の拙い文章からでも、文意を汲み取ることがおできになったのでしょう。
私にとっては、実にありがたい読者さま、ということです(笑)

それにしても・・・なんだかシュタイナーを読んでみたくなっちゃいますね。
彼のものは、ゲーテについての論文を、大昔に読んだことがあるぐらいですが。
機会があったら、挑戦してみようと思います。

コメント、ありがとうございました。

静磨 | URL | 2012-02-08(Wed)22:40 [編集]


静磨さん

どうもこんにちわ。
初めてコメント致します。

『イリュージョン』、自分のバイブルです。

最近この本の色々な方の書評を読みましたが、静磨さんの物が一番秀逸でした。

この本に出会ったのは中学生のころでした。

「世界は私の表象である」

それ以来、人生を生きていく上で、自分の根本的な考え方になっています。

同じ様な考えを持っている人が、同じく世界にいる事がとっても嬉しいです。

sixpence2046 | URL | 2012-06-05(Tue)18:56 [編集]


Re:sixpence2046 さん

sixpence2046 さん、はじめまして。

私も、せめて十代の内に、この本は読んでおきたかったですね。
自分というものを形成していく過程にあるときに出会うことによって、そのひとの人生を確かに豊かにしてくれる本というものは、確かにあります。
sixpence2046さんにとっては、まさにこの本がそうだった、という訳ですね。羨ましい限りです。
ただ、私もまた別の道を通って、この本に語られるような価値観と近いものを抱くようになりました。
全く別の道が、同じひとつの答えを導き出すということ、これまた面白いものです。

コメントありがとうございました。またお気軽にどうぞ。

静磨 | URL | 2012-06-06(Wed)21:15 [編集]


静磨さん

またまたイリュージョンのコメントでごめんなさい。

静磨さんのレビューを読んで、手元に旧訳がないので、オークションで昔の単行本を手に入れました。
やっぱり最初に読んだバージョンで、ドンとリチャードの会話のテンポも良いし、軽快ですっと入ってきます。

静磨さんは新訳の方で読まれたのでしょうか?
僕は新訳は文体が硬質な印象だというだけで、村上龍訳がどれだけ意訳しちゃっているかとかまで読み込めてなくて。
もしお暇が出来た暁に気がむかれたら新・旧の静磨さんのレビューを読んでみたいところです。

ともあれ、お忙しいようですが、お仕事頑張れるところ見つかって良かったですね!
僕も頑張ろ!

sixpence2046 | URL | 2012-06-27(Wed)22:18 [編集]


Re:sixpence2046 さん

sixpence2046 さん、こんにちは。
お返事遅れまして申し訳ございません。

私は最近になって本屋さんで新品を買ってきたので、新訳のほうを読んだのだと思います。
旧訳、読んでみたいですね。あと、実は今、私は村上春樹の作品を順々に読んでいるところでもあるので、彼の翻訳作品にも興味があるのです。村上訳『イリュージョン』も、一度読みたいですね。

訳者の「解釈」が入り込んでしまうのは、翻訳文学の宿命ともいうべきものですが、その「解釈」の入り込み具合、とでもいったものを比較してみるのは、翻訳文学独特の楽しみ方だといえそうですね。

コメント、ありがとうございました。

静磨 | URL | 2012-06-30(Sat)09:32 [編集]


静磨さん

ごめんなさい、イリュージョンは村上“龍”の方です・・・。念のため・・・。

村上春樹ですと、『羊をめぐる冒険』が個人的には一番好きですね。

翻訳だと、レイモンド・カーヴァーでしょうか。『カーヴァーズ・ダズン』はとても気に入っています。

sixpence2046 | URL | 2012-06-30(Sat)10:26 [編集]


Re: sixpence2049さん

sixpence2049さん
お返事、またしても遅れて申し訳ありません。

ああ~、「龍」の方でしたか。これはオハズカシイ。
春樹のものは、私はあんまりまだ沢山読んだ訳ではないのですが、私も今のところ、『羊をめぐる冒険』が一番ですね。
両「村上氏」共、翻訳もけっこうやってるようですね。読みたいとは思いつつも・・・ああ、時間がほしい(笑)

度々のコメント、本当にありがとうございます。

静磨 | URL | 2012-07-05(Thu)18:16 [編集]