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一八五七年、パリ  #3

一八五七年、パリ  #3


 かほどまでに、詩を感受する力を失ってしまった、そのパリの内にあって、詩人としてさらに生きようというのならば、全く別の手段を考えなければならないのではないかと、彼は思った。詩を忘れ去った、どこまでも散文的なパリは、最早散文をしか理解しないとあれば、詩人もまた、「歌う」ことをやめ、「語る」べきなのだろうか。象徴によって顕わされたものを理解できない者達には、最早直接的な表現で語る他はないのであろうか。

 彼は、ある友のことを想った。大洋の彼方、あの「最も詩人が生きにくい国」で、どこまでも詩人として生きた、あの友、言葉をかわすことはおろか、会ったことすらない、しかし、毎日カフェで顔を合わせる連中などよりはよほど自分に近く、親わしく感じられる、あの詩人のことを(*1)。かの詩人は、散文小説で多くを語った。その小説は、散文でありながら詩情に充たされていた。散文が高度に詩的であることの可能性を、それは証明してあまりあるものだった。それは確かに、現代的方法というもののひとつの形だった。
(*1)エドガー・アラン・ポーのこと

 ならばその方法を、彼も択べばよかったのだろうか。だが、それはできなかった。彼も試してはみた。しかし彼はあまりにも詩人でありすぎた。彼の貧しい手文庫には、書きかけのまま反故になった「散文小説」がつまっていた。彼は、小説家であるためにはあまりにも辛抱がなさすぎた。着想から脱稿まで、小説というものはあまりにも手間が掛かるものだった。場面の説明だとか、単に話をつなげるだけのために、小説というものはあまりにも多くの文章を必要とした。それでいて、本当に伝えたいこと、表現し、訴えたいことは、ほんの数行なのだ。研ぎ澄まされ、一切の無駄を切り落とし、たったひとことで多くを語ることのできる詩という手段に慣れた彼には、散文を書き連ねていくという作業は、まるで職人仕事のように感じられた。

 詩においては、着想とはすなわち詩の完成だった。それは同時に得られるものだった。何もかもは最初の瞬間に、素材も主題も、形式も韻律も、全てを備えて頭のなかにたち顕れる、それが詩というものだった。だが散文小説は違った。幾日も幾週間も、ときには数箇月、数年に渡って、ひとつの着想、ひとつの主題にしがみつき、一行一行を積み上げていかなければ、決して完成されることのないのが、小説というものだった。それは、彼には創作であるよりは「生活」であるように感じられた。忍耐と継続、頑なさとひたむきさに充ちた、あの生活者達の毎日のように思われた。それは、つまりは彼には不可能なことだったのだ。それができるのならば、小説を書き上げる程の辛抱強さが彼にあったならば、彼もこんなに生きることに苦しみはしなかっただろう。それができないのが、すなわちピエール・デュファイスという人間なのだった。

 では、どうしたらいいのだろうか。彼にはもう、いかなる表現の手段も残されていないのだろうか。それとも、どれだけパリが彼を断罪し、嘲笑し、黙殺しようとかまわず、彼はただこれまで通り詩作を続けるべきなのだろうか。しかしそもそも詩というものが、意思伝達の手段としての言葉というものの芸術的形態である以上、相手に伝わらなければ、それは詩としてはある決定的な欠点をもった、不完全なものなのではないか。彼はまず何をおいても彼自身のために詩作した。だが単にそれだけのための詩作であったなら、それこそ形式も韻律も必要なく、それどころかフランス語である必要すらないのではないか。誰かに何かを伝えるための詩ではないのだとして、ただ自己満足の殻に閉じこもり、自分勝手な言葉の羅列を楽しむだけだったならば。

 それは、詩の在り方としては見当はずれもいいところだった。特に、第一級の詩人たることを自負する彼にとっては。それは田舎の学生の詩の真似事とは違うのだ。その詩は、人々の間にあって力ある何かでなくてはならず、さらには歴史的に意義のある何かでなくてはならなかった。そうあってこその詩だった。そうあってこそ、彼の人生は理由と意味をもち得た。そのつもりで彼は詩を書いた。しかしその目的は果たされなかった。ならば、やはり何かもっと別の手段を探すべきなのだろう。だが一体どこをどう探せばよいというのだろうか。大体、詩という、太古より連綿と続く、きっと人類の歴史そのものと同じくらいに旧い歴史をもつ芸術形式にかわり得る、どんな方法があるというのだろうか。絶望が彼を捕らえた。詩は彼の翼だった。厳格な詩の形式のなかにあってこそ、彼の想いは真に自由に飛びまわることができた。その詩の翼を捨て、一体どんな翼を新調すればよいというのだろうか。

 酔いは、もう不快という形でしか残ってはいなかった。頭痛が、こめかみに絶え間なく脈打つ。胸元に、蛇を飲んだような吐き気。力を奪われた関節。それらの不快感に、抗う気力すら彼にはなかった。ぐったりと、その両手は投げ出された。左手の指先が何かに触れた。暗闇のなか、眼を閉じていた彼だったが、それが何であるのか、すぐにわかった。

 それは、一冊の風変わりな本だった。その頁をうめる文字の連なりを、一体何と呼ぶべきなのだろうか。そこには律動も韻律もなかった(*2)。だからそれは詩と呼ぶべきではなかった。だがそれらの短文、ほんの数行の、ただ印象や思いつきなどを、何の前置きもなく、何の結論もなく連ねていくだけの短文、絵画的、スケッチ風であると同時に幻想に充ちて流れていくその短文は、散文でありながら見事なまでに「詩的」に響いた。韻文においては、言葉のもつ「音」が響き合うように、ここでは言葉のもつ「意味」が響き合い、ひとつの統一された形をなしていた。
(*2)『パリの憂愁』序文において、アロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』に言い及んで曰く、「律動(リトム)もなく韻律(リーム)もなくて充分に音楽的であり」云々。

 この、誰にも知られぬままに世を去った詩人、きっと、不遇と困窮のなかで、作品の発表の場すらろくろく与えられずに世を去っていった多くの才能ある者達の内のひとりであろう詩人が残した、誰にも知られないささやかな小冊子を、いつ、どこで手に入れたのか、もう彼は憶えていなかったが、どんなに金に困ったときにも、これを古本屋に売る気にはなれなかった。他の、世にひろく認められた傑作といえる本を、一杯の安酒のために何の躊躇もなく売り飛ばしてきた彼がだ。この本に指先が触れたとき、彼の身の内に何かがはしり抜けた。眉間に皺を寄せ、かたく閉じられていた彼の両目が、かっと見開かれた。その視界にひろがるのはただ暗闇ばかりだったが、その眼は力に、輝きに充ちていた。

 「詩的散文」。これだった。この散文的な、あまりに散文的なパリに相応しい文学的表現、絶えず移ろいゆくこの大都会を瞬時に捉え、留めおくという詩的目的を、象徴言語を解さない読者に直接的に訴えかけることで見事に果たすことのできる文学的手段とは、まさにこれに他ならなかった。

 なぜ今まで、これに気づかなかったのか、彼は自分でも不思議に思った。多くを語らず、しかし全てを語り尽くすような択び抜かれた言葉だけを、決定的に、散文で、しかも詩的な響きを失うことなく語るこの方法。つまり、まだ「その時」ではなかった、ということなのだろう。彼には、苦しむ必要があったのだ。自在に韻を操る詩人である彼が、この現代のパリの内に生きるということが、一体どういうことなのか、実際にその詩を世に問うことで、身をもって実感する必要があったのだ。そこで与えられた苦しみを苦しんだ後でなければ、この新しい方法も、単にもの珍しいやり方、という以上のものではあり得なかったはずだ。例えそれを試してみたとしても、生み出されるものは、気まぐれな習作以上の何かではなかっただろう。苦しみは無駄ではなかった。それは「理由」のある苦しみだったのだ。

 最早準備は整っていた。彼はその詩人としてのもてる才能の全てを賭けて、この新しい方法に取り組むだろう。それでこそ、そこに価値のある何かが生まれるはずなのだ。今やこの方法は、真に「彼の方法」だといえた。だからこそ、今、彼はこの方法に思い至り、それを択んだのだった。

 この素晴らしい思いつきに、彼は満足した。身体に熱をもった血が、詩人としての血が、勢いよくめぐるのを感じた。そしてまた、これには「背後の眼」も満足したようだった。ひとしきりの興奮が去った後、「眼」は彼に眠りを許した。詩人にとって、思いつく、ということは、ほとんど完成したことを意味する。彼は久し振りに、心地よく眠りにおちた。

(完  2006年8月5日)


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 終わりに

 長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。私の文章は、ひと段落がやけに長いので、読みづらかったことと想像します。ご容赦ください。

 ボードレール論、のごときものとして書いたと、最初にお断りさせていただいたが、こんな「小説形式」では、文意が掴みにくかったかも知れない。しかし、どうも私にはいまのところ、他の形ではあらわしようがないように思え、こうして恥は恥のままさらしてしまうことにした。

 そして最後にもうひとつお断りさせていただくことがあるとするならば、一方においてこれはあくまでも「小説」であること、即ち、フィクションである、ということだ。私は、全く根拠のないままにこれを書いた、などとまではいわないが、全てにおいて文献学的根拠に基づいたものだけを書いた、ともいわない。これはあくまでも、私の想像が生んだ物語であり、ボードレールの伝記ではなく、我がピエール・デュファイスの物語である。

 なんだか、逃げ道を作っているみたいに聞こえるかもしれないが、ただ、ここに書かれていることが、「事実」であると皆様に誤解されることがなければと思い、書き添えさせていただいたまでである。ようするに、ここに書かれているのは、あくまでも私の「ボードレール観」であり、「芸術観」である、ということだ。具体的には、なぜボードレールは「散文詩」を書いたのか、その辺りのことに絡めて、彼の所謂「現代性(モデルニテ)」というものを、ちょっと考えてみた、というところだ。

 しかしまあ、とにかく、こんなものでも、もし皆様の暇つぶしのお役に立てたのならば幸せです。最後にもういちど。お付き合いいただき、ありがとうございました(ご感想など、聞かせていただければもっと幸せです)。次回からは、いつも通りのぐだぐだブログに戻る予定です。どうか、よろしくお願いいたします。


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コメント


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とてもおもしろかった!

正直、詩はそれほど読んだことがなく、まったくの素人ですが、芸術のひとつの表現方法として大雑把に解釈し、拝見させていただきました。

芸術とは、時代に根づく「いま」なのでしょう。
その「いま」を苦しみの果てに切り取ったものだけが、後世にもその時代の「現代性」を失うことなく生き残っていく。
そんな気がしました。

自己流の解釈ですが……とてもいいものを読ませていただきました。

櫻井ネロ | URL | 2012-01-30(Mon)22:32 [編集]


Re: 櫻井ネロさん

こちらにもコメント入れていただき、ありがとうございます。
いや、お恥ずかしいモノをおみせいたしました(笑)

ボードレールの「現代性」については、私も実はわかったようなわからないような、ずっと手探りな感じでして、だからこそ、きちんと「論理的に」書くことができずに、こんな中途半端な形になってしまった、というところです。
今年は今のところ、この問題にもう少し真面目に取り組もうか、などと思っておりますので(挫折するかもしれませんが)、その手探りっぷりに、よかったら、お付き合いください。
私の面白い右往左往ぶりがみられるかもしれません(笑)

それでは。

静磨 | URL | 2012-01-30(Mon)23:39 [編集]