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旅のおもいで・場所 その3

オロロンライン

 北海道の日本海側。札幌市の北に位置する石狩市から発して、北へ伸びる国号231号線、そして更に留萌市からは国道232号線として北上、また更に、天塩町から道道106号線として稚内市にまで至る、この海岸線をはしる一連の道路が、通称オロロンラインと呼ばれる道だ。

 ざっと日本地図を眺めてみていただいたなら、本州の真ん中あたりから出発し、東京を通過して東北自動車道に乗り、そこからひたすら北へ北へとオートバイを走らせ、津軽海峡を越えてようやく北海道は函館に上陸した21歳の若者が、吸い寄せられるようにこの道を目指したことの理由を、あるいはご理解いただけるのではないだろうか。

 もう、とにかく、彼はひたすら北を目指して走ってきたのである。ここまで来たのならと、さらに「最北端」を目指すことは、人の心理としてごく自然なことではないだろうか。そして函館からその「最北端」を目指そうというとき、地図上をまっすぐに北に伸びていくこのオロロンラインに眼を奪われること、これもまた、ごく自然なことだというものだ。

 1993年の夏、初めて北海道にやってきた私が、最初に目指し、走り、そして稚内に、宗谷岬にたどり着いたこのオロロンライン。そのせいか、私にとってこの道は、「北を目指す旅」である北海道ツーリングを象徴するような道であり、そしてまた、多くの思い出に彩られた道なのだ。今回はその、この道にまつわる思い出などを、幾つか書いてみようと思う。

 私が摩周湖へ行くと必ず晴れる、というジンクスについては以前書かせていただいたが、このオロロンラインについてはというと、私としてはどうも「悪天候」のイメージが強い。単に「天気が悪い」というにとどまらず、「荒れた天気」になることが多かった。最初に走ったときからして、もう雨が降ったりやんだりという天気だったのだが、さらに印象深いのは、やはりその最初の北海道ツーリングも終わりに近づいた頃のことだ。

 八月も終わろうかという頃、そのツーリングを一緒に走ってきた友人Yは、「もう金が無い」ということで、帰路に着いた。私はもうしばらく北海道にいたかったので、小樽で彼と別れた。しかし私もそろそろお金が乏しくなってはきていたので、もう一度最北端を目指し、それから帰ろう、ということにして、またしてもオロロンラインを辿ったのだった。

 ただ、心配なことがあった。台風が近づいていたのだった。北海道にまでたどり着く台風は珍しいが、その年は何といっても「戦後最悪の冷夏」といわれたほどの異常気象であり、七月にはあの奥尻島を津波が襲った北海道南西沖地震もあったりで、もう、本当に何が起きてもおかしくないような夏だったのだ。

 で、その台風の進路だが、ちょうど日本海を北海道の海岸線に沿って稚内市に向かうという、まさにオロロンラインをなぞるような具合だった。台風がまっすぐ北上するのならば、東の方へひょいとよけてしまえばよいのだが、そうもいかない事情があった。

 私は稚内で、Yとは別の友人と待ち合わせをしてしまったのだ。自転車で旅をする、小学校以来の友人Hとであった。携帯電話などない当時のこと、予定の変更などそうそう簡単にできるものではなかった。まあしかし、台風より早く稚内に着いてしまえば何とかなるだろうと、とにかく私はオロロンラインを北へ向かった。

 どんなに足の速い台風でも、まさかバイクより速いということはない。しかし台風はノンストップで走り続けるのに対し、こちらはどうしても止まらずにはいられない。いろいろと事情が重なって小樽を出発するのが遅れたために、その日は留萌市までしか行けなかった。仕方なくその留萌で、無料のライダーハウス(ミツバチハウス、だったかな? そんな感じの名前だった)で一泊してしまった。

 私の計算では、それでもまだ台風には追いつかれないはずであり、実際確かにその通りだったのだが、しかし台風というものは、暴風域に入る前から雨が降り出すものだ。台風の先駆けとして、南からせりあがる雨雲。私の北上は、その雨雲との文字通りの追いかけっことなってしまった。

 とにかく、止まって休憩などしていると、雨が追いついてきて降り始めるのだ。誰だって好き好んで雨の中をバイクで走りたいとは思わない。慌てて走り出し、雨から逃げる。留萌から稚内まで約200km。一気に走れない距離ではなかった。しかしあの「記録的冷夏」の夏も、もう八月下旬となり、しかも天気も悪いとなると、大げさでなくほとんど静岡の真冬に近いような寒さで、ちょっと走ると身体が凍えて硬直するほどであり、休憩を挟まないわけにはいかなかった。

 しかし、あるコンビニに逃げ込んで肉まんを買おうとしたときには、よほど私が寒そうにしていたのだろう、レジ係のお姉さんが、時間切れで売れなくなったソーセージのでっかいのを焼いたヤツを、こっそりわけてくれたのはありがたかった。もう表面がパリパリになってしまっていたが、お姉さんの気持ちだけで抜群に美味しく感じた。ちょっとキレイな若いお姉さんだったからなおさらだ。

 そんな調子で稚内まで走り、無事友人Hとも合流し、共に屋根の下で台風を迎えることができた。しかし、こんなに北まではるばるやってきた台風は、やはりもうその勢力をかなり弱めており、実はそんなにビクビクするほどものでもなかったのだが、本当の「悪天候」は、その台風の後に本番を迎えたのだった。

 空は晴れていた。しかし、Hと別れ、故郷を目指して果てしない南下を始めた私を襲ったのは、海からの強烈な横風だった。本当に、バイクをちょっと海側に傾けていなければ、みるみる道路外へ向かって走っていってしまうぐらいの酷い風だった。50ccのスクーターではない。1100cc、乾燥重量220kgの大型バイクが、真っ直ぐ走れないのである。

 オロロンライン北端部の道道106号は、何もないサロベツ原野(北部日本海岸に沿って南北に長く広がる湿原)の海岸線を、ガードレールもろくにないまっすぐな道がひたすら続くことで有名な道で、「ツーリングライダーの憧れ」とも称されているのだが、それはつまり風を遮ってくれるものが何もないことをも意味する訳で、このときは本当に、バイクで走ることどころか、立ちションすることにさえ難儀した。

 で、留萌を過ぎた辺りでようやく風はおさまり、ほっと息をついてトイレを借りようとコンビニに立ち寄ったのだが、そこで自分の姿を鏡映しにみて愕然とした。私はそのとき、黒のレザージャケットを着ていたのだが、そのジャケットが見事に真っ白だったのである。ナンジャこりゃと良くみれば、なんと一面に塩がのっていた。風に飛ばされた海水がずっと私に降りかかり、風がやんだところで水分が走行風によって乾かされ、後に塩が残ったと、そういうことだった。つまり、「走る塩田」状態だった訳だ。おかげでバイクも塩まみれになり、帰宅後、錆に悩まされることとなった。

 この、留萌以北のオロロンラインでは、それ以後にも風に悩まされたことがある。2005年に泊まった、初山別村というところの「みさき台公園」というキャンプ場は、海に迫った崖の上のようなところにキャンプサイトがあり、とても見晴らしがよいのが特徴で、夕刻、日本海に沈む壮大な夕日をゆっくりと堪能し、静かな夜を迎えたのだが、キャンプ場が寝静まった真夜中に、事態は一変した。

 只ならぬ物音に目を覚ました私は、まず、自分のテントが異様に変形していることに驚かされた。強風がテントのポールを押し曲げていることは、すぐに知れた。恐る恐る外をのぞけば、風を大きく受ける大型のファミリー用のテントが数張り、風に飛ばされて恐慌状態の真っ只中だった。これは助けねばと外に出ようとしたところで、私は思いとどまった。もし自分が外に出れば、私の体重で何とか地面に固定されている自分のテントが、あっという間に飛ばされることは確実であることに気づいたのだ。

 強風のなか、慌てふためく人たちには申し訳ないが、自分のテントを守ることに精一杯の私は、そのままテントを押さえながら、便所にも行けずに耐えるしかなかった。夜が明け、風の収まったキャンプ場の惨状については、もうここではいわないことにしよう。

 ただ、好天に恵まれたときのオロロンラインの景色については、もう、何処をとってもはずれなし、の感があり、本当に素晴らしいものがある。私にとって特に印象深いのは、やはり2005年の、これまた8月末のことだ。

 道北の東海岸、つまりオホーツク海岸にある、クッチャロ湖という湖のほとりにあるキャンプ場で、私はひどい雨の朝を迎え、憂鬱な気分で出発したのだったが、そこから真っ直ぐに西へ、つまり日本海側へ向かって道道84号を雨中走っていると、日本海まで数km、豊富という街のあたりで、急に雨が上り、前方に青空が見えた。

 その空の青がとても美しく眼に染み入った。予感に胸を膨らませながら、私はサロベツ原野を横切り、オロロンラインに出た。そしてそこに広がった景色に、思わずバイクを止めた。砂浜におりる。粉雪のようにきめ細かな砂の上に立った私の眼の前には、青い景色が広がった。

 雲ひとつない色の濃い青空を限るものは何もなく、そしてその下にひろがる、穏やかに凪いだ日本海もまた、空の青に深海の群青までもを加えたような青。さらには、アクセントを与える点景のような利尻山が、その美しい山体をはっきりとみせていた。水平線を限るものは他に何もなく、そしてその水平線は、南北両方で、そのまま地平線につながり、そしてその地平線のかなたに、オロロンラインの両端がのびていた。

 あの景色を思い出すたびに、私は、オロロンラインを走りたいという欲求にさいなまれる。私の北海道ツーリングを象徴するあの道こそは、いつまでも、私の「彼方への憧れ」を象徴する道であり続けるのだろう。

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コメント


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オロロンライン!

静磨さん、こんにちは。

「オロロンライン」は、以前ぼくのブログにコメントくださったときに、その名がありましたね。相当に思い入れが強い場所なのだろうと想像します。

実際、オロロンラインは、多くのオートバイ乗りたちが愛してやまない道ですね。

ぼくもヒッチハイクでちょっとはその道をなぞったのですが(天塩町~留萌市)、やはり自分の運転でいくのとは印象がちがうのでしょう。「すげえいい景色だ」とは思いましたが、旅の一番の記憶にはなりません。

それが旅なのだと思います。

静磨さんのオロロンラインの記事、「ああ、これが旅なんだよなあ」と灌漑深く読ませていただきました。静磨さんがその道を愛してやまないのは、単純に景色がいいからという理由ではないことがよくわかります。困難をまじえた様々な出来事があってこそ、その「場所」が、深く心に刻まれるんですね。

やっぱり旅はいいですね。

「旅のおもいで・場所」 次回も期待しています。

道下 森 | URL | 2011-11-15(Tue)19:13 [編集]


道下さん

道下さん、こんにちは。

「困難をまじえた様々な出来事」っていうのは、本当にそうですね。
同じ景色、同じ場所であっても、それをどう感受するかによって、後々に残る印象も変ってきます。
結局、他の誰かではなく、自分がどう感じたのか、が全てであり、私は、こうしたある意味での「自分勝手さ」に、旅というものの魅力を感じてもいます。

 しかしまあ、その困難に直面している最中には、「いい思い出」のことなんか考えてはいられないものなのですが(笑)

コメントありがとうございました。
「カヌーの旅」のほうも、がんばってください。楽しみにしていますので。

静磨 | URL | 2011-11-15(Tue)23:55 [編集]