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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『ノルウェイの森』

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

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賛否両論

 私は今、自分に幾つかの課題を与え、その上で本を読んでいる。それは、

1、読んだならちゃんとその感想をブログに書くこと。つまり、読み飛ばしておしまいにせず、しっかりと読むこと。

2、大量の「積ん読」本を、少しずつ減らしていくこと。つまり、手を出しづらい古典も面倒くさそうな哲学書や論説もちゃんと読むこと。

3、英語圏の文学を読むこと。つまり、学生時代の英語嫌いの名残なのか何なのかわからないが、この英米文学を避けて通る私のおかしな悪習を根絶すること。

4、新しいものを読むこと。つまり、新刊書へのショウペンハウア的偏見を捨てて、自分で読み、自分で判断することを学ぶこと。

 で、今回は即ち、「4」の課題をこなすことになる訳だ(『ノルウェイの森』を新しい、とすることには異論もありそうですが)。これについては少し前にも書かせていただいたが、とにかく私は現代作家というものをほとんど知らないので、この村上春樹、という私でも知っているビックネームに頼ろう、というところだ。

 私にとって、村上春樹のものはこれで2作品目だ。『海辺のカフカ』が私の『初ハルキ』であり、それは残念ながら私には良いものとは思われなかった。で、今回はこの『ノルウェイの森』だ。

 『海辺のカフカ』もそうだったが、この本も、私は、普段の遅読っぷりからは考えられないような早さで読み終えてしまった。『海辺のカフカ』のときは、物語の面白さにひきずられて、一気に読んでしまったのだと、自分らしからぬ速読を自己分析してみたのだが、今回、またしても、というところで、どうやらその理由は、単に物語への興味だけではなさそうなことに気付いた。その辺りのことも含めて、この『ノルウェイの森』という作品について考えてみようと思う。

 とはいいつつ、このベストセラー作品について、今更何かをいう、というのは、どうも蛇足も極まれりの感が否めない。アマゾンあたりのレビューなどをのぞいてみれば、もう読みきれないほどにたくさんの人たちがいろいろ意見を寄せているし、それをちょっと拾い読みしただけでも、なかなか興味深いことを書いているひとが少なからずいる。なので、ここで私が面白かっただのつまらなかっただのいってみても、誰も最早興味など抱いては下さらないのではないだろうか。

 ただ、これはどうも村上春樹の作品全般にいえることらしいのだが、この『ノルウェイの森』も、これは傑作だ、という意見と、これは駄作だ、という意見とに、極端に大きくわかれることに世間の評価の特徴があるらしいことがわかった。そこで私は、なぜこんなに評価がまっぷたつに割れてしまうのか、そのことを考えることによって、この作品を私なりに評価してみたいと思う。

 皆それぞれ、その好みや考え方に従って、いろいろと意見を述べておられるようだが、肯定派も否定派も、読みにくさ、というものは感じないひとが多いようだ。皆、一気に通読している。それを、「物語にひきこまれた」からだというひともいれば、「中身が薄くてさっと読めてしまう」というひともいる。

 私もまた、前述のようにその例にもれず一気に読み通してしまったのだが、私はその理由を、この作品の「最も成功している部分」に見出せるのではないか、と思う。そしてその「最も成功している部分」こそは、評価が賛否の両極端に割れることの理由でもあるのではないか、とも思うのだ。

 小説には、その物語が演じられる舞台であるところの、世界観というものが必要だ。この世界観の構築こそ、私は、この作品の「最も成功している部分」だと感じた。特徴的で、しかも最初から最後まで一貫して、たゆまなく物語を支配する世界観の構築に、作者は見事に成功している。

 これは、とても大切なことだと私は思う。特に、この『ノルウェイの森』のような、物語の展開の面白さだとか、あっと驚く結末で読者を驚かせるような類いのものではない作品においては、だ。

 その世界観がしっかりと構築されていることによって、物語は多くを語り得る。特に哲学的、形而上学的な、あるいは信仰告白的なものを語らずとも、世界観そのものが、ある価値観をしっかりと保持し、揺るがないのならば、そこに読者は著者の主張を容易に読み取ることができる。説教くさい、理屈っぽい文章を連ねる必要はなく、その説教や理屈に支配された物語世界を、その具体例として構築し、読者の前に展開してみせれば、それが全てを雄弁に語ってくれる、という訳だ。

 例えば、キリスト教信仰が当り前である、という世界観に基づいた物語のなかでは、わざわざ「私はイエス・キリストを信じます」などと作中人物に語らせる必要はない、ということだ。

 この点における成功が、読者に、この物語世界へ入り込むことを容易にさせているのだと、私は思う。そして、すんなりと一気に読み通せる理由は、まさにここにあるのではないだろうか。勿論、文章の平易さが、それを大きく助けていることもあるのだけれど、読者は、作者が与えてくれた安定した視点から、絶対の座標軸のうえに物語世界を眺め、そしてそれをゆるがない価値観で評価される様を、迷うことなくなぞっていくことができる。すなわちそれが、この作品の「読みやすさ」なのではないのだろうか。

 しかし反面、その「世界観の構築」の完成度が高ければ高いほど、その世界観を支配する価値基準が必然的に一面的になっていくのも確かなことだろう。そしてこの一面性が、つまりは評価の賛否両論化につながっているのだと、私は思う。

 先ほどの例でいうならば、「キリスト教的価値観」にあまりにも強く支配された物語は、キリスト教徒にしか支持されなくなる、ということだ。

 例が宗教のことなので少々誤解されそうなのが恐いが、ようするに、この物語の登場する人物たちを支配する価値観や、そこから生まれる空気感のようなものと、同じかそれに近いような傾向をもったひとにはこの物語は受け入れられ、そうでないひとには拒否される、ということだ。

 そして受け入れるひとにとっては、もう全てが「自分好み」の色で染められているように感じられ、部分的な欠点がみられたとしてもそれは「アバタもエクボ」式に全肯定され、拒絶するひとにとっては逆に、何もかもは気に入らない空気感のなかに包まれているようで、局所的には実は自分好みのものがあってもそれは「袈裟まで憎い」式に全否定されると、そういうことになり、結果、「0」か「100」かの賛否両論まっぷたつの評価を生むに至る、というのが私の考えだが、どうだろうか。

 繰り返すが、これはこの村上春樹という作家が、ひとつの物語世界というものを、高度に構築し得ているからこそのことだ。よって、「村上春樹の作品」としては、これはかなり成功した作品だといえるのではないだろうか。大ベストセラーではある。しかし実は「読者を選ぶ」本だ、ともいうことができるのかもしれない。

 で、私自身はどうかというと、ただひとつ、その「高度に構築された物語世界」を、大きく揺るがしかねない部分への評価によって、それは説明できそうだ。

 物語の終盤、「永沢さん」が、主人公にこんなことをいう。

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。」

 この言葉ほど、この物語において異質で、しかも力強い言葉はないと思った。そうだ、このほとんどツァラツストラ的なひとことは、この物語の作中人物たちが織りなす全てに対立し、それを「鉄槌をもって」打ち壊す。

 「私はこんなに不幸なの」といって自殺していく繊細な彼ら彼女らに向かって、決然といい放たれたこの言葉によって、私は、この永沢なる人物が、最も大きな苦悩を抱え、しかもその苦悩を苦悩として苦しむことのできる人物なのだと思われた。彼の強さはきっとそこにあるのであり、東大の法学部からすんなりと外務省へいくずば抜けた頭脳や、あっさりと女の子たちをものにする容姿や話術が、彼の能力の本質ではないのだろう。

 そして私の考えでは、もしこの作中人物たちが実在するとしたならば、本当に心を病み、自殺する可能性を秘めているのは、ただひとりこの永沢さんだけだろう。彼だけが、「深淵は常に渇く」ことを知っているからだ。他の、自分の弱さを他人に話すことのできる「楽天家」たちは、きっと自殺などせず、「自分に同情」しながら生きていくだろう。彼らは結局、自分の周囲に小世界を築き上げ、そこに安住する術を知っているからだ。

 「自分に同情するな」。この物語世界においては、ほとんど「破滅の呪文」に近いようなこのひとことは、「物語世界の構築」という観点からは、作者の痛恨のミスだということもできるのかもしれないが、しかし私にとっては「逆説的に」この作品の価値を高めてくれた。これがなかったならば、多分私は、残念ながらもっと厳しい評価を下していたことだろう。

 しかし他方において、村上春樹の作品を、もう少し読んでみようか、という気にさせられたのも事実なのだ。理由は自分でもはっきりわからないが、多分、やはりこの作家が独自の物語世界をもっていることに、魅力を感じているのだと思う。初期の作品を好む声が、あちこちで聞かれる。読んでみようかと思っている。

 そしてまた、主人公と永沢さんが絶賛する『グレート・ギャツビー』、これも読んだことがないので、読もうと思う。つまり、私の課題の「3」だ。実は、もう買ってきた。早速、読もう(村上訳ではないけれど)。

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コメント


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静麿さまの村上春樹批評、実はこっそり楽しみに待っていたのですが。
これは、期待を遥か上回って読み応え有りました!
思わず、「ノルウェイの森」を読み返したくなったほどです。

私は、この作品は何しろ、登場人物たちと同じ年代の頃に読んだので。
単純に、好きでした。物語として。
ああ、でも、おっしゃられる評価が割れる理由には、賛成です。

近頃読んだインタビュー集で、本作について著者が興味深いことを語っていました。
「登場人物6人のうち3人死ぬことは決めていて、ただ誰かわからなかった」と。
これは、静麿さまのいう、自ら命を絶つ必然があったのは永沢さんだけ、という印象を裏打ちしているかもしれませんね。

「グレートギャッツビィ」は私には、実は良さがわかりません(笑)
どうも、男性向けの物語のような気がします。
男のロマンが・・・繊細さが・・・理解できないらしいのです。
静麿さまがどんな感想を抱かれるのか、楽しみにしています。
翻訳は村上春樹の訳でない方がいい・・・と個人的には感じています。

長々すみません。
勝手な希望としては、もし次に村上春樹を読むのならば、
「羊をめぐる冒険」か「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を
読んで頂きたいなぁ・・・。いえ、強要はいたしません。願望です(笑)

この記事を読ませて頂いたおかげで、私が取り組もうとしている、
村上春樹の変貌を巡る考察が、書けそうな気がしてきました。
時間はかかりそうですが・・・頑張ってみます。

彩月氷香 | URL | 2011-07-05(Tue)23:03 [編集]


Re: タイトルなし

彩月さん、コメントありがとうございます。

私も、もっと若い頃に読みたかったです。
こういう「青春小説」は、本来ならば、
若者が「単純」に物語を楽しむべきものなのでしょう。
わけ知り顔で「解釈」だの「深読み」だの「批評」だのをしたがる中年男。
若い頃には、そんな奴が一番嫌いだったのですが(笑)

「村上春樹の変貌を巡る考察」、これは楽しみです。
村上作品の、あれはダメ、これは良い、
という意見はあちこちでみることができますが、
彩月さんのようによく読み込んでおられる方が、
村上春樹という作家の作品全体をどうみるのか、
うん、これは楽しみです。

それから、えーと「羊をめぐる冒険」と、
「世界の終わりと・・・」ですね。
なにしろ私はよく知らないので、勿論、
大いに参考にさせていただきます。

さて、「グレート・ギャツビー」に
とりかかりますか(笑)



静磨 | URL | 2011-07-06(Wed)22:44 [編集]