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身延街道・甲駿国境から身延 その3


 身延街道・甲駿国境から身延
 その3 西行峠





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 今回のツーリングのコース。
 
 万沢宿を抜けて、旧身延街道はしばらく国道52号線と重なって北上する。




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 そして1.5kmほどいったところでみえてくるのが、この「切久保洞門」である。この辺り、富士川西岸に沿って伸びている52号線であるから、川岸までせまる山塊のために所々こうして洞門を築いて道路を守る必要がある訳だ。しかし往時は無論こんな建造物を築くことはできなかったので、川沿いに道を通せるほどの平地がなかったならば山を越えて道を通す他はなかった。

 この切久保洞門のある辺りでも例外ではなく、旧街道は本来この辺りから川沿いを離れて山中に入り、峠を目指す形で伸びていた。残念ながら、その旧街道は今は廃れてしまっているが、しかし、この峠道にまつわる伝説は、それを由来とする地名とともに今も残っている。洞門の手前、案内看板に従って左折し、「西行公園」を目指す。




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 その曲がり角に大きな釜。




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 登り坂を数百m進むと、




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 左手に駐車場がある。ここを、右手のガードレールのほうへ鋭角的に右折。




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 荒れているが、舗装自体はそんなに傷んではいない道を、さらに数百m。




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 すると遊具が現れる。ここが、「西行公園」である。現地の解説文を転載。


  「風になびく富士の煙の空に消えて 
  ゆくへも知らぬわが思ひかな」

 この歌は西行法師が文治ニ年(1186年、平家が壇ノ浦の戦いに敗れた翌年)68才の時、京から東国行脚の折駿河よりこの地に入り、噴煙がたなびいている富士山を見て詠んだもので西行晩年の傑作であります。
 (中略)
 この西行法師ゆかりの西行峠は、かつての甲駿往還であり身延道であります。文永11年(1274年)5月に日蓮上人が身延山へ入山する時この峠を越えており、万治2年(1659年)8月に草深元治上人が西行峠の素晴らしさを漢詩に残しています。戦国時代に甲州武田軍の駿河攻めや武田勝頼追討の徳川軍もこの峠を越えています。
 (後略)



 西行がこの峠を訪れた際の伝承は様々残っているようだ。例えば、歌については無論自信のある西行が、この辺りまで旅をしてきたところで、行き会った子供に山で何をしてきたのか聞くと、その子供は「冬青く 夏枯れ草を刈りにいく」と歌で応えたので、子供までがこんなに見事な歌をたしなむことを知って、驚き畏れて道を引き返した、といった類いのものである。しかし残念ながら、西行が甲州に来た、という史料的な確証はないようだ。

 こうした民間伝承の類いが、いかに「あてにならないもの」であるかのひとつの例証として、この西行峠の事例を眺めるのも無論不当とはいえないけれども、ここで少し視点を変えて、かのジャンバティスタ・ヴィーコの言葉に耳を傾けてみるのもちょっと面白いだろう。


 イアンプリコスが『エジプト人の秘密』のなかで、エジプト人は人間の文明生活に必要なもしくは有用な発見はすべてヘルメス・トリスメギストゥスの功に帰した、というのはまことに至言である。
 (中略)
 太古の人間たちは、事物について知的な概念をつくりうる能力がなかったので、自然に詩的象徴人物を考えだすことが必要になったことを示す。詩的象徴人物というのは、空想的類概念もしくは空想的普遍者ともいうべきもので、すべての特殊な種に属するものを、一定のモデルとか理想的肖像のような、それぞれの似通った類型に還元したものである。
  
(『新しい学』第一巻第二部四二節 ジャンバティスタ・ヴィーコ著 責任編集者・清水幾太郎  中央公論社 世界の名著33)


 無論西行は実在の人物であり、古代人の空想の産物でも、神話的的文化英雄でもない。だがそれでも、こうしたことは人びとの言い伝えの中で行われるのである。例えば伊豆半島の由来譚がどれもこれも頼朝に関連づけられるように、ここでは歌に関わるある伝承が、有名な歌人に結びつけられた。それはきっと我々が思うよりも普遍的な現象なのであり、深く研究したなら、もしかしたら予想外の面白いことがみつかるのかもしれない。だが、ここであまりこんなことに深入りしてもいられないので、公園を歩いてみよう。




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 石碑群。




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 石祠に、石仏が二体。




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 こちらにも。




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 建物が。なんの建物だろうか。




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 その東側の脇に、「甲駿往還」(身延街道の別名)の旧道入り口があった。ちょっと歩いてみようか、と思ったが、




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 この有様をみて、やめちゃった(笑) 道は下っているようである。ではこの辺りが「西行峠」だろうか。




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 建物西側にも、登っていく道があった。




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 その先には、広場があり、




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 『風になびく——」の西行の歌碑がある。




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 そこからの景色。高架道路は、最近新東名高速道路の清水ジャンクションからこの辺りまで開通したばかりの、中部横断道路。いわば「最新の身延街道」である。




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 では、先へ進もう。国道52号線に戻り、北へ。この「切久保洞門」に入る。



 
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 私、実はこの洞門が大好きなのである。こうした大きな建築物の、合理性に富んだ人工美というものは、場合によっては自然美をも越え得ると、私は思っている。




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 洞門の先、道は富沢の街へと向かっていく。というところで、次回に続く。



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