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下田街道 三島大社から韮山


 下田街道 三島大社から韮山
 その2 二日町から原木





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 今回のコース(三島大社から韮山)。




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 「間眠神社」からまた旧下田街道である県道141号線にもどり、南をめざす。前方にみえる高架道路は国道1号線である。それをくぐって、




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 ここで踏切を斜めに渡る。線路は、「伊豆箱根鉄駿豆線」。




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 踏切から500mぐらいのところに、「手無地蔵」。このお地蔵さんの由来も、手持ちの資料たる『下田街道』の記述と、現地の解説文とにちょっと差異がある。『下田街道』によると、ある若侍が深夜にこの辺りを通りかかったところ、鬼女に髪を引っぱられたのでその左手を斬り落としたが、夜が明けてみればそこには左手のない石地蔵が立っていた、という。現地の解説文では、この辺りにあった石地蔵が、よく化けては人を驚かしており、ある日、いつものように化けて通りかかった若侍の髪を引っぱったところ、若侍に左手を斬られた、という。そしてその若侍は源頼朝である、という言い伝えもあるらしい。伝承というものは少しづつ変化していくものだということがわかる。頼朝の件はいかにも「後付け」っぽいが(笑)。




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 『手無地蔵』の脇に石碑群。だいたい江戸時代のもののようだ。




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 さらに旧街道を南下する。




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 この「中島南」の交差点を右折すると、




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 すぐにこの御殿川が流れているのだが、




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 その川の手前にあるが「左内神社」。そして、




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 川の対岸にあるのがこの「右内神社」。かつてはこのふたつの神社の間を、街道が通っていたようで、三島大社の門の守護神、とされていた。




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 「右内神社」の境内には、この「力石」がある。




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 街道に戻り、先に進むと「大場橋」で大場川を渡る。すると県道はぐっとカーブして東のほうへ向かってしまうが、




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 その先の「大場」の交差点を右折し、ここで県道141号線とはお別れして、




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 さらに南へ。




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 「妙蔵寺」というお寺がある。このあたりの地名を「安久」というが、ここがすなわち、前回に紹介した、交代で頼朝のかわりに三島大社にお参りをした在庁法奉納弊使が住んでいたあたり、ということになる。「在庁道」はここから三島大社まで通じていたというわけだ。




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 やがて伊豆縦貫道の高架がみえてくるので、それをくぐって




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 さらに南へ。




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 すると道は国道136号に合流するが、




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 その先で狩野川の支流、「らいこう川」を渡るのだが、その橋、「蛇ケ橋」にも昔話がある。頼朝が三島大社にお参りに向かう途上、大雨で川が増水して渡れず困っていたところ、大蛇があらわれて橋となり、頼朝は川を渡ることができたという。もう、なんでもかんでも頼朝である。




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 その橋のかたわらに。幕末頃のものらしい。




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 さらに国道を南へ。




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 すると、伊豆の国市に入るが、その市境の看板の下にある脇道を左折して寄り道。




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 踏切。




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 踏切からは、伊豆箱根鉄道駿豆線の原木駅がみえる。原木(ばらき)は、『下田街道』によると、伊豆の東西の両海岸へと至る道が分岐する陸路の交通の要衝で、かつ、狩野川の物資輸送の拠点でもあり、江戸時代には三島・大仁間の人馬継立を行う等、賑わったという。




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 線路の東側には、気持ちのいい田園風景が広がる。平安末期から鎌倉初期の文献には、「牛鍬大路」という道の名がみられ、それはこの辺りを東西に通っていたらしい。

 治承四年(1180年)八月十七日、伊豆に流されていた源頼朝は、以仁王の令旨に応える形で挙兵、まずは伊豆の目代であった山木判官兼隆(前回寄った「妻塚観音堂」のところでも出てきた、あの大庭景親に頼朝殺害を命じたとされる人物)を襲撃することとなった。当初北条時政は、この山木兼隆に娘の政子を嫁がせようと送り出したが、すでに頼朝と恋仲にあった政子は逃げ、頼朝の元へと走ってしまった、という話もあるが、これはどうやら後世の作り話のようである。頼朝挙兵の最初のターゲットが兼隆であったために、それをよりドラマチックに演出するためのフィクション、といったところか。

 このときの、頼朝が兼隆の元へと向かう様子を、『吾妻鏡』が描いている。簡単にいうと、頼朝の判断で、広い牛鍬大路と閑路である蛭島通とのふたつの道の内、牛鍬大路を通って行くことにした、というものである。その正確な道筋は最早わからなくなってしまっているようだが、先程の原木駅の西側と、この水田の東側とに、「牛鍬」という古い地名が残っているそうで、この辺りを牛鍬大路が通っていたと考えられる、ということのようだ。

 俗に「源平合戦」と呼ばれる「治承・寿永の乱」。その一方の主役たる頼朝の第一歩が、この辺りから踏み出されたと思うと、感慨深いものがある……といったところで、次回に続く。




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