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小川城


 小川城




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 焼津神社から、南西に直線で1kmぐらい。




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 住宅街のただ中に、「小川城址」はある。ご覧の通り、その遺構は残されておらず、ただ、それを示すこの石碑があるばかりである。




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 解説文。




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 発掘の様子や、出土品の写真なども掲載される。出土品は、焼津市歴史民族資料館に展示・保管されているそう。では、解説文の一部を転載。


 焼津市西小川3~6丁目付近は、古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきました。「法永長者」とは、今川氏歴代の年代記「今川記」に出てくる「駿州山西の小河の法永」のことで、今川義忠(1436~1476)が急死し、今川氏の相続争いが生じた時に、伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)を介し、義忠の正妻北川殿と義忠との子竜王丸(後の今川氏親・1473~1526)を保護した人物です。その後法永の子孫(長谷川氏)は今川氏の家臣となり、今川氏滅亡後は徳川氏に仕えたと伝えられています。


 遺構の発掘調査は昭和54年より行われ、長辺150m、短辺90mの長方形を、幅15m前後の堀や、幅8mの土塁がぐるりと取り囲む全体の形や、その内部が溝や塀などで区画分けされていた様子などが明らかとなった。

 前回までの記事でみてきたように、戦国期にはすでに「旧東海道」であった日本坂峠越えの街道であるが、駿河の中部と西部とを区切る山地を越える数少ないルートとしてその重要性を失っていなかったことは、東海道が宇津ノ谷峠へと移動した後にも変わりはなかった。よってこの小川城は、峠の西側を押さえる重要な拠点として機能していたと思われる。

 築城時期は、十五世紀の前半と考えられているようである。立地的には完全な平地であり、城、というよりは、城館、と呼ぶのがぴったりくるだろうか。主の長谷川氏は、駿河今川氏の重臣であり、側近くにある小川湊の代官を務めていたという。

 上掲の現地解説文にある「法永長者」の後裔である長谷川元長は、今川義元が桶狭間に討たれた際、主君とともに討ち死にしている。その子正長は、義元の後を継いだ氏真にそのまま仕えたが、永禄十二年(1569年)末からの武田信玄の駿河侵攻の際、藤枝の徳一色城(後の田中城)の守備につくも武田勢の攻撃を受けて駿河を逃れ、遠江に落ちた。この際に、小川城も焼かれ、そのまま廃城となったようである。

 遠江に逃げ延びた正長は、西から今川を攻めていた徳川家康の元に参じ、それ以降は家康に臣従することとなった。しかし元亀三年(1572年)の三方原の戦いに参加し、奮戦むなしく討ち死にした。

 正長の次男、宣次は、長じて家康の小性となった。この宣次の子孫が、江戸幕府において火付盗賊改役を務めた長谷川宣以、別名平蔵、則ち、かの長編時代小説『鬼平犯科帳』の主人公のモデルとなった人である。


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