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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

旧東海道 日本坂峠 その1


 旧東海道 日本坂峠
 その1 焼津神社


 
 前回の身延街道以来、寒いし夜明けは遅いしで、なかなか出掛ける気になれなかった、我が「スーパーカブ110で行く早朝お散歩史跡めぐりツーリング」。一月の中旬になり、ひどく冷えこんだと思ったらいきなり嵐のような雨。その雨が去ったなら、今度はまるで春先のような陽気が突然やってきたので、これを好機と、今年最初のお散歩に出掛けることにした。

 ただ季節外れのぽかぽか陽気とはいえ、日の出の遅い時期であることには変わりないので、あまり遠くへは行けない。ということで今回は、静岡市と焼津市との市境にある、古代の東海道の峠越えのルートであるところの「日本坂峠」へ行くことにした。そこでまず向かったのは、




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 我が静岡市の隣、焼津市にある、この「焼津神社」である。




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 古い歴史のある神社で、延長五年(927年)の『延喜式』に、その社名の記載のある所謂「延喜式内社」である。




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 で、祭神はこの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」である。この英雄が、他ならぬ「焼津」という地名に関係しているのだ。

 『日本書紀』巻第七。景行天皇四十年、日本武尊は、父天皇の命を受け、東方の「乱れを平(む)け」るため、


 冬十月の壬子の朔癸丑に、日本武尊、発路したまふ。
 (岩波文庫 『日本書紀(二)』)

 日本武尊はまず伊勢神宮に参り、そして叔母の倭姫尊に会って、「草薙剣」をもらったうえで、東国をめざす。


 是歳(ことし)、日本武尊、初めて駿河に至る。其の処の賊(あた)、陽(いつは)り従ひて、欺きて曰(まう)さく、「是の野に、麋鹿(おほじか)甚だ多し。気(いき)は朝霧の如く、足は茂林(しもとはら)の如し。臨(いでま)して狩りたまへ」とまうす。日本武尊、其の言を信(う)けたまひて、野の中に入りて覓獣(かり)したまふ。賊、王(みこ)を殺さむといふ情(こころ)有りて、王とは日本武尊を謂ぞ。其の野に放火焼(ひつく)。王、欺かれぬと知(しろ)しめして、則ち燧(ひうち)を以て火を出(うちだ)して、向焼(むかへびつ)けて免るること得たまふ。一(ある)に云はく、王の所佩(はか)せる剣(つるぎ)、叢雲(むらくも)、自ら抽(ぬ)けて、王の傍の草を薙ぎ攘(はら)ふ。是に因りて免るること得たまふ。故(かれ)、其の剣を号(なづ)けて草薙(くさなぎ)と曰ふといふ。叢雲、此れをば茂羅玖毛(むらくも)と云ふ。王の曰(のたま)はく、「殆(ほどほど)に欺かれぬ」とのたまふ。則ち悉(ふつく)に其の賊衆(あたども)を焚(や)きて滅しつ。故、其の処を号けて焼津(やきつ)と曰ふ。
 (同上)


 なにやら長々とした引用で申し訳ないが、これでも書き下し文なので、原文よりは読みやすい、ということでご容赦ください(笑)。私は、『古事記」のほうが「文学的魅力」があって好きなのだが、『古事記』においては、これは相模国におけるエピソード、ということになっているので、今回は『日本書紀』から引用してみた。

 ただ、『古事記』のほうでも「焼津」という地名の起源譚とされていることには違いはない。よって、神奈川に「焼津」という地名が確認されない以上、伝聞あるいは記述の混乱を疑い得るのは『古事記』のほう、ということにはなろうとは思う。

 とはいえ、本当にこれに類する出来事によって「焼津」なる地名が生まれたのか、それとも地名が先にあって、それに合わせてこのエピソードが生み出された、あるいは元々は関係のなかったエピソードが恣意的に関係づけられたのか、それを判断することはきわめて困難だろう。

 例えば、静岡市清水区に「草薙神社」という神社がある。ここで祀られているのが上記引用部に出てくる「草薙剣」で、この事件もこの「草薙神社」がある辺りで起こった事だとされる。この三者の見解が互いに矛盾する以上、どれか、あるいは全てが「間違い」ということになる道理だが、この辺りのことは、文献学的、考古学的に「正解」を求めるよりは、私としては「文学的に」楽しんでしまうほうが良いと思っている。

 まあいずれにせよ、日本武尊はこの後もさらに東へ向かう訳で、そのときに通ったのは、いうまでもなく東海道であった。無論、日本武尊の東征は「大化の改新」以前のお話なので、律令時代の官道としての東海道の成立以前、ということにはなるが、本州の東西を結ぶ街道が古墳時代にすでに通っていたこと自体は確かだろう。

 (ちなみに、「東海道」という名称の文献上の初出は、『日本書紀』(養老四年・720年成立)の「崇神天皇十年九月甲午条」とされているようだ。)

 平安時代には、もう少し内陸にある宇津ノ谷峠越えのほうに、東海道の道筋は変わってしまうのであるが、それ以前には、東海道は海に近い日本坂峠を越えていた。そしてこの「日本坂」という名称は、この日本武尊の東征に因んでいる、とされているのである。

 ということで、またしても前置きが長くなったが、次回、いよいよ日本坂峠へ向かいます。


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