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身延街道(興津ー境川) その5


 身延街道(興津ー境川) その5
 宍原宿





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 「双体道祖神」から100m程で、国道52号線と交差する。




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 こんな路地を抜けて、




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 裏通りに出ると、「下宿橋」という橋。名前からして、この辺りから宿場、すなわち宍原宿が始まる、ということか。




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 その旧宿場を抜ける旧街道。




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 宍原小学校の脇に、観光案内図。




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 そのの観光案内図によると、この辺りに「問屋場」があったらしい。




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 宿場の中程に、天王山津島神社。名前は立派だがお社は慎ましい。




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 その先に、鹿田神社。こちらはかなり大きい神社。歴史もかなり古いようだ。




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 そしてこの辺りが「見付跡」というから、宿場の北端、ということになろうか。下宿橋から500mぐらい、かな。




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 その少し先、この坂道のところに、




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 「西国三十三観音」の看板。行ってみよう。




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 こんな道を登ると、




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 茂みのなかに、




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 「西国三十三観音」。




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 現地の解説文を転載。


  西国三十三観音

 観世音菩薩は衆生救済の為、必要に応じて三十三体の異形の観音と化して示現するという法華経普門品の説によって造立されたものが三十三観音であるという。
 ここに安置されている三十三観音は、大木家(守彦)六代前の大木太右衛門の前、何代前かは不明だが山梨県杉山村の大家より大木家に嫁入りした人が嫁入り道具の一部として持参したものといいいう伝えである。最初、福聚院の近くに安置したがその後、ここ町屋に移し昭和二十年代後半までは町屋の部落全体で祀っていたがその後は大木家が護持して現在に至る。

 (後略)





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 その先に、「六地蔵」。詳細は不明なようだが、お地蔵さんがここにあるということは、古い街道はこちらなのかもしれない。宍原の集落の南のはずれには双体道祖神、北のはずれにはこの六地蔵があって、村を守っていたのだろう。

 身延街道の南の起点である興津宿と、甲斐の最南端の宿場である万沢宿の間にあるこの宍原宿であるが、享保九年(1724年)に甲斐が幕府直轄地とされて甲府勤番が設置されたことで公用の通行が増えると、ただでさえ、万沢までは山越え、興津までは幾度もの川越えと,、南北を難路に挟まれていたために、継ぎ立て業務の負担を負いきれなくなった。

 そこで宍原宿は何度も道中奉行に訴えて、天明五年(1785年)からようやく、近隣の村々に助郷として荷役人馬の負担を分担してもらうこととなった。しかしその助郷の村々も元来余裕があった訳でもなく、この新たな義務は重い負担となったようで、村同士での係争が生じるような事態にもなってしまったらしい。宿場の経営が厳しかったのは、ここでも同じであったようである。




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 通りに戻り、北へ進めば、また国道52号に合流する。というところで、次回に続く。


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コメント


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歴史を感じさせる道端の「六地蔵」

>その先に、「六地蔵」。詳細は不明なようだが、お地蔵さんがここにあるということは、古い街道はこちらなのかもしれない。宍原の集落の南のはずれには双体道祖神、北のはずれにはこの六地蔵があって、村を守っていたのだろう。

〇歴史を感じさせる道端の「六地蔵」ですね。
 郷愁もあり、このような風景、大好きです。
 草々

レインボー | URL | 2018-01-07(Sun)08:29 [編集]


Re: レインボーさん

レインボーさん、こんにちは。

東海道などと違って、ローカルな脇街道である身延街道などには、有名な歴史上の人物や出来事にゆかりの事物はあまりみられませんが、そのかわり、こうした庶民たちの日常風景の面影が色濃く残されていることが多い気がします。
思えば、城跡や古戦場などより、こうしたお地蔵さんや道祖神などのほうが、私たちのご先祖の生活に密着していた訳で、それだから私たちが心惹かれるのかもしれません。

コメントありがとうございました。またお立ち寄りください。

静磨 | URL | 2018-01-07(Sun)21:37 [編集]