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姫街道 その8・三ヶ日宿と千頭峯城


 姫街道 その8・三ヶ日宿と千頭峯城




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 今回のコース。




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 「御殿道」と姫街道との交差点にもどり、改めて三ヶ日を目差す。




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 ここは真っ直ぐ。




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 しばらく行くと、また東名高速をくぐる。




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 高速北側の測道を進むと、




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 「大里峠」。江戸時代、雨が降ると道が川のようになってしまうため、「わる坂」と呼ばれてちいさな難所とされていたという。




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 その先で、東名高速を渡る。




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 坂を降りていく。




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 田んぼの中を走り、




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 この交差点は直進、というところでふと右方向をみれば、




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 なにやら案内看板が。気になったので、行ってみることに。




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 道しるべを頼りに細道を山の方へすすめば、




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 あった。ここが「三ヶ日宇志・瓦塔遺跡」である。




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 「瓦塔」とは、瓦で造った仏塔のことで、奈良から平安時代ごろに、経済的理由などにより木製建造物の代わりに建てられたもの、だそう。この現地にあるものは複製品だが、発掘された破片から復元された実物は、奈良国立博物館に所蔵されているという。




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 また寄り道をしてしまった。さっきの交差点にもどり、先へ。




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 「茶屋跡」。昔の街道沿いには、いくつも茶屋があったことだろう。




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 すぐ先に、「高札場跡」。




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 広い道に合流。そろそろ、市街地に入っていく。




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 消防団三ヶ日第一分団の前に、「三ヶ日一里塚」。江戸より71番目の一里塚。




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 私はこれがなぜか大好きである。




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 50mほど進んだ先の郵便局前に、このモニュメント。どうやら、このあたりはもう三ヶ日宿に入っているようである。




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 「伝馬問屋跡」と、




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 鈴木歯科医院の前に「本陣跡」。すなわち、このあたりが宿場の中心だったのだろう。この本陣にはかの伊能忠敬も測量の途上に宿泊し、「家作よし酒造をなす」と日記に書いているそうだ。




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 さらに進みつつ、ちょっとコンビニに寄って食料調達。




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 町外れの宇利山川沿いに、また観光案内板。だけど、かなり痛んじゃってますね。こういうものって、設置だけしてあとは放置、ということが多い。ちょっと古くなると、すぐに読めなくなってただの汚い板になってしまうので、作ったんだからそれでいいでしょ、みたいなお役所仕事的なやり方では、かえって観光客の印象は悪くなってしまうだろう。折角作るんなら、その後の管理もちゃんとした方が良かろうと思う。実際、あればとても助かるものなので。……などといいつつ、この裏にある公園で昼食を取り、1時まで休憩した。

 三ヶ日宿を過ぎれば、姫街道はいよいよ本坂峠を目差す訳だが、ここでまたしても寄り道をします。

 三ヶ日の北、直線距離で1.5から2kmぐらいのところに、摩訶耶(まかや)寺という古刹があるのだが、そのお寺の北東の山の上に、千頭峯(せんとうがみね)城跡があるのだ。そこに行く。




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 地図でみると、このあたり。ちょっと道がややこしいが、まずは摩訶耶寺をめざし、その後、城跡の東にあるトンネルを目差していけば、比較的楽にみつけられると思う。




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 そのトンネルの南側に、駐車場と登り口がある。




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 では例によって、城の見取り図を。けっこう規模のある城のようだ。

 ついでに、解説文も転載。

 
 千頭峯城跡 (静岡県指定史跡)
 
 千頭峯城は、大福寺の古い文書「瑠璃山年録残編」によると、南北朝時代に後醍醐天皇の第八皇子宗長親王を奉じて奮戦した井伊氏の西方、最大の拠点でした。
 南北朝時代の典型的な鶴翼型の山城で、曲輪、空堀、土塁などが今も残っています。この本城の周りには鯉山砦、中千頭砦、長岩砦、池田峠曲輪、隠尾曲輪なども設けられ、一大砦群を形成していました。
 当時の守将は井伊氏一族の奥山朝藤といわれ、南朝方の廷臣や浜名神戸庄庄官県氏、大江氏をはじめ勤王の将士数百名で籠城しましたが、北朝方の武将高師兼の大軍の攻撃に耐えかね、三ヶ月の攻防の末、暦応二年(一三三九年)落城しました。

 (後略)


 現在みられる遺構は、その後に城を配下においた家康によって改修を受けたのちのもの、ということになる。だがそれにしても、南北朝時代の井伊氏の勢力が、こんな所にまで届いていたとは驚きである。そして、南北朝時代のこの浜名湖北方における戦乱の規模も、こんなに大きなものだったとは思わなかった。やはり本で読んだだけでは、広さ、とか大きさ、という感覚は掴めないですね。

では、さっそく城跡内へ、というところで、次回に続く。



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