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姫街道 その4・井伊谷城


 姫街道 その4・井伊谷城





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 気賀の街から、国道362号線を北上、すぐに井伊谷川の河畔にでるので、そこから県道320号でさらにすすめば、ほどなくして井伊谷である。




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 こんな看板もあちらこちらに。




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 県道の左側に、「龍潭寺」駐車場。歴史ある寺で、NHK大河ドラマでも有名になったお寺だが、今回は色々あって結局寄りませんでした。




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 しかしその隣にある「井伊谷宮」には寄った。これは井伊家が建てた神社ではあるが、それほど古くはなく、創建は明治五年(1872年)である。祭神は、後醍醐天皇の皇子、宗良親王である。

 南北朝時代の争乱の際、南朝方についた井伊氏等と共に、宗良親王はこの地で、北朝方と戦った。「三岳城」を中心とした、尾根伝いの山城や砦のネットワークを利用して奮戦するも、最終的には親王は駿河に逃れ、そこで狩野氏の安倍城に入って、再び北朝方の駿河守護今川範国と戦う(このあたりのことは、こちらを。「安倍城」)。ここでもやはり山城に籠って戦うも、またしても敗北、落ち延び、各地を転々とした後に再びこの井伊谷に戻って、ここでその生涯を終えた、という(死地については異説あり)。




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 参道入り口あたりに。




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 「龍潭寺」、「井伊谷宮」の北、図書館などのあるところの裏に、「井伊谷城」の登り口がある。




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 綺麗に舗装された歩道だが、山城へむかう山道の例に漏れず、なかなかの傾斜。5分ほどの距離ではあるが、けっこうきつい。こういう道は、たぶん未舗装のほうが歩きやすいと思う。




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 途中の稲荷神社。




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 休憩所もある。直虎ちゃんがお出迎え(笑)。




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 だが、休憩を取るほどのこともなく、「虎口」すなわち城の入り口に着いてしまう。




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 到着です。山頂に、土塁をぐるりとめぐらせただけの、単純で小さな山城である。




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 こんな感じ。無論、山城というものは大きければいい、というものではなく、地形や、守備隊の規模とのバランスも大切である。狭すぎれば入りきれず大勢の戦力で守ることができないが、広すぎれば、守り手がバラバラになってしまい、守りが手薄な部分ができてしまうだろう。例えば山中城などは、拡張しすぎて、中核部と周辺部との連絡が悪くなったことが、短時間で落城してしまった原因とする説もあるようである。

 井伊氏は、初代井伊共保の生誕が寛弘七年(1010年)とされていることからも、かなり古い家柄であることは間違いないようであるが、その出自は諸説あってはっきりしないようである。しかしいずれにせよ、南北朝時代にはこの地方を代表する有力領主であったのだから、それなりの名門であったことも確かだろう。私、今回は本当はここへ来る予定ではなかったので、あんまり下調べをしておらず、よくわかっていませんが。

 今年、井伊直虎を主人公とした大河ドラマが放送されているが、いうまでもなく、本当に井伊氏がその名を天下に轟かせるのは、直政の時代になってからであろう。直虎については、実はあまりよくわかっていない、というのが実際のようである。

 何だか、直虎は男だったとか、今川が滅亡するころにはもうとっくに死んでいたとか、もう根本から何もかも否定してしまうような説まであるみたいである。だから、NHKのドラマでやっていることをそのまま信用してしまうべきでないことは無論だが、しかし、「史実」はどうあれ、ドラマはドラマとして楽しむ、という分には別にかまわないんじゃないか、とは私は思っている。ま、それほど熱心な視聴者ではありませんが。

 


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 展望台があった。しかし、




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 あんまり眺めがよくない。木々が眺望を邪魔している。当時は、この木々の茂りはなかったのだろう。そうでなければ、敵兵は城兵から身を隠したまま、城のすぐ側まで接近できてしまう。




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 城の北側の林のなかに、




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 「御所の丸」とあった。これは現地の解説文によれば、江戸時代のこの城の呼び名で、宗良親王が入城したことと関連づけられてのものだ、とのこと。なんで石を積んであるのかは、知りません(笑)。

 私が城内にいたときには、他には誰もいなかったのだが、城から降りる途中、数組の見学者とすれ違った。時間的に、そろそろ観光客が増えてくる頃か。山城跡で誰かと出会う、なんてことは普段はほとんどないのだが、やはり、ここは他とは違うようである。




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 城への登り口からほど近く、「井殿の塚」。現地解説文を転載。
 

 井伊直政の祖父、井伊直満とその弟直義を祀った塚です。直満と直義は、天文13年(1544)、今川義元と内通していた井伊家の家老、小野和泉守政直の讒言により謀反の疑いをかけられ、駿府で殺害されました。事件後、井伊氏居館の一画に供養のための塚を築きました。(後略)





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 この公民館の前に、




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 「井伊氏居館跡」。このあたりにあった、ということだが、住宅地化され、その面影は全くない。平時の居館がここで、先程の「井伊谷城」が「詰めの城」、ということなのだろう。ただ、前述の北朝方との戦闘時には、ここより2km半ほど北東の、標高467mの三岳山上にある「三岳城」を中心として防御陣を築いていたようなので、この「井伊谷城」を本城、「三岳城」のほうを井伊の「詰めの城」とみるのが正しいのかもしれない。




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 こちらは、「龍潭寺」そばにある、「伝井伊共保出生井」。つまり初代の井伊共保が生まれた、とされる井戸である。……ここで生まれたってこと? それとも、井戸から生まれてきたってこと? まさか。

 当初は予定していなかった、ということで、駆け足でまわった井伊谷であったが、いつか、「三岳城」は見にいきたいと思っているので、そのときにでも、ちゃんと下調べをしたうえで、もう少しゆっくりまわってみたいと思う。

 ここで、時間は9時少し前あたり。さて、西の空も、晴れはしないが少しは雲が薄くなってきたみたいなので、そろそろ、姫街道に戻るとしましょうか、というところで、次回に続く。


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