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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

姫街道 その1・安間一里塚


 姫街道 その1 ・安間一里塚


 お盆休み。私、今年は5連休であった。去年は6連休であり、その休みを利用して、静岡市内にある自宅からは、県内では最も遠い区間である天竜川西岸から白須加宿までの旧東海道を、スーパーカブ110で走った(こちら。「旧東海道 浜松市から湖西市」)。今年は、この区間の「別ルート」ともいうべき、姫街道の古道を走ってみることにした。

 だが、ざっと予定を立ててみると、なんだか結構な距離があるし、寄りたいところもかなりあるしで、少なくとも丸一日はかかりそうな気がした。つまり、丸一日一人で遊びにいくことを妻から許可されなければならないのである。去年もそうだったのだが、パートタイムとはいえ官庁勤めの妻には基本的にお盆休みというものがないので、このあたりの夫婦間の温度差というものを考慮した上で、許可申請をせねばならぬ。

 そこで私、連休初日は家族サービスに費やし、そして妻が出勤日である四日目と五日目とに私が夕ご飯をつくる、という、多大な犠牲を払って、連休二日目を丸一日、自由にしてよい、というお許しを得ることができた。ということで、準備を整え朝3時起床、3時半出発で、




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 やってきたのは、ここ、天竜川西岸、である。国道1号で天竜川を渡る新天竜川橋から下流方向へ150mぐらい。前日の雨が朝方まで残る、という当日の天気予報が心配されたが、出発の時間にはすでに上がっていた。ほっと一安心、だが、その日の予報は降水確率40%。でも仕方がない、チャンスはこの日だけなので、決行。

 「姫街道」とは、もともとは本坂道などと呼ばれていた、浜名湖の北側を通り本坂峠を越えて東西を連絡する歴史ある古道の、比較的新しい呼称である。文献上の初出は安政の頃(1855から1860年)だというから、江戸時代も後期である。

 なぜこの頃か、というと、安政元年(嘉永七年、1854年)の所謂「安政東海地震」とそれに伴う津波の被害を受け、「今切の渡し」の機能が麻痺して東海道が不通となったことで、本坂道を通る者が大名行列を含めて一時的に増加したことがその始まり、というかきっかけになった、らしい。少なくとも、時期は重なるとはいえよう。「姫街道」、またはそれに準じる名前はそれ以前からあったのだろうが、このときを機にそれが広まった、と考えるのが自然かな、と私は思う。

 で、その名の由来はというと、これも諸説あるのだが、有名なのは、東海道の新居関での「女あらため」を避けるために、旅する女性が多く本坂峠へと迂回したため、というものだ。ただ、本坂道の気賀宿にも関所はあるのだし、幾つかの峠越えのある本坂道よりは、舟渡しとはいえ波静かな湖である浜名湖を渡ったほうが楽そうではないか。海岸線を行く東海道はほぼ平坦だし。

 まあ、道の名前などというものは、時の為政者なり何なりが、これ、と定める場合以外は、その道の発生や発達そのものと同じく、自然発生的なものであり、いろんな事情なり人々の想いなりが重なって生まれ、定着していくものであろうし、この「姫街道」という名前も事情は同じと考えてよかろうと思う。少なくとも、誰かの意思や、短期間の出来事なり事情なりが生み出すような名付けが定着できるほど、俄作りな道ではなかったのは事実である。

 上の写真を撮った場所から、




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 この坂道で土手を市街地の方へ降りることができる。




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 降りた先は県道314号線、これは旧東海道である。地名は浜松市東区中野町、旧地名でいうところの「中ノ町」であり、ここは、「東海道の真ん中」にある町とされている。五十三の宿場の数でいうと、西と東どちらから数えても二十七番目の袋井宿がまんなか、ということになるが、総距離を半分にすると、ちょうどこのあたりになる、ということらしい。この道を、西へ500から600mぐらい走り、




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 この曲がり角へ。この「安間一里塚」が、今回走る「姫街道」の起点となる。




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 地図で確認。ここから、西方の遠江と三河の国境、すなわち現在でいう静岡県と愛知県との県境である、本坂峠を目指すのが、今回のコースである。




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 その全体図を。大体こんな感じ。だが実はこの姫街道、東側の起点は、ひとつではなく、みっつほどある。




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 そのみっつを地図で。いずれも、直接東海道から分岐する。今回、私がスタート地点に選んだのは、「安間一里塚」になる。





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 ちなみに、ここが見付宿からの起点。

 なぜ「安間一里塚」を選んだのか。見付宿から天竜川の区間は、見所、というと「一言坂の古戦場」ぐらいだが、ここは過去に行ったときにちょっと詳しく触れているし(こちら「旧東海道 磐田市・その4 一言坂古戦場」)、また、この区間は江戸時代には「池田近道」呼ばれていて、見付宿から天竜川の渡し場まで、なぜか南にぐっと大回りをする東海道をショートカットする道であるが、この区間が「姫街道」と呼ばれるようになったのは明治以降だ、ともいわれる。(ちなみにこの「池田近道」は、本当は通行を禁じられていたが、ここを通ってしまう旅人は少なくなかったようだ。)

 浜松宿の起点は、浜松城の南、大手門の前での分岐であった。現在でいうところの「連尺」の交差点になるが、東からきてこの交差点を南下するのが東海道、そのまま真っ直ぐ進んだ後に北へ向かうのが姫街道になる。こちらは、個人的な事情だが、このコースを仕事でよく通るのでつまんないんだよね(笑)。ただ、江戸幕府としては、姫街道が道中奉行の管轄となってからはこちらが「正式」な姫街道、としていたようであるが。

 というところで、今回は「安間一里塚」をスタート地点とした。ここからのコースの方が、事前に情報を多く仕入れられた、という事情もあったが。




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 ここにあった一里塚は、東海道のものであると同時に、姫街道の一里塚でもあった(ちなみにこれは江戸日本橋から六十四里目の一里塚)。つまり姫街道は、江戸幕府の道中奉行の管轄下にある、正規の街道であった、ということである。よって一里塚も関所もあれば宿場もあった。それはこれからの道中、追々見ていこうと思う。とりあえずは、スタートである。……が、ご覧の通り、車両進入禁止の標識。いきなりカブのエンジンを切って、押し歩きしつつ、本坂峠を目差す。時間は、だいたい5時半ぐらい。というところで、長くなったので次回に。



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