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旧東海道 薩埵峠から興津宿、再訪その2


旧東海道 薩埵峠から興津宿、再訪
 その2 興津川から 峠道入り口




 スタート地点のJR興津駅から、興津川まで、大体1kmぐらいであろうか。寄り道もしたが、30分もかかってしまった。やはり徒歩というものはなかなか大変である。




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 興津川の橋を渡りきったところ。この道もまた、国道1号と合流してしまうが、旧街道はここを川沿いに左折。




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 道標があり、わかりやすい。




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 これも目印になりそう。




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 曲がり角あたりに、こんなものが。薩埵峠越えの街道の歴史がまとめられていてちょっと面白いので、解説文を転載してしまおう。




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 図も拡大しておきます。ご参考に。


 薩埵峠 街道の歴史

 南北朝時代には足利尊氏と足利直義。戦国時代には武田信玄と今川氏真・北条氏政の合戦が行われた薩埵峠。
峠からの富士山と駿河湾の景色は東海道五十三次にも描かれるほどの絶景であり、海へと突き出た地形は東海道の三大難所として語られてきました。ここでは、時代と共に移り変わった峠越えの道をご紹介します。


 下道(地図上のピンクの道)
親知らず子知らずの道で海岸の波打際を道路として利用していました。
安政元年(1854年)の地震で海岸が隆起し、それ以降再び道路として利用されるようになりました。

 中道(青の道)
慶長年間から明暦年間まで主として利用されました。
慶長6年(1601年)家康、伝馬制度(使者や物資を馬で運ぶ交通制度)を設ける
慶長9年(1604年)五十三次駅宿制度確立
承応3年(1654年)峠道を開く

 上道(緑の道)
参勤交代で諸大名も通った道です。
明暦元年(1655年)9月、江戸幕府は朝鮮使節の一行を迎えるにあたり開いた道で幕末まで利用された。

 脇道(黄色の道)
通商「じぞうみち」といい、上古から通行に利用されています。



 東海道の難所であり、景勝地である薩埵峠。海沿いを東西に行き来しようとするならば、どうしても通らねばならぬ場所であるだけに、古来から人の往来があったわけであるから、そのルートも、時代ごとの様々な環境の変化に合わせた、ダイナミックな変化を長きに渡って続けて来たようだ。そのなかで、私が興味を惹かれたのは、「下道」と、そして「脇道」の歴史である。

 その険しさ故に、最も古い時代には峠を越える道を開くことが出来ず、波打際を通ることで峠を迂回していた訳であるが、その後、峠越えの道が開かれ、整備された、というのが、要するにその歴史的変換の大まかな流れ、ということになるが、最終的には、地形の変化によってまた海岸線に道が戻ってしまい、現在、日本の大動脈であるところの国道1号線、東名高速道路、そしてJR東海道線までもが、こぞって「最も古いルート」である海岸線の「下道」を通過しているのである。これは実に面白い。

 そして、「脇道」。これは実は、ほぼ、現在の峠越えの車道の通るルートそのままである。私はここへ来るたびに、車やバイクでは、今なお徒歩で通う他はない山道として残る旧東海道を走れないことを残念に思いつつ、車道で峠を越えていた訳であるが、その車道もまた、東海道並みの歴史ある古道だった訳である。これは、意外な事実であった。

 なるほど。またひとつ、賢くなってしまったな、などと思いつつ(笑)、先へ。

 


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 曲がり角を曲がった先。。ここでJRの線路をくぐる。




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 線路を下から。こんなものを眺める余裕があるのも、徒歩ならでは、といったところか。




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 道は、興津川に沿って伸びていく。目指す薩埵峠は右手の方向になるが、みての通りそちらには小山があるため、それを迂回しなければならないのだ。




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 線路から50mぐらいのところに、「川越遺跡」。「越すに越されぬ」大井川と同じく、興津川もまた「徒渡し」であり、渡河には川越人夫の手を借りなければならなかった。その日の水深によって渡し料が変わり、一定の深さを越えると「川止め」となって、水が引くまで渡河ができなくなるのも大井川と同じであるが、興津川では、冬場には「假橋」が架かって無賃で渡れたそうだ。




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 「川越遺跡」から250mぐらい。ここで、右の脇道に入る。




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 ご覧の通り、道案内がこれでもかというぐらいにあるので安心。




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 お花も綺麗。




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 住宅地を抜ける。




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 雰囲気がでてきた。




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 ここを右へ。




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 さらに進むと、




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 突然あらわれる、人工的な斜面に道が遮られる。




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 このあたり、大規模な造成によって、古来の道は完全に失われている。しかたないので、最短距離をえらんで薩埵峠をめざす……つもりが、方向を間違えてえらく遠回りをしてしまった(笑)。道は、全体にぐっと上り坂になる。




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 あ、やっと道しるべをみつけた。ここを左へ登っていく。




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 まっすぐな坂道を山の方へ。綺麗な紫色の花が出迎えてくれるよう。




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 これ、なんて花でしょう?




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 小さな駐車場に出る。公衆トイレもある。舗装道路はここまで、ここからは徒歩でしか通えない山道になる。




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 その前に、ちょっとこちらに寄り道をして、




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 景色を楽しむ。西の方、つまり今来た方向を眺めるかたち。大きな道路は国道1号線、海岸線に突き出ているのは興津川河口である。その向こうにみえるのは清水港の荷揚げの巨大クレーン。




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 さて、いよいよ山道である。スタートした興津駅からここまで、1時間10分ぐらい。だんだん陽が高くなって来て、気温も上がってきた。水分補給と用便と小休止をすませて、いざ、出発、というところで、次回に続く。




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