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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

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旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その3


 旧東海道 富士川西岸がら由比宿、再訪
 その3 蒲原宿、由比宿、浄瑠璃姫の碑



 広重の「蒲原夜之雪」の記念碑から、また旧東海道を西へ。




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 こちらは、「和泉屋」という旅籠だった建物。天保年間に建てられたものだそう。




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 「本陣跡」。建物は、古くて立派だが、本陣の建物という訳ではなさそうだ。西と東、二つあった蒲原宿の本陣のうち、こちらは西本陣の方。




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 その先の交差点。ここを、山の方(赤信号の方)へ右折して道なりに進めば、「蒲原城跡」であるが、そこは今年の正月に行ったばかりなのでそちらの記事をどうぞ(「蒲原城、再訪」)。今回はスルーして直進。




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 交差点を越えてすぐの左手に、「手づくりガラスと総欅の家」。現地解説文を転載。


 明治十二年(1909年)に建築された当家は、素材の美しさから近世以降、寺院建築に多く用いられた欅(けやき)を材とし、柱や梁から一枚板の戸袋に至まですべてが欅づくりで、永年磨き込まれた木目が見事です。
 二階の窓ガラスは、波打つような面が美しい手づくりのガラスです。
 日本における板ガラスの生産開始が明治四十年ですから、国産、輸入品の見分けは困難ですが、当時の最先端の建築用材といえます。






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 その、二階のガラス。ちょっと上手く撮れておらず、手づくりガラスの様子がわかりにくいですね。




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 「高札場跡」。




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 「御殿道跡」。解説文を転載。


 かつて、このあたりに「蒲原御殿」がありました。はじめは武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた小規模なものでしたが、二代将軍秀忠、三代将軍家光が東海道を往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなりました。
 (中略)
 ちなみに、寛永十一年(一六三四)の家光上洛以後、「蒲原御殿」は使用されなくなりました。


 写真に看板がある通り、宿場見学のために車で来た場合は、ここに無料で駐車することができる。ありがたいことである。




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 国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」。大正三年、町家を洋風に増改築し、歯科医院を開業した、という建物。外観は洋風だが、内装は和風、だという。




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 「志田家住宅主屋」。安政元年(1854年)の大地震の直後に再建された、という建物で、こちらも国登録文化財。




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 その先で、道はぐいっと左に折れる。




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 そしてほどなくして、県道396号に出る。そこが、この「西木戸、茄子屋の辻」。つまり、蒲原宿の西のはずれ、である。茄子屋、とは、このあたりにあった茶屋の名前。

 承応二年(1653年)、江戸へ向かおうという高松藩の槍の名手、大久保甚大夫の一行が、薩摩藩の大名行列と、この茄子屋の辻で行き会った。その際、相手の槍先が触れたとかで口論となり、やがて乱闘に発展して、甚大夫の一行は相手を七十人近くも倒してしまった。その場から逃げた甚大夫たちだったが、当然追っ手がかかり、最後には殺されてしまった、という。太平の世にあっても、武士というものは大変であったようだ。




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 しばらくは、この県道が「旧東海道」である。西へ。




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 東名高速道路をくぐった先の分岐。県道は右だが、旧東海道は左の脇道なので、そちらへ。




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 しばらくすると、直線的だった道が、ご覧の通り突然くねっと曲がる。蒲原宿の西木戸から約一里、ここが、次の由比宿の東の入り口の枡形である。

 由比宿については、以前、家族で遊びに来たときに、それなりに細かくみてまわったので、そのときの記事をご覧いただければと思う。(こちらです。「日々の出来事 32・由比本陣公園見学」)ここはごく小規模な宿場だったので、あまり見所はたくさんはないのだが、そのひとつひとつはとても面白く、見応えという点では十分である。以下、一応主だった史跡の写真を。




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 「御七里飛脚役所之趾」。西国の有力大名のなかには、七里飛脚という直属の通信機関を持つものもあったそうで、ここは、その内の紀州徳川家の飛脚の詰め所のあった場所、だそう。




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 「由比本陣公園」。本陣の跡地。広重の美術館もある。




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 その向かいに、「正雪紺屋」。かの由井正雪の生家といわれる。

 さて、今回の街道巡りはこのあたりでおしまい。最後に一カ所、ちょっと旧東海道から外れたところにある史跡に寄る。県道396号をまた東に戻り、JR新蒲原駅の下をくぐって、蒲原中学校をめざして北東方向に向かう。




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 ここ。中学の正門前の公園にある、「浄瑠璃姫の碑・吹き上げの六本松」。




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 浄瑠璃姫と牛若丸、すなわち後の源義経との恋愛譚である「浄瑠璃十二段草子」によると、承安四年(1174年)に奥州の藤原秀衡のもとへ向かおうという途上の牛若丸は、三河の矢作の宿において浄瑠璃姫と出会い、結ばれた。しかしその後、牛若丸はこの蒲原の吹き上げの浜において大病を患って瀕死の状態となり、浜に打ち捨てられてしまった。そのことをお告げによって知った浄瑠璃姫は、急いで牛若の元に駆けつける。そして姫の涙のしずくによって、牛若は蘇る、と、こんな筋になっているようである。

 義経、といえば静御前ではあるけれども、やはりそこはスーパーヒーローであるから、恋人がひとりきり、という訳ではなかった、ということか。うらやましい限りである。





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 ただ、こういう伝説の類いにはいろいろとバリエーションがあるのが常である。異説によると、牛若丸を恋い慕って、矢作からここまで追って来た浄瑠璃姫であったが、この吹き上げの浜で力尽き、死んでしまった、とされる。だから、ここには「浄瑠璃姫の墓」があるし、「吹き上げの六本松」は、彼女を葬った塚の目印として植えられた松である、とされる。

 また『甲陽軍鑑』によると、永禄十二年(1559年)の蒲原城攻めの際、武田の本陣はこの「六本松」のあたりにおかれたようである。

 その後、その松は成長し、東海道を旅する人たちの目印になったそうであるが、いまここにある松は、どうも850年前の松にはみえないので、まあ、これは後世のものなのだろう。

 とういうことで、今回はここまで。前回とは、かなり様子が違った記事になった、と思う。視点がかわれば、対象は同じでも違った印象が得られる、ということだろう。この先は、というと、薩埵峠を越えて、興津宿、そして江尻宿と続く訳だが、そちらも、また機会をみつけて行ければ、と思っている。それでは。


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