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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

犬居城 その1


犬居城 その1




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 「塩の道」モニュメントのある、浜松市天竜区春野町の、「春野ふれあい公園」。その前の国道362号線の信号を、公園の反対側の道へ。




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 こんな道。ちなみに、前回の記事でいうところの、「大日如来」のところから先の、カブでは走れなかった山道である「塩の道」を歩いて辿っていくと、この道につながっている。つまりこれが「塩の道」であり「秋葉街道」の古道、ということになる。この道を少し行き、




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 「犬居城入口」のバス停のところで、左の脇道へ。青い案内標識もあるのでわかりやすい。その脇道を、362号線を越える陸橋の先へいくと、




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 こんな道しるべ。ここが、「犬居城跡」への入り口になる。




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 ここからは、カブを降りて山道を歩く。この道は、「秋葉神社」へと続くハイキングコースの一部、でもある。




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 林の奥へと続くような道。山城へ至る大概の道の例にもれず、それなりの傾斜のある道だが、広さもあって歩きやすい。




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 似たような道が数十m。歩いていると、周囲でカサコソと音がする。まさか、蛇か、とびくびくしながらよく見たら、




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 正体はこいつでした。とにかく、あっちこっちにトカゲがいて、これは、「犬居」じゃなくて「蜥蜴居城」だな、なんてつまらないことを思いながら歩き、ふと足下の枯れ枝をよけて一歩を踏み出すと、




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 それは木の枝ではなく、またトカゲでもなく、まぎれもない蛇でした(笑)。これはシマヘビかな。マムシじゃなくてホントに良かった。枯れ枝にしか見えなかったんだもの。




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 蛇との出会いの場からほどなく、左手に明らかな人工的地形。とくに案内看板等はないが、これはまぎれもなく堀の跡ですね。つまりこの辺りから城跡内へと入っていく訳だが、なんだか山道を歩いて山登り気分になっているので、ひとまずは一番高い所を目指す。




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 ここ。コンクリの物見台っぽい展望台がある。




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 そこに掲示されていた「鳥瞰図」を。この図でいうところの、一番左の「空堀」というのが、最初にみた堀の跡である。図の通り、展望台のある場所は「物見曲輪」にあたる。

 「犬居城」は、この辺りを支配していた国衆である天野氏が築いた山城である。現地の解説文の一部を転載する。


 居城主である天野氏は、「承久の乱(1221年)の後、山香庄に地頭として入り北遠地方を代表する在地領主となりました。鎌倉時代には幕府の御家人として活躍しましたが、南北朝時代には一族が北朝・南朝と分裂して争うようになります。後に北朝方が勢力を大きくし、室町時代から戦国時代にかけて国人領主に成長しました。


 こうして時代の流れの中をしぶとく生き抜いてきた天野氏、遠州を今川氏が支配するようになってからは、今川氏に臣従していたようだ。しかし永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い以降、今川氏の駿河・遠江の安定支配は崩され、他の小領主たち同様、天野氏もまた、乱世に飲み込まれていく。
 
 武田信玄の駿河侵攻が永禄十一年(1568年)。これにより駿府は武田の手に落ち、今川氏真は掛川城に逃れる。しかしその年の暮れには、今度は西から徳川家康が掛川城に迫り、翌年に今川氏は滅亡する。この永禄十二年末には、一度は北条に攻められて甲斐に引き返していた信玄が再び駿河に侵攻し、東海道の要衝蒲原城を攻略、駿河における武田の勢力は一段と強まる。

 一方遠州は徳川の支配するところとなり、天野氏もまた、一度は徳川の配下におさまった。しかし今度は武田からの遠州への圧力が強まっていく。そのなかで、どうやら天野氏はこらえきれず武田に寝返った、ということのようだ。そして元亀三年(1572年)の、信玄の所謂「西上作戦」の際には、天野氏は青崩峠を越えて遠江に侵攻する武田軍の案内をつとめたという。

 交通の要衝にあるということで、支配者たちに重要視されることになったこの「犬居城」であったが、そうした力関係のなかで最終的に武田に臣従した天野氏。この判断が積極的なものであったか否か、それは知る由もないが、結果論でいってしまうならば間違いであった、ということになる。それについては、また次回。



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