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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

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安倍城 その3


 安倍城 その3





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 「安倍城」は、ひとつの城としては、それほど規模の大きなものではないようである。しかし周辺に幾つもの支城を配し、それらを尾根づたいの道で連絡させることによって、全体として機能させていたようだ。

 麓から城跡まで、山道を一時間も歩かなければならなかった。これでは例えば、麓の街道を通過しようとする敵の進軍を阻止するために、城から出陣するのはちょっと大変そうである。しかしこの城は、例えば箱根峠を越えようとする敵を食い止めるために築かれていた山中城などとは、その築城の目的からして違うのだと考えるべきであるように思われた。

 駿河における攻防に先立って、まず宗良親王が入った遠江においてもやはり、南朝勢力と北朝勢力の争いがあったのであるが、このときの南朝勢力戦い方としては、浜名湖の北の山地に山城を幾つも築き、それらを移動しながら、北朝勢力の攻勢をしのぐ、という方法を取ったようである。これは、南朝勢力が吉野を本拠とし、密教寺院勢力とつながりを持っていたことから、密教修験者の山道を利用することができたためだ、という側面があるらしい。

 結果として遠州の南朝勢力は、北朝方の攻撃を耐え抜くことは出来ずに、遠江を失うこととなったのだが、その後、宗良親王の移動に伴って戦場もまた駿河に移ったときにも、南朝方の戦い方としては、遠江におけると同じ方法をとった、ということのようだ。

 これまで私が「史跡めぐり」をしてきた駿河、遠江の城跡は、そのほとんどが徳川と武田による攻防に使用された、「戦国時代」の城であった。よってこの安倍城は、それらよりも古い城、ということになる。同じくらいの時代のもので、これまでに私が訪れた城というと、藤枝の花倉城が近いか、と思うが、花倉城も、駿河今川氏の「詰城」として、麓からかなり山地に深く入ったところの頂に築かれていた。やはりこの点が、戦国時代の城との大きな違いのように私には思われた。

 つまり、南北朝時代の城においては、戦国時代の山中城や諏訪原城のような、街道の「おさえ」としての性格、あるいは田中城や掛川城のような「拠点」としての性格は稀薄で、逃げ込み、立て籠る場所としての性格が強い、ということである。私が知る城の数などたかが知れているので、その論拠とするにはあまりにも頼りないのではあるのだが、なんとなく、すくなくともこの駿河・遠州の辺りにおいては、「城」というものに当時の有力者たちが求めたものの、時代による変換、とでもいったものが見えたような気がしたのだが、どんなものだろうか。

 まあ、これはひとつの「仮説」として、これからの「史跡めぐり」において、論拠なり、反証なりをみつけていくこととしよう。では、20分ほど休憩もしたところで、ようやく辿り着いた山頂ともさようならをし、来た道を戻って下山することとしよう。




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 はい、麓のお寺に戻って参りました。下りはさすがに、登りよりは速かったですね。かなりのんびり歩いたつもりだったが、40分ぐらいで下ってしまった。膝はもう、ガタガタなんてものじゃなかったけれど(笑) さて、折角なので、この「洞慶院」も見学して行きましょう。

 現地の由緒書きを転載。

 洞慶院は、はじめ馬鳴大明神の社僧寺として真言宗に属し、喜慶院と称されていたが、享徳元年(一四五二)守護福島伊賀守の懇請により、石叟円柱和尚が再建し、洞慶院と改め、曹洞宗とした。

 とのこと。




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 こちらの橋はコンクリ製で新しそうだな、なんて思いながらよくみれば、




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 大正十二年、とある。南北朝時代や戦国時代のものと比べれば新しいが、これでもかなりの年代物である。




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 その橋は四本の巨木に囲まれており、本堂への石段に続いている。この杉の古木は、樹高40m、太さは4.2m、樹齢は310年だという。



 
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 では、今回はこれまで。最初に書いた通り、ただのハイキングみたいな記事でスミマセン(笑)。気候もよくなり、日の出も早くなってきたので、そろそろ、遠出も考えている。「塩の道」の続きが一番気になっているので、近いうちに、とは思うのだが。それでは。



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