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旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その2


 旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その2





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 「瀬名館」跡から、西へ少し行くとすぐに梶原山という小さな山にぶつかる。その麓にあるのが、この「清涼山光鏡院」というお寺。




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 このお寺は瀬名氏の初代一秀が、長享二年(1488年)に建てたもの。文亀三年(1503年)に七十二歳で亡くなったという一秀自身も、ここに葬むられた。永禄十一年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻の際、このお寺は焼かれてしまい、再建が成ったのは元和八年(1622年)のことである。




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 こちらは平成九年、一秀の五百回忌に建てられた供養塔。ちなみに、この寺のある梶原山とは、以前観に行った、かの梶原景時最期の地、である(こちらの記事をどうぞ。「カブのこと 4・鎌倉街道(徒歩0分) その1、梶原一族最期」)。




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 「光鏡院」の北隣にあるのが、この「大渕山龍泉院」。元亀二年(1571年)、瀬名氏三代目の氏俊の妻、すなわち「その1」にでてきた今川義元の妹で築山御前(瀬名姫)の母親にあたるひとが亡くなったため、氏俊はこの「龍泉院」を建て、その菩提寺とした。




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 その「龍泉院」の入り口にいた猫。

 もうひとつ、今回は行かなかったが、「光鏡院」の南側には「鶴池山松寿院」というお寺もあり、そこは瀬名氏二代目氏貞が建て、その菩提寺となっている。この氏貞は、神社もひとつ建立した。そちらは、「光鏡院」から西へ、瀬名の街を横切るように進み、長尾川という川を越えたところにある。その距離は、まあだいたい1kmぐらいだろうか。




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 こちらがその「利倉(とくら)神社」。建てられたのは大永八年(1528年)、主神は木花開耶姫である。小学生のころの私には、十月のお祭りはひとつの楽しみであった。この神社の名前「とくら」であるが、なんと、梶原一族と共に梶原山で死んだ名馬「摺墨」の鞍をここに祀ったことから、「登鞍(とくら)」の名付けられたのがはじまりだ、という説もあるようである。「摺墨静岡生誕・死亡説」を支持する当ブログとしては、これは見逃せない情報である(笑)。(「摺墨」についてはこちらの記事をどうぞ。「カブで史跡めぐり 24・奥藁科 その1 栃沢、摺墨のこと 」)

 瀬名氏のその後は、というと、やはり、桶狭間における義元の討ち死にを機に、時代に翻弄されることとなったようである。

 永禄十一年(1568年)、すなわち瀬名氏でいうところの三代目氏俊の時代の、武田信玄の駿河侵攻については、以前に蒲原城址に行ったときの記事に触れたが(こちら。「カブで史跡めぐり 43・蒲原城、再訪」)、その際、信玄は事前に今川の家臣の多くに対して寝返り工作をしていた。そのために、薩埵峠で信玄の進軍を食い止めて、北条の後詰めを待ち、信玄を挟み撃ちにするつもりであった今川氏真の軍勢はまともな合戦をすることもなく瓦解、駿府はあっという間に落ちてしまった。

 このときに瀬名氏がどういう行動を取ったのか、私がざっと調べた範囲でははっきりしなかったが、その後はというと、瀬名氏は今川を見限って武田についたようである。なので、あるいは薩埵峠での会戦の時点ですでに、武田方に寝返った多くの今川家臣たちと行動を共にした可能性はあるが、前述のとおり、瀬名氏ゆかりの光鏡院が武田に焼かれていることをみると、武田に従ったのはもっと後のことだとも考えられる。ちゃんと調べればわかるのだろうけれど。

 いずれにせよ武田配下にはいった瀬名氏俊は、瀬名の地を後にし、甲斐に移ることとなった。そして武田氏滅亡後には、これまた駿河あたりの多くの国人領主たちと同じく、徳川に従うこととなったようである。瀬名氏は江戸時代にも旗本として存続した上、未だその血統は続いており、現在の御当主は二十六代目にあたるという。

 ということで、今回の「ご近所史跡めぐり」はここまで。私の歴史への興味の発端は、というと、もともとは郷土史、というものから始まったのだった。そうした意味では今回は「原点回帰」的な意味はあったかもしれない。でも、やはりあまりにローカルなネタに過ぎることも確かだろう。今年は暖かくなるのがなんだか遅いようだが、日の出時刻は確実に早くなりつつある。そろそろ、どこか遠くの街道なり城跡なりに出掛けてみようと思っている。それでは。



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