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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

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横山城 その2


 横山城 その2





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 この横山城址、先日紹介した『静岡県の歩ける城70選』によると、


 城跡は農地としてよく保存されているが、現在は放置されて荒廃している。このため城山への登り口以外は見学が困難な状況にある。(85ページ)


 とのこと。その登り口からしてかなり急峻な坂道であり、不安を覚えつつも、まあ行けるところまでいってみよう、というつもりで城跡に踏み込む。




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 いきなり、こんな感じ。まるで、「トトロ」の一場面を思わせるような、薮のなかのトンネル。しかし、道はあるので進んでいく。




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 ここは、「土橋」らしくもみえるが、どうだろう。




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 この辺りの地形も人工的。遺構だとしたら、たぶん上掲図の、階段状の「小曲輪」辺りにあたる、と思う。




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 急に開けたところに。この辺りが「西曲輪」か。相変わらずの深い薮だが、道は続いている。




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 お、行き止まりか、と思いつつ進めば、




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 やっぱり道はある。




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 これも道(笑)。崖をよじ上るような道だが、実際にみると、道は意外にはっきりわかる。




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 また開けた場所に。どうやらこの辺りが一番高い場所になるようだ。つまり、「本曲輪」はここだろう。




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 わかりにくいが、左側の盛り上がりは「土塁」の遺構らしくみえる。




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 ただ、いよいよ薮は深くなり、先へ進む道は失われた。この先にも、曲輪が尾根伝いに続いているはずなのだが。




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 こんなものが。これは、収穫したみかんを乗せて山から降ろすときなどに使うモノレールみたいなトロッコみたいなリフトみたいなもののレール(正しくはなんて名前なんだろ)。みかん山ではよくみられるものなので、「農地」とはみかん畑のことだったようだ。しかし、それも薮に埋もれている。農地としてもまた、放棄されて久しいのだろう。




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 「本曲輪」北側伝いに、道(これでも)をみつけたので進んでみる。




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 しかし道はすぐまた薮のなかにきえてしまった。みつかったのは、これだけ。「二の曲輪」の方へは行けなかった。ということで、そろそろこの探訪は終わりとしましょう。思ったよりは歩きやすかったけれども、荒れていることは確かであった。たぶん、夏場に来たら、草はもっと茂っているだろうし虫やなにかはたくさんいるだろうしで、こんなにすんなりとはいかなかっただろう。あるいは、一番よい季節に来たのかもしれない。史跡としてもう少し整備されたら嬉しいのだが。

 永禄十一年(1568年)十二月十三日、あっという間に今川氏真から駿府を奪ってしまった武田信玄だったが、素早かったのは北条氏政の後詰めも同じことで、その同じ日にはもう薩埵峠は北条軍が押さえてしまった。無論これは信玄も想定していたことだったろうし、それだからこそ、駿府攻略を急いだ部分もあっただろう。信玄はこの横山城を奪取するとすぐさま改修を始め、それを重臣穴山梅雪に守らせる。駿河と甲斐とをつなぐ、武田にとっては唯一の退路である身延街道の、入り口を押さえるこの城は、何としてでも守らなければならなかったのである。




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 この地図でわかる通り、北条陣が取った薩埵峠と、この武田の生命線たる横山城とは、興津川を挟んでまさに眼と鼻の先の距離にある。この城を押さえることに成功した信玄は、辛くも本隊を甲斐に撤退させることできたが、薩埵峠の北条軍と横山城の武田軍とは、何度も小競り合いを繰り返した。その膠着状態は結局、永禄十二年(1569年)の十二月になって再び信玄が駿河に侵攻するまで続いたようである。

 その後の横山城はというと、天正十年(1582年)の武田氏の滅亡とともに廃城となったという。駿河における戦乱の終焉は、「戦う城」である山城の役割の終焉でもある、ということはここでも同じであったということだが、この東海道と身延街道との分岐点の、「交通の要衝」としての重要度には変わりはなかった。あるいはそのことを示すともいえそうな史跡が、この近所にあるので、次回、そちらをみてみましょう。それでは。





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