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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『戦う操縦士』その1

戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)
(2001/08)
アントワーヌ ド・サン=テグジュペリ

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「戦争」との戦い

 4回ほど、ヒトラーの『わが闘争』についての記事を書かせていただいた。ありがたいことに幾つかの拍手などもいただき、こんな過疎ブログの管理人としては嬉しい限りなのではあるが、正直、あのような「悪書」を読むのは非常に骨が折れる作業で、上巻を読み終えたところで止まってしまい、なかなか下巻を手に取れずにいる。

 そこで、この本を読むことにした。この本が、「ヒトラーの『わが闘争』に対する、民主主義陣営からの最良の返答」だと、評されるものだからだ。勿論、この本がいわんとすること、あるいは、人類史だとか文学史的な意味においてこの本が占める位置、というものが、この評価だけで全て語り尽くされている、という訳ではない。

 この本は決して複雑で難解なことを主張している訳ではないが、しかし、単純だからといってそれは一面的であるということではない。たったひとつのダイアモンドが、みる方向、当てる照明によって様々な輝きをはなつように、単純であっても多面的であることは、優れた文学作品の常だ。

 よってこの本について、私には様々いいたいことがあるのだが、せっかく『わが闘争』を読んでいる最中、ということもあるので、今回は、とりあえずこの「民主主義陣営からの返答」としての『戦う操縦士』とは、いったいどういうものなのか、この点に絞って、私なりに考えてみようと思う。

 ヒトラーは『わが闘争』の第一巻第十一章において、こんな主張を展開する。それは、義務の遂行、即ち「自己自身を満足させるのではなく公衆に奉仕する行為が出てくるところの、根本的な志操」を、エゴイズムや私利と区別して、「理想主義」と呼ぶ、というものだ。

 ヒトラーは、その彼の所謂「理想主義」だけが、

 「・・・われわれが人類に文化といっているものの前提条件で過去にあったし、現在あり、また未来もあるだろうということ、それどころか理想主義のみが「人間」という概念を創造した・・・」

 のであるといい、「アーリア人種」の優越性は、この「内的志操」の唯一の保持者であることに由来する、という。つまり、「アーリア人種の優越」のみならず、社会への自己犠牲的な奉仕、また彼がその「志操」なるものの正反対の性質をしかもたないと決めつけたユダヤ人への差別政策、あるいは世界征服の野望にいたるまで、 この「理想主義」なるものによって正当化されているのだ。

 このヒトラーの「理想主義」と、サン=テグジュペリが『戦う操縦士』のなかで訴えるものとを比較してみるとき、確かに、この本は「『わが闘争』への返答」たるに相応しい、と思われた。なので、話の焦点をこのあたりに当ててみようと思う。ただ、ややこしさを避けるために、ヒトラーの「理想主義」のことは、その実質にさらに相応しい呼び名であるところの「全体主義」の名で呼ぶことにしよう。それはようするに、全体の利益ために個人的な欲求などは圧し殺すべきだ、という考え方に他ならないからだ。

 このふたつの書物の対立が悲劇的、かつ無視できないものとなったその理由は、その対立が単なる意見の相違にとどまらず、実際の戦争という形で、具現化してしまっているということにある。しかもその対立の一方の担い手であるサン=テグジュペリ自身が、まさにその当事者として、戦渦の真っただ中に身を置いている、という点で、さらに我々の心をとらえる。

 彼の意見に賛同するのか否かは別として、どこか安全な街の書斎からではなく、敵の対空砲射にさらされる軍用機の操縦席から語られるその言葉には、やはり肌身にしみるような現実味がある。彼の『人間の土地』を、あるいは『夜間飛行』でもいいのだが、彼が航空事業の開拓者として、アフリカの砂漠や南米の上空を飛んでいた頃のことが語られた本を読んだことがある者には、この『戦う操縦士』は、読み進めることすら辛いと感じられるものだ。

 かつて、航空機による長距離国際郵便という未完成の事業のための、航空路の開拓という冒険的飛行に挑み、何度か命を失いかけ、同僚の死を何度か経験し、その果てに、事業の完成というよりは、人類の文化だとか、伝統だとかいうものの重みや、人間性というものの尊さを見出し、空高くからそれを、感動的で詩的な言葉で綴ったあのパイロットが、敗走する軍隊の一兵士として、再び我々の前に現れる。

 あの明けることのない夜に、荒れ狂う颱風に、天に至るような山脈越えに、果敢に挑んでいった優しい勇者の姿は、いったいどこにいってしまったのか。課せられたのは、ほとんど成功する見込みもなく、仮に運よく成功したとしても、持ち帰った情報は何の役にもたたないとわかりきっている、あまりにも無謀で無意味な偵察任務。無気力に疲れきった表情で、あらゆるものに愚痴をこぼしながら飛び立つフランス空軍の偵察機部隊の大尉、それが1940年の、サン=テグジュペリの姿だった。

 彼の翼の下に広がるもの、それは最早果てしない砂漠の静寂でも、夜の大西洋の漆黒でも、雲海の幻想でもない。崩壊する祖国だ。ドイツ軍の侵攻がもたらした恐慌が、全てを破綻させた。かつての「村人たち」は、村という囲いから溢れ出し、ただの混乱した「群衆」になってしまった。彼らの荷車だの、自動車だのに満載された「いままでは家の面ざしを形づくっていた」、「思い出によって美化された」家財道具は、あるべき場所から引き離され、最早ただのガラクタ、「胸をむかむかさせる代物」の堆積でしかなくなった。

 その様子を、作者はどれほどの悲しみをもって眺めたのだろうか。真夜中の空高くから、街々の、村々の灯火をあれほどに愛おしんだ彼が、そのひとつひとつの灯火の守り主たちがこうしてばらばらに逃げ惑う姿を目の当りにして、何を思ったのだろうか。あるいは、『南方郵便機』のなかで、古い家というものと、それを形作る魂のような、何世代も伝えられた家具調度やこまかな道具類というものへの、限りない愛着を、あれほど繊細に描いてみせた彼が、荷車に山積みにされた椅子だの額縁だのの醜悪な有様を目の当りにして、何を思ったのだろうか。

 いや、彼も最早、そんなことには思い至らないのかもしれない。彼はいう。

 「出撃しようとする私も、ナチズムと西欧との抗争など考えない。ただ直接的な細部のみを考える。高度七百メートルでアラス上空を飛ぶことの馬鹿さ加減を思うのだ。」

 つまり彼もまた、崩壊する祖国、壊滅する軍隊の一部に相応しい者となってしまったのだろう。ただ、任務の遂行という、軍人としての義務だけが、彼の支えとなっているに過ぎない。いや、その支えさえも、ときにおぼつかなくなる。完全に制空権を敵に握られた状態での、敵情偵察なのだから、一瞬たりとも気は抜けないはずだ。しかし彼の想いは、あちこちへと四散する。学校の教室での思い出だとか、家政婦のポーラだとか。

 このとき、彼はただの一兵士に過ぎない。戦争を戦っている、というよりは「戦争と」戦っている、つまり戦争という混乱のなかでただ右往左往しているひとりの兵隊に過ぎない。そんな彼を、敵軍の最高司令官であり、敵国の最高権力者であり、そのイデオロギーの最高指導者であるところのヒトラーと、まともに比べる訳にはいかない。

 彼はフランス軍のパイロットだ。しかしそのフランス軍は、雪崩のような敗走のなかで、もはや軍隊としての体をなさなくなりつつあった。

 「勝利だけが人びとを結び合わせる。敗北はある兵士を仲間の兵士から離反させるばかりではなく、その人間を自己自身からも離反させる。逃亡兵たちが崩壊しつつあるフランスに涙しないのは、彼らが敗者だからだ。彼らの周囲にではなく、彼らの内部でフランスが敗北しているからなのだ。フランスに涙するためには、すでにして勝利者でなければならない。」

 破れ去りつつある軍隊に身を置いたことのある者だけが、きっとこうしたものを実感するのだろう。そして作者自身もまた、そうした敗残兵に身をおとしつつあったのだろう。課せられた任務への集中力を持続できないのは、そのためだ。家を捨て村を捨て、逃げ惑う群衆となりはてた、眼下の気の毒な人々と同じように、彼もまた、軍隊の秩序からこぼれ落ち、戦線から敵に追い立てられ、指揮官もいないままにただ後方へと退却しつづける敗残兵になりつつあったのだ。

 民間航空会社のパイロットだった彼には、ヒトラーに相対する権利があった。事業のために、命がけの冒険飛行を幾度もこなし、彼の飛行機をたたき墜とそうとする全て、夜や風、故障や恐怖などの全てに、敢然と立ち向かっていたかつての彼には、間違いなく、どんな人間に対しても、その想うところを主張する権利があり、その言葉は、どんな相手にも力強く響いたはずだった。

 しかし、偵察機とはいえ武器を備えた軍用機を操縦する、空軍大尉としての彼にその権利がないとは、何という皮肉だろう。しかしそれが事実だ。彼は確かに戦っている。命令通り、ほとんど成功の見込みもなく、生還の見込みすら乏しい任務のために出撃したのだから。しかし彼はもう諦めてしまっている。郵便物を届けることを最優先し、決してそれを諦めようとしなかったかつての彼との違いは、そこにある。

 ヒトラーはいうだろう。共同体、つまり国家や軍隊への帰順を忘れ、ばらばらになった者たちなど、わが「理想主義」の担い手であるドイツ民族の敵ではない、と。そしてまさにその通りなのだ。最早彼には、ヒトラーと対峙するどころか、ドイツ軍の一兵卒と戦うことすらおぼつかないだろう。

 彼は、かつての彼にたちかえる必要があった。次回は、そのことについて、書いてみようと思います。


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コメント


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はじめまして。

我が部屋に、いつも訪問ありがとうございます。
文学から遠ざかっている私ですが、こちらを訪れると妙に幸せな気持ちになります。
やっぱりいいなぁ・・・文学、と。
この本、読んでみたいなぁ。読みたい本リストに追加します。

ところで何度もこちらにコメント投稿を試みてスパムとしてハネられてしまってるのですが、何か設定されてますか?
何か私の文面にマズイ用語が混じってるのかしら・・・。

彩月氷香 | URL | 2011-04-20(Wed)22:55 [編集]


Re: はじめまして。

いらっしゃいませ。そしてコメントありがとうございます。
いつもこっそり訪問させていただき、楽しませていただいております。
私が普段あまり読まないようなジャンルの本について、
簡潔に紹介してくださるようなブログは、非常にありがたいのです。
私は極端な遅読なので、現代作家さんのものも
本当は読みたいんですが、読む時間がないもので・・・
『戦う操縦士』は、ホントにおすすめです。
私の読み方は、ずいぶんカタヨッテますが(笑)

コメント、ハネられますか?ほぼ何でもOK設定のはずなのですが・・・
正直、FC2の仕組みについて、よくわかんないまま書いてるので、
多分、何か、ゴメンナサイなことになってそうです。
設定、見直してみます・・・

静磨 | URL | 2011-04-21(Thu)02:26 [編集]