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朝日山城 その2


 朝日山城 その2




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 「想像図」。ご参考までに。
 



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 「遊歩道」の途中、最初に下から見上げた「竪堀」を、上から。こちらからも、やはり木の茂りのために全体像はつかみにくい。




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 遊歩道は尾根伝いに伸び、やがて開けた場所へ。「想像図」によれば、眼の前の高まりが、「南曲輪」があったとされる場所ということになるようだ。今は、ご覧の通りお茶畑である。




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 その辺りからの景色。向こうの山の麓にみえる町並みは、東海道の旧岡部宿のあった、藤枝市岡部町のあたりである。太平の世となり岡部宿がここにおかれていた時代に、さて、この朝日山城の城主であった岡部氏はどうしていたのかというと、どうやら、この辺りの領主であり続けていた、という訳ではなかったらしい。

 今川氏の重臣であった岡部氏であるが、桶狭間に今川義元が討ち死にし、次の氏真の代に至って今川氏が滅亡した後には、駿河、遠江の地は、甲斐の武田氏と三河の徳川氏とが奪い合うところとなり、その時代の波に翻弄されることとなったようだ。昨年のNHK大河ドラマの真田、あるいは今年の井伊などと同じく、岡部氏くらいの小領主にとっては、どの有力大名につくかによって、生きるか死ぬか、その命運が簡単に左右される、そんな時代であったということだろう。

 永禄十一年(1568年)に、武田信玄によって今川氏真が駿府を追われると(詳細は先日の「蒲原城再訪」の記事をご参照ください。こちら「カブで史跡めぐり 40・諏訪原城址、再訪」)、岡部氏は今川を見限って武田の家臣となったようだ。そしてそのなかでも注目すべきは、やはり岡部元信であろう。

 この岡部元信という武将は、実は過去に一度このブログにも登場している。高天神城に行ったときの記事である(こちら「カブで史跡めぐり 1・高天神城」)。それをもう一度かんたんにおさらいしてみよう。

 天正二年(1574年)、「第一次高天神城の戦い」において高天神城を攻略、徳川からこれを奪取した武田勝頼は、元信をその城主とした。しかし翌年の「長篠の戦い」における武田の大敗を機に、遠州における徳川の反攻が始まり、高天神城もまたその攻撃目標とされた。つまり、攻守が逆転した訳である。

 武田の手によって、その弱点を補完された高天神城であったが、家康はこれを力攻めで落とそうとはしなかった。横須賀城(詳しくはこちら「カブで史跡めぐり 6・旧東海道 掛川市、袋井市 その3 横須賀城」)をはじめとした付け城や砦を築いて高天神城を着実に包囲した上で、兵糧攻め、という手段を取ったのである。

 たまらず元信は、勝頼に後詰め(援軍)を求めたが、勝頼は勝頼で、北条氏の相手をしていたために高天神城に兵力を割ける状況にはなかった。攻め手の徳川勢が、本拠地である浜松城から簡単に補給を受けられる状況をも考え合わせると、もう籠城をしても勝ち目はないので、仕方なく元信は徳川に降伏を申し出た。しかし家康は家康で、織田信長から、降伏を受け入れるな、という指示を受けていたようなのである。

 これは信長が、勝頼が援軍をだせない状態にあることを知った上で、高天神城を勝頼が見捨てた、という形を作るためだった、ともいわれる。後詰めを得ることも、降伏することもかなわないまま、籠城は半年にもおよび、城の守備隊の大半が餓死するという事態に陥った。

 そして天正九年(1581年)3月、元信は生き残った全兵力をもって、絶望的な攻撃を徳川勢に仕掛ける。結果、大将の元信をはじめ、城兵全員が討ち死にするという実に凄惨なかたちで、この「第二次高天神城の戦い」は終焉をむかえた。

 信長の思惑通りなのか否かは別として、事実高天神城を見殺しにしてしまった勝頼の求心力は低下、これが武田氏滅亡を早めることとなった、ともいわれるが、いずれにせよこの後、徳川および織田の攻勢は勢いづき、遠江、そして駿河の地から武田の勢力は駆逐されていく。その過程において、岡部氏は今度は徳川に臣従することとなる。




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 「展望台」と書かれた道しるべがあったので、そちらに歩いてみると、




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 そこには、桜の花にかこまれた展望台があった。




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 早咲きの「川津桜」という品種。




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 この日はひどく冷え込み、高速道路では御殿場辺りで立ち往生する車などのあったようであるが、春は、確実に近づきつつあることを、花々が教えてくれる。

 その後の岡部氏一族は徳川の天下統一のために尽力、その功績を認められ、太平の世となった後の寛永十七年(1640年)、岡部宣勝が和泉岸和田藩六万石の藩主とされる。宣勝は名君といわれるほどの善政を布き、岡部氏はそのまま、幕末まで和泉岸和田藩を任された。

 この朝日山城は、というと、その1でも触れた通り、その築城時期と同じく廃城の時期もよくわかっていないようである。戦国期には岡部氏がもう駿府にいたとなれば、かなり早い時期に廃城となっていたと想像されるが、武田氏と徳川氏の攻防戦の際にも使用された可能性もあるようだ。発掘調査がされれば、そのあたりのこともあるいははっきりするのかも知れないが、遺構の大部分が稲荷神社となってしまっているので、それも難しそうではある。

 有力大名が活躍した、大きな城跡の歴史も勿論面白いが、こうした小さな城跡のことも知ると、歴史の大きな流れをつかむにあたり、何というか、対象が立体的に見えてくる気がして面白い。この近辺にも、こうした小さな城跡が散在しているようである。また折りをみてお散歩にいこう思う。それでは、今回はここまで。 




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