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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

朝日山城 その1


 朝日山城 その1


 2月中旬。日の出時刻は6時40分頃、ということで、5時半起床、6時出発の今回の「早朝お散歩史跡めぐりツーリング」。しかし国道1号線の交通情報の電光掲示に、「東名高速、沼津ICから大井松田IC間、積雪のため通行止」の表示。

 この区間が雪のために通行止めになる、ということは、静岡県内はもう、嫌になるほどに気温が下がっているということを意味する。そんな日の、明け方という、最も寒い時間帯にスーパーカブを走らせる、なんてことは正気の沙汰ではないのである。東の空はそろそろ朝日の最初の輝きが顔を出しつつあるも、「バラ色の指をもつ」とホメロスの叙事詩にうたわれる暁の女神エーオースの、ご自慢の指先もかじかむかと思われるような冷気のなか、静岡市の自宅から国1を西へとひた走る私の指先も、冷たいを通り越して痛くなるほどであった。

 そんな思いをしながらも向かったのはお隣の藤枝市であった。カブの燃料計をみればほぼE線辺り、ガス欠になったりしたらシャレにもならないので、藤枝市内に入ったところで24時間営業のセルフスタンドに立ち寄る。カブのガソリンタンクのキャップを開け、背負っていたバッグをひらいたところで硬直した。なんと、財布を忘れたのである。

 ズボンのポッケに手を突っ込む。ぽろぽろと出てきたのは合計538円分の小銭。これだけあれば、なんとか、カブのタンクは満タンに出来そうだ。小銭を財布に入れずにポケットにバラで入れる私の昔からの習慣に感謝したが、残念なことに、大概のセルフスタンドの自動精算機は、小銭での支払いができないのである。

 時間をみれば、いまだ6時半を過ぎたころ。こんな時間に営業している、セルフじゃないスタンドなんかあるかなあと、情報強者(笑)の私はさっとスマホを取り出して、近辺のガソリンスタンド情報を調べる。スマホを扱う指先を寒風に悲しくふるわせつつ、なんとか、7時開店の店をみつけた。 

 7時まではまだ少々間があり、先に目的地に行ってしまって、給油は後にする、という選択肢もあったが、折角の史跡めぐり、後顧の憂いもガス欠の恐れも払拭したのちにゆったり行いたいものである。ということで近所のコンビニで時間つぶし、あったかい飲み物など買ってしまいたい欲求をおさえつつ店内をあやしくぶらついた後、ようやく、開店直後のスタンドにて、「五百円しかないよ」と恥をしのんで宣言した後に給油してもらった。ガソリン代457円。残金81円をポケットのなかにチャラチャラと寂しく鳴らしつつ、いざ、目的地へ。

 東名高速道路焼津インターの取り付け道路である県道81号線を、インターから北上、国道1号線の高架をくぐると、道は第二東名高速道路藤枝インターへむかう自動車専用道路になってしまうので、その側道に入って500mぐらい。すると、




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 ようやく本日の目的地、「朝日山城跡」に到着です。いちおう、周辺地図も。




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 「朝日山城」は、室町時代に築かれた、岡部氏の本城、とされているが、正確な築城年は不明であるようだ。

 文献上に、岡部郷というこのあたりの古い地名を名字とした岡部一族の名があらわれるのは、平安時代の終わり頃のようである。奈良時代の藤原武智麻呂を始祖とする、藤原南家の流れを汲む武家である工藤氏から分かれた岡部氏は、鎌倉時代にはすでに、岡部郷の地頭に任じられた、駿河における代表的な武士団であったという。

 ただその後の岡部氏については、よくわかっていないらしい。記録がない、ということのようである。確かなところでは、ずっと時代がくだって天文五年(1536年)の、今川氏の内訌である『花倉の乱』の際に、岡部氏は栴岳承芳すなわち後の今川義元の軍勢に加わり、その勝利のために貢献したようである。この城が室町時代のものだということは、つまり、少なくとも今川氏が駿河の守護となってから後は、岡部氏は今川氏の家臣としてあったと考えてよいだろう。

 しかし、今川氏の家臣団の一員であったということは、義元時代以降、岡部氏が戦国の荒波に飲み込まれてしまったことは、容易に想像できる、というものである。が、それはのちほど、ということで、とりあえず、城跡をみてみましょう。




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 とりあえず、例によって現地に掲示してあった全体図の、見にくい写真を。ご参考までに。ただし、城跡全体の学術的発掘はなされておらず、これはあくまで想像図である。「一の曲(本曲輪)」以外の曲輪については、その配置あるいは本当にあったのか否かも含めて、正確なところはわかっていないようである。一枚目、山の麓にごちゃごちゃっと書いてある辺りから、入っていく形になる。




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 入り口。城跡の主郭部は現在稲荷神社となっているので、一見「城跡らしさ」はみられず、神社の入り口にしか見えない。




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 しかし鳥居の前には、ちゃんと城跡であることを示す看板があります。




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 その鳥居をくぐってすぐ、目の前にあらわれるのが、この大きな「竪堀跡」。木が茂っていてちょっとわかりにくいが、かなりの規模である。ただ、これは自然地形ではないか、という説もあるようである。




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 しばらく山道を登っていく。つづら折りの道が急斜面を一気にあがる感じ。




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 そして、尾根筋に。まっすぐに参道が続く。上掲想像図によると、この辺りから曲輪が階段状に並んでいたんじゃないか、ということらしい。




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 稲荷神社拝殿。




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 本殿。このあたり、後世の手が多く入り、城として機能していた頃の形がはっきりしないようだ。




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 そして本殿の裏手が、「一の曲輪(本曲輪)」である。ここだけは、城の本来の形がよく保存されているという。




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 左手の盛り上がりは、土塁の跡である。

 この本曲輪の規模の小ささ、そして前述の通り竪堀とされているものが自然地形の谷間であるらしい、ということ、そしてさらには、戦国期には岡部氏は今川氏の重臣として駿府の屋敷にいたことなどから(加藤理文編著、『静岡県の歩ける城70選』参照)、現在見られる遺構は室町時代初期のものではないか、という説もあるようだ。




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 先ほどの拝殿脇から、遊歩道が尾根伝いに伸びている。そちらへ向かいつつ、次回へ続く。




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