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北街道 その4


 北街道 その4  龍雲寺、寿桂尼の墓




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 巴川を渡った先、「沓谷5丁目」の交差点。北街道はそのまま西へ続くが、またしても寄り道のために、ここを左折する。


 

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 そしてひとつ目の信号を右に。この北街道バイパス、通称「新北街道」に入る。




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 そして1kmほど行ったところの、この点滅信号を左折して、左手にみえる小山の方へ入っていく。




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 突き当たりにあるのが、この「洞谷山龍雲寺」である。




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 お堂の裏に墓地があり、そのさらに奥へ続く小道を辿ると、




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 右への脇道があるのでそちらへ。




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 すると見えてくるのが、この「寿桂尼の墓」である。

 寿桂尼は、公家の中御門大納言宣胤の娘で、駿河今川氏第七代氏親の正室であったひとである。氏親の文化人的側面の形成に、京の公家の娘である彼女の影響は無視できないだろう。その氏親の晩年期には、彼女は病気がちになった夫の政務をも補佐していたという。そして永正十年(1513年)、氏親が死んだとき、嫡男氏輝はまだ十四歳であったため、寿桂尼はその補佐役として息子である若き当主を助けた。というよりむしろ、最初の二年ほどは、実質的には寿桂尼が国務を取り仕切っていたようだ。

 だがその氏輝が、成長し、ようやく当主として自立して二十四歳になったときに、弟の彦五郎とともに突然死んでしまうのである。そしてそれをきっかけに、実子の栴岳承芳(後の今川義元)と、側室の子である玄広恵探が家督を争って内訌を引き起こすということまで起こった(この「花倉の乱」の詳細は、こちらをどうぞ「カブで史跡めぐり 33・花倉城」)。寿桂尼の心中、察するに余りある、というものである。

 さらには、その晩年には「桶狭間の戦い」における義元の討ち死にという、またしても実子を失う不幸を経験しなければならなかった。寿桂尼が没したのは、桶狭間から8年後の永禄十一年(1568年)三月であった。京の公家から武家に嫁ぎ、今川氏を守護大名から戦国大名へと脱却させた氏親の妻として、そして若年の当主氏輝、今川氏の最盛期を形作った義元の母として、さらに戦国大名今川氏の最後の当主氏真の祖母として生きた寿桂尼の人生は、なんだか、ドラマに仕立てたならば、今年のNHK大河ドラマの「女城主」よりも面白いんじゃないか、などと思うのは私だけだろうか。

 先日の蒲原城の記事でふれた通り、寿桂尼が亡くなったその年の末、十二月十三日には、駿河に侵攻した武田信玄に追われ、義元の後を継いだ氏真が駿府の館から掛川城に逃れている。今川氏はその後駿府に復帰することはできず、掛川において家康に降伏、戦国大名としては完全に力を失ってしまうことになる。この今川の没落を知らずに世を去ったことだけが、あるいは寿桂尼にとっては幸運であったといえるのかもしれない。ただ、お家存亡の危機の直前に、力強い助言者を失ってしまった氏真、そして駿河今川氏にとっては、実に不運なことであったしかいいようがないが。




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 新北街道は、この「沓谷二丁目」の交差点で旧来の北街道と合流、そのままさらに西へのびていく。




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 ご覧の通り、次第に市街地に入っていく。正月三日ということで交通量が極端に少ないが、いつもはひっきりなしに車の往来があるような場所である。




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 そして、この「水落」の交差点。ここが、今回の「北街道めぐり」の終点となる。北街道自体は、この先もう少し、最終的にはJR静岡駅近辺の繁華街、すなわち旧府中宿のあたりまで続くのであるが、この交差点を右折すれば、




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 そこは駿府城の外堀沿いの外周路なのである。

 この駿府城については、去年の夏に家族で見学に来たときに記事にしているので、詳細はそちらをご覧いただければと思うが(こちらです「日々の出来事 29・駿府城址見学」)、一カ所だけ、また見に行きたいところがあり、それを今回のゴール地点と決めていたのだ。

 それは、去年から始まった天守台の発掘作業の現場である。夏にみたときには、石垣の一部がようやく顔を出したぐらいであったが、昨年末に、この近所に職場がある妻が、昼休みのお散歩の途中に、さらに発掘が進んで大きく姿をあらわした石垣の様子を、写真に撮って送ってくれたのである。それを見て以来、ずっと来たいと思っていた。期待を胸にその現場に行ってみると、




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 なんと、普段は一般公開しているのに、この日はこうして入り口が閉鎖されていた。まあよく考えてみれば、正月三日、発掘作業のひとが誰もいないのに、現場を一般に解放している訳はないよね……。仕方がない、その妻が送ってくれた写真で我慢しよう。




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 これが、去年の夏の様子。




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 そして、これが妻が年末に撮った写真。うむ、絶対にまた見に来るぞ。

 と、いうことで、なんだかぐだぐだな感じのエンディングになってしまいましたが、今回の史跡めぐりはこれでおしまい。この駿府城周辺にも、今川、徳川にゆかりの史跡などが幾つかあるので、また来ようかと思っている。それでは、また。




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