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北街道  その3


 北街道  その3 
 旧瀬名川宿にみる東海道の歴史





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 「梶原堂」入り口からさらに西進、ショッピングセンターなどを過ぎた先で、道は再び国道一号バイパス(静清バイパス)をくぐる。




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 そして、この「瀬名川交差点」に出る。このあたりから、我が地元である瀬名川の街に入っていく。

 地図で確認してみる。




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 黒い矢印が、今辿っている北街道、黒い丸が、今いる「瀬名川交差点」である。その先に青い矢印があるが、これは北街道のバイパス道路であり、片側二車線の広い道で、地元では「新北街道」などと呼ばれている。そしてもう一本、赤い矢印があるが、これが、中世頃の東海道である。

 東海道は、歴史的には大きく四つに分けられるようである。すなわち、古代、中世、近世、そして現代、である。つまり日本史的な時代区分と、だいたいその変容の時期を同じくしている、ということである。道というものは、そこを通るものたちの都合によって、あるいは自然環境の変化等によって、その姿を不断に変化させるものであるが、東海道のように重要度の高い街道においては、時の権力者、為政者の都合が、その有り様により多くの影響を与えてきた、ということであろう。

 古代の東海道においては、律令国家の治下、主に緊急の場合に中央政府と各地の国府とを連絡する文書伝達の制度としての駅家制と、通常時の物資、人員等の移動手段としての伝馬制という、ふたつの制度によって運営、管理されていたという。よってこの時点で、街道の各地にはすでに駅が設けられて、その制度を支えていたのである。

 その頃の東海道が、この駿河の国府近辺で、いったいどの辺りを通っていたのか、というと、これまで諸説あり、この瀬名川をすでにその頃には通過していたのでは、という説もあったようであるが、平成七年に、現在JR東静岡駅の北側にある「グランシップ」というコンベンションセンターを建設する際に発見された遺構(曲金北遺跡)が、どうやら古代の東海道であったようである。

 この両側に側溝を持った道路幅約9mの道路遺構は、陶器などの出土品から、西暦700から800年代にかけて使用されていたものと推定されるそうだ。つまり大体奈良時代とその時代を同じくする訳だが、場所的には瀬名川からは3、4kmほど真南に位置する。すなわち、この頃に瀬名川を東海道が通過していたとは考えにくい、ということになる訳である。

 文治元年(1185年)、源頼朝は、弟義経の追討を名目に、所謂「文治の勅許」を得、諸国への守護、地頭の設置を公的に認められる。と同時に、頼朝は街道沿線の荘園に伝馬やその食料等を支出させることにした。これが所謂「駅路之法」であり、これが鎌倉時代の東海道すなわち「鎌倉街道」の運営の基礎となる訳だ。

 この「駅路之法」の施行直後は、なかなか体制が整わなかったようだが、次第に道や橋等の設備とともに、各地に宿の設置も進んでいく。その過程において、瀬名川宿も成立した。上記曲金北遺跡の道は、900年代初頭にはもう廃棄されていたようであるから、それから鎌倉幕府の成立(いい国? いい箱?)頃までの間に、東海道はその道筋を変え、この瀬名川を経由する形になっていた、ということだろう。
 



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 「瀬名川交差点」のそば近くにある、「瀬名川公園」のトイレの前には、鎌倉街道時代の石畳に使われていた石材が敷かれてある。しかしなんでトイレの前にしたんだろう(笑) では、実際にその「鎌倉街道」、つまり、上掲地図の赤矢印のルートを走ってみよう。




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 「瀬名川交差点」を左折、南へ向かい、この東名高速道路の高架の手前の信号を右折する。




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 この狭い市道が「鎌倉街道」、中世の東海道である。




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 数百mで、道はどんどん狭くなる。この辺りが、多分最も古い時代の瀬名川の中心である。狭く曲がりくねっており、あるいは、かなり古い時代の道筋をそのまま残しているのかもしれない、などと思いつつ。




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 その先、新しく広い道を渡って数十mのところにある、「矢射タム橋」の石碑。これについては過去に一度書いている(こちら「カブのこと 4・鎌倉街道(徒歩0分) 梶原一族最期」)。鎌倉を追われた梶原景時が、待ち伏せされ、矢を射かけられた場所である。




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 さらに先へ。この辺りになると、最早旧街道の面影は全くない、ただのまっすぐな生活道路である。




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 小学校に突き当たり、道は途絶える。周囲の地形の変化、あるいは高速道路の開通等で、今回走った区間の東側、西側ともに、古い道の多くの区間は失われているように思われる。ちゃんと調べた訳ではないので、確かなところはわからないが。

 


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 北街道に戻り(地図の黒矢印)、500mぐらい進むと、




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 長尾川。この川は小学生時代の私の格好の遊び場であった。当時はオイカワだのナマズの稚魚だのを手づかみできたものだが、今はもういないかも。また、この川は隣の小学校の学区との境界線であり、小学生同士の石の投げ合い合戦の古戦場でもある(笑) ……それはともかくとして、この川の上流では、家康による駿府城築城のとき、石垣用の石材の切り出しがおこなわれた。




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 次に現れるのは、巴川である。このブログでは何度も登場しているが、「ちびまる子ちゃん」の家の近所を流れている、あの川である。この川の河口にあったのが江尻宿、および清水湊であり、江戸時代には、その河口域から駿府城下への、物資運搬路としてこの川が利用された。

 さて、このあたりから、次第に静岡市の中心市街地に近づいていく訳であるが、またしても次回に続きます。
 

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