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北街道 その2


 北街道 その2 光福寺、梶原堂




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 秋葉寺から西進。前方に見える東海道新幹線の高架をくぐり、さらに進む。




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 次に見えてくるのは、国道1号線バイパスの高架。ちょっと変則の交差点でややこしいが、これを斜めにくぐると、




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 その先は、この県道67号線が「北街道」となる。




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 「押切」の交差点。ここを右折して、また寄り道。




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 この「竜南街道」で山のほうへ。




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 やがて街道は、この交差点で途切れる。が、めげずにさらに直進、写真奥にみえる狭路に入る。




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 この路地もまた、丁字にぶつかるので、ここを左折。かなり狭い道。




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 すると左手に山門。「光福寺」というお寺である。駐車場は、狭いけれどこの山門の右側にあるので、車等はそちらに。私はあんまりお寺には(神社とくらべて)立ち寄らないけれど、ここは是非訪れたいと思っていた。




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 その理由が、このお堂である。大正13年から昭和2年にかけて建設され、鉄筋コンクリート造りのお寺としては、日本でも最も古い部類に入るもの、だそうだ。




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 私はこのブログに以前、お寺はやっぱり木造がいい、なんてことを書いたことがある。その思いに変わりはないけれども、ここまで古く、個性的であると、鉄筋コンクリートのお堂でも実に味があって魅力的である。




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 北街道に戻り、また西へ。次にくぐるのは、東名高速道路の高架。




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 その先、「大内」の交差点。ここを山の方へ行けば、山の中腹にある霊山寺、というお寺への登り口へといけるのだが、そこのことはは過去に記事にしているので(これです。「日々の出来事 15 『観音様と山桜』」)、今回はパス。




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 その先、この看板の下、




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 この石柱のある交差点を右へ。




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 そして最初の脇道を左に入ったところにあるのが、この「梶原堂」。しかし、なんでお堂の前にトイレなんか設置したんだろう、と思って近づいたら、これは「老人いこいの家」でした(笑) お堂はその「いこいの家」の左奥、




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 こちらでした。




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 そしてその脇に並ぶ、お墓。これは、この近くの山上に自刃して果てた、源頼朝の重臣梶原景時とその一族のお墓である。その詳細については、これまた過去に、この近所をカブでうろうろしたときの記事に書いたので、そちらをどうぞ(「カブのこと 4・鎌倉街道(徒歩0分) その1、梶原一族最期」)。

 世の「判官贔屓」に対抗して、という訳でもないが、このブログは一応、「梶原贔屓」の立場にある、ということになっている(笑)。よってここでも、頼朝に告げ口をして稀代の英雄義経の貶め、自分は将軍の側近に収まった卑劣なヤツ、という梶原景時の悪印象を払拭し、イメージアップを図る試みをしてみようかと思う。

 一般に抱かれる景時のイメージとしては、平家との戦いの最中に義経と対立し、その後、義経を貶めるために頼朝にあることないこと吹き込んで義経を討たせ、自分は幕府内において重席を担うに至るも、頼朝の死によって後ろ盾を失い、他の有力御家人らによって鎌倉を追われ、この駿河の片田舎において地元の御家人に追いつめられて、最終的には一族郎党自害して果てた、と、こんなところだろうか。

 しかしこれらのことは、『平家物語』や『源平盛衰記』』、『吾妻鏡』といった、あくまでもそれらが編纂、成立した時代の権力者に都合の良いように描かれたものから生まれたイメージであり、評価である。そしてその権力者とはすなわち、鎌倉幕府を執権として牛耳った、北条氏である。

 そう、すべては北条氏の立場から、北条氏の都合の良いように解釈されているのである。そしてそれは、単に「歴史を自らの都合の良いように解釈した」というにとどまらず、そもそもの初めから、すべては北条の企みに沿って事が進められていた、と考える事はできないだろうか。そもそもの初め、すなわち、頼朝が、打倒平家の旗揚げをする、それ以前に、頼朝と北条政子がいい仲になった、そのときから、である。

 以前取り上げた、永原慶二著『源頼朝』によると、流人時代の頼朝が、配流先である伊豆の国の有力豪族である北条時政の娘、政子と恋に落ちたとき、父時政は最初、二人の恋仲に反対であったようである。当時世は平家の絶頂期であるから、よりによって源氏の嫡流の男と自分の娘との仲など、反対するのは当然といってよいだろう。だがほかならぬ政子の情熱に負けて、時政はふたりを許した、ということになっている。そしてまさに、あるのはすぐれた血統だけの、スカンピンの流刑人頼朝の、強力な後ろ盾となるのである。

 だがこの時点ですでに時政が、頼朝を利用して平家打倒が成った後、実権を源氏から奪って北条の世とするために行動していたとしたら、どうだろうか。よくいわれる「北条陰謀論」であるが、梶原景時を「正義漢」としてみるとき、なんだかいろいろと辻褄が合うような気がしてならないのである。では以下に、梶原景時復権のための、「梶原史観」とでもいった立場で、独断と偏見と素人考えの浅はかさから仮定されたそのシナリオを追ってみます(笑)

 まず、壇ノ浦以後の、景時の所謂「讒言」であるが、これは、実際に義経が、その後の頼朝を頂点とした新しい体制の秩序を乱し得る存在であったとしたならば、「讒言」どころかそれは忠臣に相応しい「進言」であり、「助言」であるとすべきだ、とは以前にも書いた。そう、古狸の後白河法王にいいように利用されつつあった義経は、新政権にとっては残念ながら危険人物と見なすべき存在であった。よって、これは景時のファインプレーであった。

 教養人であり、武勲も十分であり、しかも、こうして補佐役、参謀役としての能力にも長けた景時を、頼朝が重用するのは当然であった。だがその頼朝の死後、景時は幕府のなかで孤立していく。彼が侍所の別当として権勢を振るったことや、御家人らと対立した二代将軍頼家に、結城朝光のことをまたしても「告げ口」したとされたことなどによるとされるが、これまた、景時はあくまでも将軍家に忠実であり続けたのだ、とみることは可能である。

 つまり、当初からのもくろみ通り、御家人たちを味方につけて幕府を乗っ取ろうとする時政(彼が頼朝を「暗殺」した可能性も十分にあると思われる)に対し、あくまでも源氏の嫡流を頂点とした政権の維持をめざしたのが景時ではなかったか、ということである。そしてそう考えたときに初めて、景時の、そして時政を筆頭とする御家人たちの行動が、いかなる理由、意図のもとに実行されたのか、すっきりと理解できるのではなかろうか。だとするならば、鎌倉幕府という政体を是とする限りにおいては、梶原景時こそは「忠臣」であり、「正義のひと」だというべきであろう。

 以上、多分この頃の歴史に詳しい人には一瞬にして論破されるであろう「梶原弁護」など試みてみました(笑) いずれにせよ梶原景時とその子たちは、鎌倉を逃れ、京をめざしてここまできたところで命運付き、こうして幕府の重臣であった武士としてはあまりも寂しい最後を迎えたのであるが、その終焉の地は、以前にも書いたが私の実家の、そして私の現住所のすぐそば、なのである。よって私は、たとえそれがよくある「トンデモ史観」であろうとも、あくまで「梶原贔屓」を強弁していくつもりである。

 と、なんだか訳のわからない宣言もでてきたところで、次回に続きます。

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