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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

諏訪原城址、再訪  その1


 諏訪原城址、再訪  その1


 諏訪原城には、以前にも来たことがあった。しかしそのときはまだ旧東海道をカブで走ることに夢中であり、城への興味が私の中で大きくなる前のことだったせいか、本当に街道を走るついでにちょっと寄って、なんだかわからないままに城跡を一通り歩いて終わり、みたいな記事になっている。

 だがその後、ほかの城跡をいくつか観て回る内、この諏訪原城の規模といい、その歴史的意義といい、なんだかあんな具合にちょっと触れて終わり、ではもったいないな、と思うようになった。そして機会があったならまた行きたいと思っていたのだが、先日、「塩の道」を相良から掛川まで走った帰り道、ちょうどその近所を通過することになるので、ついでに寄ってしまうことにした。

 一応その所在地を簡単に説明するならば、掛川から東に向かうと、旧国道1号線である県道381号線をひたすら東進、旧日坂宿や小夜の中山峠を横目に牧ノ原の台地を登って、あとは案内看板を頼りに走ればそこにあります……と実にイイカゲンな説明で申し訳ないが、山の中にあるので、たいした目印もないのです。現地の案内看板が一番頼りになります。駐車場もしっかり整備されているので、車、バイクはそちらに。




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 では早速、現地にあった見取り図を。ちょっと見にくいが、図の左上から斜めに下がってきて、下の方を横切って右のほうへ抜ける道は、旧東海道である。つまり、戦国時代にも、いうまでもなく東西を結ぶ最も重要な街道であった東海道を取り込む形で築かれているのである。しかも、図の上方すなわち城の背面は断崖絶壁で、ここを攻めようという者は、東海道からまともに正面突破する他はない訳である。

 現地にあったパンフレットによると、永禄十二年(1569年)頃に、武田信玄がこの辺りに砦を築いたのが、城の初めのようである。徳川・武田の挟撃によって、掛川城に今川氏が滅亡したのがこの年であり、その時はまだ、徳川は大井川以西の遠江を、武田は大井川以東の駿河を、という密約が両者間に生きていたはずだが、この交通の要衝に早速砦を築いた信玄は、もうすでに遠江侵攻を腹の内に決めていたのかもしれない。

 ただ、諏訪原城築城となると、それはどうやら信玄なきあと、勝頼が家督を継いだ天正元年(1573年)になってからであるという。天正元年とはつまり、信玄の所謂「西上作戦」が、信玄の死によって中断された年であるから、勝頼は家督を継いですぐに、築城に取りかかっていることになる。とかく、偉大な父と比較され、また名門武田家を滅亡させてしまった当主として無能扱いされる勝頼であるが、その後の徳川との攻防において、この城が果たした役割の重要さを考えると、けっして「親の七光り」の馬鹿息子などではなかった、といえそうである。

 例えば、その翌年すなわち天正二年には、勝頼は高天神城を攻めている。所謂「第一次高天神城の戦い」であり、その詳細は以前高天神城址に行ったときの記事に一通り書いたつもりなのでそちらを読んで頂ければ嬉しいが、その際にこの諏訪原城が拠点として大いに機能したことは想像に難くない。そして実際勝頼は、「難攻不落」の高天神城を攻め落としているのである。

 勝頼に築城を命じられたのは、馬場美濃守信房であった。武田四天王のひとりであり、小山城や田中城も手がけたといわれる「築城の名手」である。で、城の特徴としては、「三日月堀」と「丸馬出」が組み合わされた、典型的な「武田流」の築城であるという。では、実際みてみよう。




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 駐車場は、上掲図でいうところの、左下に四角く飛び出した「大手曲輪」の、一番南の角あたりにあるので、まず見られる遺構はこの「大手南外堀」跡である。




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 このあたり、現在は茶畑になっているが、ここも城跡、「大手曲輪」のなかである。




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 四角い「大手曲輪」を対角線で横切ると、「大手北外堀」跡。このあたりまでくると、




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 城跡が開けてくる。ちょっと角度がなくてわかりにくいが、大きな「外堀」が城跡を大胆に切り分ける向こう側が、「二の曲輪」になる。とりあえず、外堀に沿って北へ歩く。




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 「外堀」に近づく。山城としてはかなりの規模である。そして「二の曲輪」の広さにも驚かされる。




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 「二の曲輪中馬出」。これも大きすぎてちょっと全体のかたちがわからないが、半円形の典型的な「丸馬出」である。




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 「馬出」であるということは、そこから城内へ入れるということである。「外堀」を横切って「二の曲輪」に。今度は「外堀」の内側に沿って、一気に南下。




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 「外堀」南部で、また堀を渡る。その渡る土橋は「壁立」といわれる。城兵の通路であると同時に、堀の底を伝って攻めてくる敵を食い止める壁としての機能ももつ。堀といっても「空堀」であるから、こうした対策も必要であろう。




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 「二の丸大手馬出」。「大手曲輪」と「二の曲輪」とに挟まれるように築かれたこの馬出には、神社がある。ここに武田の軍神である諏訪大明神を祀ったことから、「諏訪原城」の名で呼ばれるようになった、といわれる。




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 「二の曲輪」にもどり、さらに曲輪を横切った後、「本曲輪」に向かう林間の小道。




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 その途上。「カンカン井戸」。井戸は城の生命線である。




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 そして、城の中枢、「本曲輪」。この先は、次回。


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