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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

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塩の道・相良から掛川 その4


塩の道 相良から掛川
その4 陣場峠



 県道386号線に出たり、裏道に入り込んだりを繰り返しながら、「塩の道」は北西方向に続いていく。




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「応声教院」。855年創建という。




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 観るべきはこの山門。解説文を要約すると、元々は、二代将軍徳川秀忠が生母追善供養のため寛永三年(1629年)に宝台院(静岡市)の大門として創建したものだが、大正七年にこちらに移築された、とのこと。国指定重要文化財、だが、だからといって「重要文化財」と書いた木の板をこんなふうに貼り付けるのはやめたほうがいいと私は思う(笑)




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 その近く、県道沿いに「塩の道」モニュメント。




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 こちらは、ちょっと裏道に入ったところにあった、「秋葉燈」。こうした木造家形の常夜燈は、旧東海道沿いにもみられた。袋井宿の近くにあったものなどは、見事な彫刻が施されたものが綺麗に現存していて見ごたえがあった。




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 しかしここのものは、ほとんど倒壊寸前であった。残念なことである。




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 裏道で、また発見。




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 県道をさらに北西へ。やがて386号は県道38号線にぶつかるので、こんどはこの県道で北西方向、すなわち掛川市街地方向へと進む。やはり、裏道へ入ったり出たりの繰り返しである。

 そして東名高速道路掛川インターの手前あたりで、ラーメン屋さんの角を右折、こんもりと小高い山の東麓を、ぐるりと回りこむように走って、その山の北側、市民病院のあたりに向かう。




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 そこに、その小高い山に登っていく山道の入り口がある。本来、相良、菊川方面から「塩の道」を辿ってきた私から見ると、こちらは掛川側の「出口」にあたる。道順通りに進むならばこの小山の南側から登るべきであり、そちらならば車道が山の上まで続いていて楽チンなのだが、ちょっと山歩きをしたい気分だったので、あえて「逆進」してみた。




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 まあ、山歩きといっても数百メートルに過ぎませんが。




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 峠付近に、例のモニュメント。ここが、「陣場峠」である。今は道路が周囲に縦横にはしり、この山を越える必要は全くないが、かつての「塩の道」はこの山を越えていた。だからこちらの方面から掛川に入ろうという者は、みなこの峠を越えていたのだろう。掛川城攻めの徳川家康も、また。

 桶狭間における今川義元の死後、今川の家督を継いだ、第十代当主氏真。義元時代には同盟関係にあった武田信玄が取り始めた敵対的行動に対し、「塩止め」をもって対抗するも、武田の駿河侵攻をこらえられず駿府の今川館を脱出、掛川城に落ちのびた、という次第については、「その1」のはじめあたりに触れた。

 しかし、今川領に攻め込んだのは信玄だけではなかった。西からは織田信長と結んだ徳川家康が、遠江の今川の拠点を次々と攻略、この峠にまで軍をすすめ、布陣、永禄十一年(1568年)暮れに、氏真のたてこもる掛川城を包囲した。

 孤立無援の掛川城であったが、年が明けてすぐに開始された徳川勢の攻撃をよく耐えた。結局家康は力攻めで攻め落とすことを諦めた。徳川から出された講和案を受け入れる形で、5月17日、掛川城は降伏、開城した。これによって名門今川氏は、戦国大名としては全く力を失なったのではあるが、私としては、援軍もないまま半年近くも城を守りぬき、講和にまでもち込んだこの篭城戦は、氏真にとっては勝利に近い結末であったと思える。静岡人の贔屓目かもしれないが。

 ちなみに、これで今川氏が断絶してしまったわけではない。氏真は、北条氏政の妹を妻としていたので、そのつてを頼って北条氏に保護された。そしてその後も、嫡流のみが今川姓を名乗ることが出来る、という「天下一名字」をまもりつつ、今川の血統は明治まで続いたのである。




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 峠から、掛川の中心市街地をのぞむ。家康も、なかなか攻めきれない掛川城を、ここから苦々しい表情で幾度となく睨みつけたのではなかろうか。

 時計をみれば8時40分。掛川市街地を目の前にして、そろそろ、今回の「塩の道」巡りはおしまいとしましょう。東海道と違って、ローカルでマイナーな街道のためか、やはりそれを辿るのは少々苦労したが、それだけに東海道とはまた違った、寂れた魅力があった。

 今回走った距離は、正確にはわからないけれども、『塩の道ウォーキング』に載っている相良から青崩峠までの道のりの、だいたい五分の一ぐらいだろうか。なんにしても、先はまだまだ長く、しばらくはこの「塩の道」巡りを楽しむことができそうである。それでは、また。



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