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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

塩の道・相良から掛川 その2


 塩の道 相良から掛川
 その2 塩買坂



 小和田哲男氏は著書『駿河今川氏十代』のなかで、応仁・文明の乱において、今川義忠が東軍、すなわち細川勝元の側についたのは、幕府内での争いの動きをみて、というよりは、当時の遠江の守護大名であった斯波氏が西軍についたから、という理由によるのではないか、としている。つまりこの大規模な内乱に乗じて、かつて自らの配下にあった遠江を、斯波氏から奪い返す名目を得るには、そのほうが手っ取り早かった、ということである。




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 戎光祥出版 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著
 ISBN978-4-86403-146-6



 上掲書によると、当時の遠江の政治状況は、ちょっと特殊であったようだ。守護職にある斯波氏は、尾張や越前の守護職をも兼ねていたところから、遠江にはいなかった。よって代わりに遠江を治めるべき守護代がおかれていたのだが、この守護代の甲斐氏も越前の守護代を兼務しており、これまた遠江にいなかったのである。このため、遠江は統一的な支配はなされておらず、各地を国人領主がバラバラに支配しているような状況であった。このために、義忠は「勝機」を見出し、遠江侵攻を開始したのかもしれない。

 義忠は文明六年(1474年)から、遠江への侵攻を始める。無論斯波氏も、今川の動きを傍観していた訳ではなかったので、両者の争いが続くこととなったのであるが、こうしたなかにあって、文明八年、斯波氏に味方し、今川氏に敵対する動きを見せ始めたのが、吉田、相良から牧の原台地、菊川あたりまでを支配していた、勝間田氏とその隣人横地氏の両国人領主であった、という次第だ。

 勝間田、横地両氏は、かつて狩野氏が領有するもすでに義忠に落とされていた見付城を復旧、これに立て篭もった。これを見過ごすわけにはいかない義忠は無論軍勢を率いてこれを攻め落とし、そのまま、先日観に行った勝間田城、そして横地城という敵の本拠地をも攻略した。塩買坂での事件が起こったのは、その両城の攻略を果たした後の、帰路のことであった。

 


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 現在の「塩買坂」の様子。勝利をおさめ、遠州東部の反今川勢力を一気に殲滅することに成功し、意気揚々と帰路についたであろう今川義忠に、勝間田・横地の残党が奇襲をかけ、義忠はここで討ち死にしてしまった。当主の突然の死によって、今川の家内では家督争いが惹起せられたのだが、それを収め、義忠の嫡男氏親を無事第七代今川氏当主の座につけるのに尽力したのが、以前にも書いたが、義忠の叔父にあたる北条早雲であった。氏親はそれに報いて、早雲に駿河東部の領地と興国寺城を与える。そしてこの興国寺城を足がかりとして、早雲は戦国大名の先駆けとなり、伊豆を、そして相模を手中に収め、そこから関東に一大勢力として北条氏が台頭していくのである。いやはや、歴史というものは面白いものだ。

 ところで、討ち死にした義忠の墓がこの近所にあるので、そちらへ向かおう。塩買坂をそのまま下っていくと、




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 県道69号に出る。出た所に、「正林寺」のある方向を示す案内標識があるので、そちらへ向かう。この寺が義忠の菩提寺であり、また、そこへ向かう道が、都合のよいことに「塩の道」なのである。標識から数百メートル進むと、右手に広い駐車場があるのですぐにわかった。




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 ここである。この階段を登っていくと墓地があり、その一番奥に、義忠の墓があった。




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 名門今川氏の当主の墓としては、少々つつましく思われなくもない。せっかくなので、お寺のほうも観に行こう。




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 なかなか立派。義忠のお墓のところに、簡単な由緒書きがあったので、全文を転載しておく。


    今川義忠公の墓

 文明八年(一四七八)
 この地で絶命した 
 今川義忠公追善のため
 永正十四年(一五一七)
 その嫡子氏親公
 国源山昌桂寺を開創し
 後、昌林、正林と寺名を
 改めて今日に及んでいる



 せっかくなので境内をちょっとお散歩。




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 県道に出た。こちらが正面入り口のようだ。大きな灯篭がある。




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 「古戦場」と書いてある。義忠を弔うために、氏親が開いたお寺であるから、ここが「塩買坂古戦場」である、ということはこのお寺にとってとても重要なことなのであろう。さて、先を急ぐとしましょうか。




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 義忠のお墓のすぐ脇にあるこの丁字路を左折。




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 また茶畑のなかの道。大きなタンクがふたつあるが、そのふたつ目のタンクの脇に、




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 分かれ道がある。こちらが「塩の道」。ちょっとわかりにくいが、




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 例の道しるべがまたしても登場(笑) とても助かります。




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 またまたこんな農道をくだっていくと、




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 県道69号にまたしても合流。ここを右へ。




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 Y字路。右は県道244号線。左が県道69号。ここも左の69号へ進む。




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 このあたり、ちょっと入り組んでいます。文章で説明するのは大変だし、多分書いても解かりづらいと思うので、手を抜いて写真だけで済ませちゃいます(笑) だいたいこんな道を走ります。ようやく市街地に入った。このあたりは、もう菊川市になる。




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 この郵便局のある交差点を右折。ここで、これまで走ってきた69号線とはお別れ。ここからは、だいたい県道37号線と、その裏道を走るような具合になる。




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 こんな半鐘などを横目に、裏道を走っていくと、




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 「春日神社」




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 新しい方の道標がまたあった。ただこのあたりから、例の小さな道しるべが見当たらなくなった気がした。私がみつけられなかったのか、まだ整備が追い付いていないのか。

 この春日神社の裏手の山には、城跡がある。勿論、寄って行きますが、それまたは次回に。



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