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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

塩の道・相良から掛川 その1

 塩の道  相良から掛川
 その1 起点、園坂
 


 永禄三年(1560年)の「桶狭間の戦い」における、当時その生涯の絶頂期にあったといってよい今川義元の、誰も(たぶん信長も)予想できなかった突然の討ち死には、駿河から遠江、さらには三河までをも支配していた駿河今川氏を、窮地に追い込んでいった。義元のあとを継いだ氏真に対し、それまでは今川の配下にあった松平元康が、義元の名から得た「元」の字を捨てて「家康」を名乗り、尾張の織田と結んで公然と敵対した。そしてこれに呼応するように、甲斐の武田信玄までもが、それまでの同盟関係を破棄するような行動に出た。駿甲同盟のために信玄の嫡男義信の元に嫁にいっていた義元の娘を、駿河に送り返してよこしたのである。

 これに対し、氏真は「塩止め」という対抗策を取った。ようするにこれは塩の禁輸処置であり、現代風にいうならば一種の「経済制裁」である。海を持たない甲斐の国の武田氏は、駿河湾沿岸産の塩に頼っていた訳であるから、大規模な軍事行動が頻発し、あらゆる物資が大量に必要とされたであろう戦国期において、この策はかなり有効であったのではなかろうか。

 しかしこの武田の窮状に、思いもかけない助け舟が出された。なんと信玄の仇敵、上杉謙信が、日本海産の塩を送ってよこしたのだ。有名な「敵に塩を送る」故事である。これが史実か否かはわからないが、謙信の器の大きさを示すエピソードとして広く知られるところである。そしてこれによって、相対的に「塩止め」をした氏真の、なんというかセコさというか、みみっちさというか、とかく戦国武将らしからぬものとして見られがちな「今川氏らしさ」というもののイメージを強めるようなことになってしまった、と考えるのは静岡人の被害妄想であろうか(笑)

 いずれにせよ結果的にはこの「塩止め」は、信玄に駿河攻略の必要性を痛感させる役にしか立たなかった、ともいえそうである。信玄は大軍を率いて駿河に侵攻、氏真は駿府の館を追われ、命からがら掛川城に逃げることになった訳だが、この故事に象徴されるように、古来塩は貴重品であった。それは産地である沿岸部と、どうにも自家生産できない内陸部との間で、古くから取引され、そして必然的に交易のための道を生み出すに至った。所謂、「塩の道」である。

 この「塩の道」と呼ばれる道はその性質上、全国各地にあった訳であるが、ここ一年あまりの「お散歩ツーリング」において、静岡県内の旧東海道を一応一通り走り終えた私が、次に走ってみようと目を付けた道、即ち遠州東部の相良から発し、北方の国境の青崩峠を経て信州へと続く古い街道も、その内の一本、ということになる。

 静岡県には、他にも「塩の道」と呼ばれるべき通商の道があった。例えば旧東海道の興津宿から北へ伸び、身延山を経て甲斐へと抜ける「身延街道」もそれであり、上記の氏真の「塩止め」は、おもにこの街道において行われたとみるのが自然であろう。無論この「身延街道」にも興味はあるのだが、まずはこの相良を発する街道を選択したことには理由がある。それは、




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 静岡新聞社 『塩の道ウォーキング』
 ISBN4-7838-1761-8
 

 地元の書店でこの本をみつけたからだ。まさしくこの、相良から青崩峠を目指す古い街道が、そこを歩くための目印などとともに、現代の地図上に示されてある優れもので、これならばカブで走れそうだと思われたので、早速行ってみよう、ということにしたという訳である。




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 と、いうことでやってきたのはここである。駿河湾の出口に出っ張る御前崎の少し北に位置する、相良の海岸である。場所としては相良城址の近く、ということになるので、つまりは、以前走った田沼街道の相良側の起点の近所である。時間は、朝の6時ちょっと前、である。

 その田沼街道の記事の中で、田沼街道を通した相良藩主田沼意次は、地元の製塩業の振興にも力を入れた、というようなことを書いたと思うが、意次が塩に眼をつけたのは、ここから伸びる「塩の道」がすでにあったことによるのかもしれない。まあそれはともかくとして、とりあえずは、「塩の道」の起点とされる場所に行こう。海岸線を伸びる国道150号線から、国道437号線で内陸方向へ500mぐらい行き、「大沢IC東」という交差点から右手に少し入ったところにあるのが、




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 ここである。ここが、起点となる。




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 こんなモニュメントがある。これが、これから辿ることになる「塩の道」の各所にあり、上記『塩の道ウォーキング』の地図にも記載されているので、これを目印に進んでいくことになる。ここから、国境の青崩峠まで約150km、さて、合計何日かかるのか見当もつかないが、とにかく第一歩、出発である。




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 先ほどの「大沢IC東」交差点まで戻るも、国道473には入らずそのまま横切って50mほど行くと、こんな場所がある。「塩の道相良案内所」。なにか面白い情報が仕入れられるかと期待して入ってみるも、




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 こんなスタンプが置いてあるだけでした。残念。ま、せっかくだしスタンプ押してきましたけどね(笑)




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 その道をさらに進むと、見えてくるのは国道473号バイパスの高架道路。実は『塩の道ウォーキング』の初版は2000年と少々古く、当時まだ開通していなかったこのバイパス道路はその地図に載っておらず、地図と現状とが大きく変化してしまっていた。いきなり戸惑うことになったが、これが「道の変化」というものである。




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 御前崎方面の車線のオフランプの横の道、ここからバイパスをくぐったところに、地図で示された道がありそうだと見当をつけていってみると、




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 そこの分かれ道にこんな看板をみつけた。「塩の道」とちゃんと書いてある。これには助けられた。道しるべにしたがって進む。




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 バイパスの脇の坂道を登っていくと、




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 いかにも旧街道らしい道に。このあたり、「園坂」という。




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 「園坂」を登りきると住宅が現れる。




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 進めば「馬頭観世音菩薩」。




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 ここに例のモニュメントがあり、ここで、道は県道69号線と合流する。しばらくは、この県道を中心に走ることになる。




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 なにやら古い石碑と、「秋葉道・塩の道」と書かれたちいさな道標。この道標が、要所要所で非常に大きな助けとなった。あれ、どっちだろうと思うところに、かならずあるのである。小さく、「秋葉道・塩の道踏査研究会」とある。何をかくそう、これは『塩の道ウォーキング』発行のための調査に参加した団体のひとつであった。なるほど。




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 県道242号との交差点を直進。




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 すると現れるY字路。右が69号であるが、「塩の道」は左。




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 こんな道標もあった。これは新しそう。




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 すぐに広い道に合流。




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 「三夜燈」。地図にも載っていたが、詳細不明。




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 道は下り坂に。




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 その坂の途中に分岐がある。とても細い脇道で、わかりにくいけれど、よく見ると、ほら、ちゃんと例の道標があります。




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 茶畑のなかの、農道のような道。少々入り組んでいるが、やはり例の道標が助けてくれた。




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 このあたり、「塩買坂」と呼ばれる。この過疎ブログを熱心に読んでくださるありがたい読者様ならば、あるいはここでお気付きになられるかもしれません(笑)が、この「塩買坂」、先日「勝間田城址」に行ったときの記事に、出てきました。そう、今川氏第六代当主義忠が討ち死にした場所である。その詳細については、長くなったので、次回に。


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