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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

旧東海道 浜松市から湖西市 その1

 旧東海道 浜松市から湖西市
 その1・天竜川西岸から浜松宿



 お盆の連休最終日(相変わらず記事にするのが遅くて、なんだかとんちんかんなほどに時期のズレた話題でスミマセン)。今年は、仕事上の様々な都合でちょっと長めの6連休となった。そのおかげで最後の一日は、妻は仕事、子供等は私の実家へ遊びに行き、私だけ自宅で悠々自適に過ごせるという、素晴らしい時間を取ることができた。このチャンスを逃す手はない。いつもは早朝に出掛けて午前中の早い時間に帰って来るという酷いスケジュールを強いられる、我が「スーパーカブ110で行く早朝史跡めぐりお散歩ツーリング」だが、今回は夕方までたっぷり使って行ってくることができるのだ。

 となれば、目的地は勿論、西方面である。旧東海道めぐりは前回、天竜川東岸までで終わっている。その先、となると、自宅のある静岡市からだと再スタート地点に辿り着くだけで一時間半以上かかってしまうのだが、このチャンスを活かせば大丈夫、きっちりたっぷり史跡めぐりができるはずである。迷うことはない、早朝3時半起床、4時出発で、レッツゴーである。

 少々天気が心配であった。出発の時点で、静岡市は星空が出ていたが、これから向おうという遠州南部にはなんと大雨洪水警報が発令されていたのである。しかし天気予報では、静岡県全域日中は晴れ、とのことだったので、それを信じてスーパーカブ110を西へ走らせた。

 途中、夜が明けてくる。東の空の明るみは次第にその輝きを増していくのに、進行方向である西の空がなかなか明るくならない。その理由はすぐに知れた。西方にはいまだ真っ黒な雨雲がかかっていたのである。袋井辺りからみれば、浜松方面はその雨雲の暗がりに包み込まれている。そして、




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 真っ正面に虹がみえた。わーい、虹だぁと一瞬嬉しくなったが、すぐに、進行方向に虹が見えるということが意味する現実に思い至り、気が重くなった。しかしもう行くしかない。半ばヤケクソ、もし雨が酷いようなら目的地を変えようか、などと思案しつつ走り、




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 辿り着いたのはここ、天竜川河畔、「池田の渡し場」西岸である。見上げれば、雨雲は急速に上空を去りつつあった。天気は大丈夫そうである。さすが気象庁、予報が当たりました。さあ、ここをスタート地点とし、旧東海道を西へ。時間は、6時前ぐらい。午前中いっぱいは西へ向いつつ史跡をめぐり、お昼頃に折り返して帰路につく予定である。さて、どこまでいけることやら。できれば愛知県との県境まで行きたいところであるが。




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 「池田の渡し場」から、数百メートル下流にある、この道。これが旧東海道、県道314号の入り口である。




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 ここにあるのが、「舟橋・木橋跡」。江戸時代、橋は架けられず「池田の渡し」で船で渡るよう定められていた天竜川であるが、明治に入り幕府の禁制が解かれると、ここに、船を並べた上に板を敷いた「舟橋」と、木橋とからなる橋が架けられた。架橋のきっかけは、明治元年の明治天皇の御東幸、ということのようである。

 豊臣秀吉の小田原攻めのために、宇津ノ谷峠を越えるルートが変更された、なんてこともあったが、この明治天皇の東京行幸もまた、東海道の姿に小さからざる影響を与えたことの痕跡は、ここのみならず各所でみられる。つまりは、それほどの大事件であった、ということだ。ちなみに、舟橋はいうまでもなく洪水に弱いので、すぐに全て木橋に架けかえられ、その「天竜橋」は昭和八年まで使用された、とのこと。

 


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 すぐ側にある、「六所神社」。




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 その脇にあるのが、この「道路元標」。大正九年の旧道路法施行の際、全国の各市町村に一基ずつ設置されたもの。静岡県内では、この「中ノ町道路元標」が、おそらく現存する唯一のもの、らしい。

 この「中ノ町」、すなわち現在の浜松市東区中野町は、東海道のど真ん中の町、ということになっているらしい。袋井宿も、「ど真ん中」をアピールしていたが、あれは、江戸からも京からも二十七番目の宿場、という意味での「ど真ん中」であり、こちらの「ど真ん中」は、距離的に「ど真ん中」だ、ということだそうだ。『東海道中膝栗毛』にも、「江戸へも六十里、京都へも六十里」と書かれているという。往時は、東海道を行く旅人と、天竜川を行き来する舟人との交差する町として、大いに賑わったようだ。では、ここから旧東海道を西へ向う。




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 これは、前述「天竜橋」の架橋のために尽力した、浅野茂平というひとの功績を称え、明治二十七年に建てられた石碑。




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 旧街道沿いの町の様子。一応県道ではあるが、見ての通りの生活道路である。




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 「軽便鉄道軌道跡」。明治四十二年から昭和十二年まで、ここを小さな鉄道が走っていた、という。今ではまるきりの住宅街であり、往時の景色を想像することは難しい。




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 「金原明善翁生家」。天保三(1832)年、大名主の家に生まれた金原明善は、「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川の治水の為に、私財をなげうって治水事業に尽力した人。




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 ここは「姫街道」起点。浜名湖の北側を西へ伸びていく脇街道である姫街道の起点は、見附宿すなわち磐田市にもあったのを以前の記事で書いたが、ここから北へむかっても、姫街道に合流することができた。




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 で、旧東海道である県道314号は、ここで県道312号線に合流、こんどはこちらが旧東海道となるが、




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 じつはこの道、現在も「東海道」の名で呼ばれているので、「旧」東海道とするのは間違いというべきなのかも知れない。いずれにせよ、東海道を辿って行こうという者には、道がわかりやすくて非常に都合のよいことである。




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 松並木が残っている。




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 その一角に、「立場跡」。立場とは、宿場と宿場との間にあった休憩所のこと、だそうだが、「間の宿」とは何か違うのかな。今はゴミ収集所になっているみたいだが……。




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 道はここから国道152号になる。浜松市の中心市街地に近づき、道も広くなっていく。




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 浜松アクトシティのアクトタワーがみえた。いよいよ、浜松の中心街である。




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 「連尺」の交差点を左折、国道257号線に入った辺り。この辺りに、旧東海道29番目の宿場、浜松宿があった。

 浜松宿は、天保十四(1843)年のデータで、町並は二十三町十五間、家数1622軒、人口5964人、本陣は合計6軒、旅籠屋数は94軒と、東海道でも有数の規模をもつ宿場であった(数字は渡辺和敏著『東海道の宿場と交通』より)。

 なぜ浜松宿がこんなに栄えたのか、その理由のひとつは勿論、城下町であるから、である。ということで、次回、何はともあれまずは浜松城を観にいきましょう。

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