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日々の出来事 30


 駿府城址見学 その2


 明治以降、廃城となった駿府城の跡地は静岡市の管轄となり、施設・建物等の払い下げや取り壊しが順次進んで行ったが、明治二十九年に陸軍歩兵第三十四連隊が置かれると、内堀や天守台等の埋め立て、取り壊しもなされ、いよいよ元の面影が失われていった。

 そして戦後の復興期に入ってからも、周囲の市街地の発展に伴って、さらに外堀等の埋め立ても進んで行く中、昭和四十年代になり、大手門付近の外堀の一部を埋め立ててバスの停車帯を造る計画が浮上する。これに対し、市民や有識者による反対運動が起こり、結局計画は中止、大手門周辺の堀や石垣が残されることとなった。

 この一件が転機となり、以降、駿府城址に今も残る遺構を残そうという機運が高まったという。そして発掘調査の後、まずは平成元年に「巽櫓」が、平成八年に「東御門」が復元され、現在、資料館を兼ねて公開されている、という訳である。




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 ここが、その入り口。




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 まず家康公が出迎えてくれます。




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 内側の門、すなわち「櫓門」上部から、眼下の敵を狙う城兵たち。




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 その銃口が向けられる、枡形。これでは敵は一網打尽である。




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 内部には、城の模型等、駿府城やその城下町についての展示物が並ぶ。




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 巽櫓の一階。




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 天守の模型。駿府城には当初、五層七階、あるいは六層七階の壮麗な天守が聳えていたが、その命運は、太平の世にありながら極めて短いものだった。 

 慶長十二(1607)年、駿府城の大改修が始められたその年の十二月に、城内から出火、本丸の御殿のほとんどを焼いたこの火災は、建設中だった天守をも焼失させた。だが無論、これで家康が天守の建設を諦める訳はなく、慶長十五(1610)年には駿府城天守は完成した。家康は江戸城から駿府城に居を移し、隠居といいながらも実質的な最高権力者としてこの城から政治を行う。

 元和二(1616)年の家康の死去の後、十男頼宣が元和五年まで、そして二代将軍秀忠の三男忠長が寛永九(1632)年まで、それぞれ駿府城の城主となったが、それ以降は城主不在のまま、幕府直轄地として城代が置かれるのみとなった。そんななか、寛永十二年に起こった城下町の火災が駿府城にまで飛び火し、再び城は天守もろとも焼失する。城主不在とはいえ、東照大権現ゆかりの城である駿府城であるから、勿論御殿や城門等は再建されたが、天守は結局それきり再建されることはなかった。つまり、この駿府城に天守がその威容を誇っていた期間は、たった25年の間に過ぎなかった、ということである。

 それ故か、駿府城天守の実際の構造については、あまりよくわからないというのが実情であり、上の写真の模型なども、様々な文献から拾い集めたわずかな手掛かりから、おおよその形を想像して造られているということらしい。いま地元では、駿府城天守を再建しようという運動があるようだが、この「どんな構造だったかよくわからない」というのが、ネックになっているようである。日本の城郭史上でも最大級の規模であったらしい駿府城の天守が蘇るならば、それは勿論嬉しいことだが、莫大な費用をかけた上で、「だいたいこんな感じ」みたいなものしかできないとなると、それはちょっと首を傾げたくなるだろう。難しいものである。


 

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 東御門を抜けて、少し本丸方向、つまり城の中心に向けて歩いたところにあるのが、この「内堀(本丸堀)」である。前回書いた通り、ここが歩兵連隊の駐屯地にされたときに埋め立てられた「内堀」だが、発掘によって、こうしてその一部を観ることができるようになった。




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 その陸軍歩兵第三十四連隊の記念碑。




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 先ほどの「内堀」から、北に100mほど。こちらも、「内堀」の一部である。ただこちらからは、




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 このように、水路が伸びている。この「二ノ丸水路」は、「内堀」と「中堀(二ノ丸堀)」とをつなぎ、「内堀」の水位を保つ役割をしていたらしい。この水路、水が張っていて今はみえないが、底にまで石が敷いてあり、非常に珍しいつくりである、とのこと。




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 「二ノ丸水路」近くにあるのが、「紅葉山庭園」である。入場料は大人150円。元来ここは、二ノ丸御殿および台所のあった場所らしいが、御覧の様な日本庭園として整備されている。ちなみに、「紅葉山庭園」とは、本丸にあった庭園の名前である、とのこと。では、あんまり歴史の蘊蓄ばかりでも疲れるので、子供等と共に庭園を散歩し、季節の花々などを楽しむといたしましょう。




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 では、気持ちも落ち着いたし、次へいきましょうか、というところで、次回に続く。


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