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奥藁科 その1・栃沢、摺墨のこと


 奥藁科 その1・栃沢、摺墨のこと


 国道362号線は、JR静岡駅の側近くから発し、そこから大体北西方向の山間部へと伸びて行くのであるが、これはかつての秋葉神社への巡礼の道、即ち「秋葉街道」の後身、というべき国道である。浜松市天竜区春野町にある秋葉神社へは、各地から幾本かこの秋葉街道と呼ばれる脇街道が繋がっており、これはその内の一本、「東口」と呼ばれる道である、という訳だ。

 旧東海道よりも一本上流に架かる、「安西橋」という橋で安倍川を渡った362号は、そのまま藁科川という安倍川の支流に沿って行き、




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 この交差点で藁科川と別れ、大井川の上流域にある千頭という街に向かい峠を越えるべく続いて行くのであるが、今回はそちらではなく、ここからそのまま藁科川上流部へと向う、県道60号へと入る。写真でいうところの右方向へと伸びる細い道のほう、奥藁科とよばれる地区である。ちなみに、静岡駅からここまでは、車で大体40分ぐらいかかる。時間は、例によって早朝、五時頃である。




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 市街地から山間部へ向けて、40分も走ってしまうと、静岡のような田舎では、もう道はこんな具合になってしまう。




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 周囲の景色。お茶畑と、小さな集落。




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 県道60号を、15分ぐらい走ったところで、またさらに脇道へ。




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 いよいよ山間部らしさが増した風景。浮世離れ、という言葉さえ脳裏に浮かぶ。地名を、栃沢という。




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 そして、ようやく辿り着いたのが、ここである。「米沢家」。一見普通の民家であるが、実はいろいろと特別なお宅なのである。




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 「米沢家」門前の石碑。これは、「名馬するすみの碑」である。話はここで、またしても『平家物語』にご登場頂くことになるのである。

 名馬「摺墨」。その名前が『平家物語』において最初に登場するのは、巻第九第八十一句、「宇治川」においてである。


 そのころ、鎌倉殿(源頼朝)に「池月」、「摺墨」とて聞こえたる名馬あり。
 (新潮日本古典集成『平家物語』下巻)

 「そのころ」とは、寿永三年(1184年)の、源氏の内紛である「宇治川の戦い」直前のことである。鎌倉の源頼朝に先立って京の都を奪取した木曾義仲であったが、水島の戦いで平家に大敗、後白河上皇とも対立して孤立した。これを好機といよいよ、鎌倉方が都へ向けて軍を進めよう、というとき、この二頭の駿馬をめぐる、ある出来事があった。


 池月を、蒲の御曹司(源範頼)以下の人々参りて所望されけれどかなわず。梶原平三景時参りて、「池月をば賜はって、今度源太冠者(梶原景季、景時の長男)に宇治川渡させ候はばや」と申せば、鎌倉殿(源頼朝)、「池月は自然の事(いざという時)のあらんずるとき、頼朝物具して乗るべきなり。摺墨を」とてぞ賜はりける。
 (同上)


 こうして、池月ではなく摺墨の方を賜った景時は、それを景季に与えた。景季は颯爽とその馬と共に義仲討伐軍に参加、搦手の義経軍の一員として西を目差したのであるが、駿河の国は浮島が原(沼津と富士の間あたりの海岸)で、ある舎人に手綱をひかれた池月を見出す。景季がその舎人に誰の馬かと問いただせば、舎人は佐々木四郎高綱のものだと答えた。

 景時に摺墨を与えたあと、頼朝は、「これに乗りて、宇治川の先(先陣)つかまつれ」といって、佐々木高綱に池月を与えていたのだ。これを恥辱と捉えた景季は、高綱と刺し違えて死に、「よき侍二人死んで鎌倉殿に損とらせたてまつらん」とて、後から来る高綱を待ち受けた。

 しかし景季のただならぬ様子に事態を察した高綱は、問いただされて、「自分も池月が欲しかったが、梶原殿すらもらえなかったものを自分がもらえるとは思わなかったから、盗んできたのだ」と答えたので、二人は笑って別れ、その場は何事もなく済んだ。

 佐々木高綱と、梶原景季との「宇治川先陣争い」といえば、『平家物語』のなかでも有名なエピソードであるが、実はこのような事情があっての出来事だった。つまり、高綱としては、「先陣を」といわれた上で池月を頼朝から頂いたからには、何が何でも先陣を得なければならないし、景季としても、やはり悔しいので、先陣まで高綱に奪われる訳にはいかない、という訳だ。

 で、結局宇治川においては、ご存知の通り高綱と池月が真っ先に渡河して先陣の功を得、景季と摺墨は残念ながら二陣、ということになってしまうのだが、馬の方は二頭とも、その名が名馬の代名詞として歴史に刻まれたことに違いはなかった。そしてその摺墨が、他ならぬここで産まれた、といわれているのであるから、これはただ事ではない。

 ちょっと調べたところによると、この辺りにいた野生馬のなかに、真っ黒な仔馬がいるのをみつけ、栃沢の長者であった米沢家で育てていたのだが、その評判を聞きつけた頼朝が使者を派遣、頼朝に献上されることになり、頼朝の所有するところとなった、ということらしい。

 ただ、この「摺墨」生誕の地、というもの、全国各地にあるらしい。まあこういう、出所のはっきりしない有名なものにはよくありがちな事ではあるが、静岡生まれの静岡育ちである私としては、この栃沢が「本物」であると信じたいところだ。「するすみ」という名前も、「駿墨」と書いて、「駿河の国の墨のように真っ黒な馬」という意味で名付けられたのが本当だ、という説まであるらしいし。ただ、この地に伝わる「摺墨生誕説」には、一点、どうしても腑に落ちないところがある。即ち、ここ栃沢の地形、である。

 こんな山間の険しい地形の場所に、鹿や熊じゃあるまいし、本当に野生馬がいたのだろうか。野生馬といったら、広い草原を群れなして疾走しているイメージなのだが。そこで帰宅後、かつては国立大学で生物学を学んでいた才女たる我が自慢の妻に聞いてみたところ、「昔はそこら辺に、野良犬みたいに野良馬もいたんじゃないの?」という頼もしいお答え。なんだか自信がなくなってきた。

 ただここ栃沢には、もっと確実で、多分摺墨よりも自慢できるであろう歴史が、もうひとつあるのだ。では次回、そちらの方をみて回ることにしましょう。


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コメント


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県道60号開通

初めまして

先月位に60号線が開通されて井川方面に行けるようになりましたね
私も通りましたが全然気が付かず素通りでした
参考に指せて頂きます。宜しくお願いします

今月は通勤しか乗って無いんだよな‥‥

HD | URL | 2016-09-21(Wed)06:00 [編集]


Re: HDさん

HDさん、初めまして。

県道60号線といえば、静岡県では最北にある県道ですね。私も大きなバイクに乗っていた頃には時々あちら方面にも出掛けたものですが、最近ではずいぶんとご無沙汰です。
これからの紅葉のシーズン、カブで出掛けてみるのも一興ですね。

コメントありがとうございました。またお気軽にどうぞ。

静磨 | URL | 2016-09-22(Thu)09:51 [編集]