FC2ブログ

乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

二俣城とその周辺 その2


 二俣城とその周辺
 その2・二俣城






IMG_0933_convert_20160625121813.jpg

 見取り図です。ご参考に。




IMG_0935_convert_20160626080803.jpg

 天守台。階段を登ることができます。




IMG_0937_convert_20160626080832.jpg

 ま、登っても特に何もないですが(笑)




IMG_0939_convert_20160626080901.jpg

 「一之門」辺りの通路で「二之曲輪」方向へ、というところに、




IMG_0965_convert_20160626081426.jpg

 こんな看板が。神社のところで蛇をみたばかりの私(前回参照)は、これで完全にビビってしまった。先ほどの蛇がマムシであったかシマヘビであったかなど、もう問題ではない。以前、昔の日本人は蛇の牙や毒ではなく、その「霊性」のごときもの畏れていた、と書いたことがあるが、私は現代人であり、地方都市とはいえ都市生活者である。蛇の牙とその毒性が怖いのである。




IMG_0943_convert_20160626080928.jpg

 「二の丸」。




IMG_0946_convert_20160626080955.jpg

 「二之曲輪」には、稲荷神社がある。




IMG_0948_convert_20160626081028.jpg

IMG_0949_convert_20160626081101.jpg

 二之曲輪の石垣。そこから生えたこの木の大きさが、そのまま石垣の古さを物語る形。




IMG_0950_convert_20160626081126.jpg

 蛇にビクビクしながらも、城の南端方向へ。その途上からの景色。二俣の街並がみおろせる。




IMG_0963_convert_20160626081357.jpg

 この史跡めぐり、実は6月に行ったのでした。アジサイが美しく咲く。




IMG_0960_convert_20160626081329.jpg

 「倉屋敷」の辺り。この辺りが最も草深く、蛇への恐怖は最高潮に。




IMG_0959_convert_20160626081257.jpg

 上の写真は、土塁らしき盛り上がりの上から撮影したのだが、その足元に、草に埋もれてわかりにくいが石垣があった。 




IMG_0958_convert_20160626081224.jpg

 大きな「堀切」。堀切は、尾根伝いに攻め上がってくる敵に対する為に、尾根を遮断する形で掘られる防御施設。この堀切を越えると、




IMG_0951_convert_20160626081157.jpg

 「南曲輪」。平坦ではあり、曲輪の跡らしくは見えるが、竹林に埋もれている。これで大体、城の主要部分は見てまわれたかな。しかし二之曲輪のそばに、城の西側に降りていくような道が一本あったことを思い出し、そこをめざす。もう、「ドラクエ」の洞窟攻略みたいな気分である(笑)




IMG_0969_convert_20160626081456.jpg

 その西側へ下る道を辿ってみると、天竜川が見えてきた。さらに進む。




IMG_1013_convert_20160626081639.jpg

 するとこんな道しるべが。「鳥羽山城」には、勿論、この後に行くつもりだったのだが、ここから歩いて行けるのか。行ってみよう。




IMG_0970_convert_20160626081528.jpg

 天竜川の土手のうえに伸びる一本道。正面の小山が、鳥羽山城跡である。

 鳥羽山城の始まりは、「長篠の戦い」後の、徳川の遠州・駿河における反攻が始まってからのことである。天正三年(1575年)の「長篠の戦い」での勝利の後、ほとんど間をおかずに家康は二俣城奪還のための行動を開始する。徳川・武田双方にとって、この二俣城がどれほど重要なものだったか、ここからも伺い知れるのだが、家康も、いくら長篠での大勝の直後とはいえ、そう簡単にこの城を奪い返せるとは考えてはいなかったようだ。

 高天神城の攻防戦におけると同じく、ここでも家康は、周囲に「付け城」を築いてじっくり攻囲するという方法を取る。このあたり、家康は急いで武田を遠江・駿河から追い出すことよりも、着実に自分の支配地域を広めていく手段を選んでいるようにみえる。高天神城攻めのために築いた付け城である横須賀城が、場所的にも構造的にも、その後幕末に至るまで使用できるほどの城であったように、すでに長期的な支配を念頭に置いて行動しているように思えるのだ。無論これは私の想像の域を出るものではないが、この時期にはすでに家康は、かなり明確に、信長による天下統一とその支配下における自分の立ち位置について、そしてもしかしたらその後に自分が天下を取ることについてまで、ビジョンを抱いていたのではなかろうか。

 いずれにせよ、この鳥羽山城もまた、二俣城攻めの付け城として築かれながら、横須賀城ほど長期ではないにしても、使い捨てではなく長く使用されることとなるのだが、まあ、それは後のことである。家康はこの他にも五カ所の砦を築いて二俣城を包囲、天正三年の年末には、講和開城という形で二俣城を奪い返すことに成功する。では次回、この鳥羽山城の遺構をみて回ります。




IMG_0972_convert_20160626081603.jpg


関連記事
カブのこと 1・県道396号線 その1・富士、蒲原
カブのこと 4・鎌倉街道(徒歩0分)その1・梶原一族最期
カブのこと 6・旧東海道、静岡市内
カブのこと 8・旧東海道 安倍川から大井川
カブのこと 10・旧東海道 大井川から掛川宿
カブのこと 15・旧東海道 富士川東岸、吉原宿
カブのこと 16・旧東海道、原宿、沼津宿、三島宿、三嶋大社
カブのこと 17・旧東海道、箱根
カブのこと 19・清水港湾地区
カブのこと 26・田沼街道
カブで史跡めぐり 1・高天神城
カブで史跡めぐり 4・旧東海道 掛川市、袋井市
カブで史跡めぐり 8・興国寺城 
カブで史跡めぐり 10・宇津ノ谷峠
カブで史跡めぐり 13・旧東海道 磐田市

にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する