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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

二俣城とその周辺 その1


 二俣城とその周辺 
 その1・天竜二俣駅、二俣城






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 はい、今回はここ、浜松市天竜区の二俣にやってまいりました。時間は、朝の5時頃。自宅のある静岡市からスーパーカブ110で走ってきて、天竜川の河口から約25km上流にあるここに、朝の5時に到着するためには、自宅を3時に出発する必要がありました。ええ、夜中の2時半に起床、3時に出発してきましたとも(笑) 後ろの建物は、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅、昭和十五年(1940年)の開業当時以来の、木造駅舎である。


 

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 御覧の通り、何もかもが前時代的。




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 こんな車両もある。キハ20443。旧国鉄・二俣線時代のこの路線を、25年間走ったというディーゼルカー、だそうだ。




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 こちらは、ナハネ20347という客車。ブルートレイン「あさかぜ」に連結されていた、寝台車である。




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 駅の、県道を挟んだ向かいにある公園には、SLもある。




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 C58、389号車。この鉄のかたまり感たっぷりの重々しさ。人間が作った、航空機までを含めたあらゆる乗り物のなかでは、蒸気機関車はそれほど大きいものではないかもしれないが、存在感という点では、これ以上のものはないと、私は思っている。

 ……と、いきなり鉄道から始まったけれども、勿論、二時間もかけて二俣までやってきた第一の目的は、駅舎の見学ではなく、




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 これである。『二俣城址』。二俣城は、駿河、遠江辺りの大概の城の例にもれず、今川氏の領国であった時代に築かれたというが、築城年等詳細は不明。そしてこれまた例の如く、日本史の大きな流れのなかで存在感を示し始めるのは、今川氏滅亡後の、徳川・武田両氏による、駿河・遠江争奪戦が始まってから、である。……と、いう訳で、わざとらしくも話は前回の史跡めぐりのときに触れた、「一言坂の戦い」の続き、ということになるのだが、まあまずは、城跡をみてみよう。




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 まずは、少々見づらいが一応、現地に表示されてあった二俣城の見取り図を。現在位置は、城の東側の「腰曲輪」の辺りである。そこから「馬出し」にあがる階段が、




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 これである。




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 その階段を登りきったところ。「馬出し」から「北曲輪」に架かる小さな橋をくぐる格好で、城内に。この辺り、面白いレイアウトである。




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 これがその橋。ここを渡って北曲輪へ、というところで、事件が。




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 とっさに撮影したため、酷い手ブレだが、おわかり頂けるだろうか。蛇がいたのである。春に泉鏡花の『春昼』なんかを読んだこともあって、ちょっとドキッとした。場所も場所だし、ね。あっという間に、叢のなかへ消えて行った。




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 北曲輪にあるのが、「旭ケ丘神社」。地元出身の戦死者を祀った神社。




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 馬出しに戻って「本丸」方向へ。「喰違い虎口」あたりの石垣。




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 そして「本丸」の「天守台」。「野面積み」といわれる積み方の石垣で、徳川が最終的に武田からこの城を取り戻した後のもの、らしい。そう、以前訪れた高天神城などと同じく、この城もまたこのふたつの勢力が奪い合ったのだが、その過程での増強策、といったところだろうか。

 元亀三年(1572年)、所謂「西上作戦」の途上、「一言坂の戦い」で天竜川東岸まで出てきた徳川軍を浜松城に追い返し、見附を占領した武田信玄であったが、浜松城を攻めることも、天竜川を渡河することもせず、そのまま天竜川東岸を北上、二俣城を目指した。

 信玄は攻城の指揮を勝頼に任せる。以前にも紹介した小和田哲男氏の著作『戦国静岡の城と武将と合戦と』によると同年十月十八日か十九日、遅くとも二十四日か二十五日には、勝頼は城攻めを開始した、としている。が、簡単に落ちる様な城ではなかった。

 天竜川と二俣川に挟まれた、標高90mの台地の上に築かれた二俣城は、上掲の見取り図の通り南北に曲輪を直線的に並べた所謂「連郭式」の山城であるが、東側は天竜川に、西側は険しい断崖に守られており、実際に訪れてみると、確かに攻めるのは大変そうだと思わされる。実際武田勢も力攻めではなかなか埒があかず、その苦労を表わす様な書状も残っているようである。

 だがこの城にも弱点があった。城内に水源を持たなかったのである。そこで井戸櫓を組み、天竜川から汲み上げることで水を確保していたのであるが、そのことに勝頼が気付いてしまった。勝頼は大量の筏を天竜川の上流から流させ、その井戸櫓にぶつけて破壊させた。水を失った城方は戦意を喪失、十二月十九日になって、降伏、開城に至ったといわれる。

 こうしてついに重要な軍事拠点である二俣城を手に入れた武田勢は、いよいよ天竜川を渡河、次なる戦場はあの三方原、という次第となるのであるが、まだ城を半分しかまわっていない。ということで、城跡見学の後半を、次回に。



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