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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

旧東海道 磐田市・その1


 旧東海道 磐田市・その1 木原から見附宿


 五月中旬、その日の静岡の日の出時刻は、4時42分。夏至に近づくにつれ、日の出は随分と早くなった。家族がまだ寝ている早朝にしか、一人でバイクで遊ぶ時間が取れない悲しいパパにとっては、実に悦ばしいことである。しかも、季節は春。バイクに乗るには最高の環境が整っている訳だ。

 しかし、我が旧東海道巡りは前回、袋井宿の先、木原の許禰(こね)神社までで終わっているので、まずはそこまで行かなければ始められないのだが、そこまでは自宅からスーパーカブで1時間半以上かかる。つまり、早くなった日の出時刻の恩恵を目一杯享受するためには、自宅を3時に出発しなければならないのである。しかたがないから休日だというのに早朝、否、夜中の2時半にのこのこ起きだし、眠い眼をこすりながら身支度を整え、予定通り3時に出発した。いくらトラックの運転手という職業柄、こういう極端な早起きになれているからといっても、やはり、しんどいものはしんどいのである。

 例によって県道381号線、即ち旧国道1号線を主に利用し、ひたすら西へ。出発時には真っ暗だった空も、次第にその闇を薄め、背後から白い輝きが追い掛けてくる。春はあけぼの、やうやうしろくなりゆくやまぎは、などとつぶやきながら、背後に夜明けの温みを覚えつつ走り、そして……




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 4時45分、許禰神社前に到着した頃には、御覧の通り、日の出を迎えていた。さあ、ここからスタート、である。……が、ここで、歴史のおさらいを。少しばかり歴史の予備知識を仕入れておくと、この先このブログをより楽しめるようになる、はずです(笑)

 この神社は、前回来たときに書いた通り、「木原畷(きはらなわて)」という古戦場でもある。「桶狭間の戦い」の後、弱体化し、最終的には滅亡してしまった今川氏にかわり、駿河および遠江を支配せんと、徳川氏と武田氏との争いが起こったことは、これまでに何度か書いてきた。で、「木原畷の戦い」はというと、その長きに渡った両氏の戦いのうち、家康の大敗で知られる「三方原の戦い」の、発端となった戦いであった。

 元亀三年(1572年)、北条氏とは同盟を結び、そして越中一向一揆を起こさせて宿敵上杉謙信を足止めすることにも成功し、東海地方への大規模な軍事行動を可能にする環境を整えた武田信玄は、南アルプスの西側にある青崩峠から、二万以上の軍勢をもって越境、南下、遠江に侵攻した、とされる。この所謂「西上作戦」を開始した信玄の目的の内のひとつは、勿論織田信長と戦い、これを滅することだっただろう。しかしその為にはまず、その途上にあり、しかも信長と固い同盟関係にある徳川家康をなんとかしなければならない、という訳だ。

 このルートを辿ったとすれば、まずは二俣城を目指すことにはなるのだろうが、このあたりの信玄の進路が私にはあまりよくわからない。この木原畷は勿論旧東海道沿いにある訳だが、二俣城はここよりもずっと北、つまり信玄が越えたという青崩峠に近い方にあるからだ。

 興国寺城の記事でちょっと触れた『戦国静岡の城と武将と合戦と』のなかで、著者の小和田氏は、この青崩峠越えのルートは山県昌景等の別動隊がとったルートであり、信玄の本隊は駿河方面から大井川越えで遠江に侵攻したのではないか、という新説(柴裕之氏による)があることを紹介している。この説は、幾つかの文献、記録等とも矛盾しないらしい。それらの記録を精査した訳ではない私がどうこういえるものでもないが、地図を見渡した感じでは、なんだかこの新説のほうがしっくりくるのは確かである。

 いずれにせよ、信玄の天竜川渡河を許したくない家康は、先に天竜川を渡ったうえに、武田軍の動向を探るために偵察隊をだし、先行させた。そして、その偵察部隊が武田軍と接触したのがこの辺りだ、ということのようだ。ただ、この徳川軍の行動目的は偵察であり、武田軍が数的に圧倒的に有利であったので、徳川軍はすぐに退却を始める。武田軍に追われる徳川軍は、見附を経由して天竜川を目指したのだが、これ即ち、私がこれからスーパーカブで走ろうという旧東海道と、大体同じルートである、ということで、さあ、あらためてスタートしましょう。




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 県道413号線を西へ。すぐに市境。袋井はここまで、ここからはJリーグジュビロ磐田のホームタウン、磐田市である。この先で県道は、ぐっと現国道1号線の高架道路に近づくのであるが、その辺りにあるのが、




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 この松並木。そしてその先が、




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 三ケ野坂、すなわち「三ケ野七つ道」と呼ばれる場所である。前回の「宇津ノ谷峠」は、最古の「蔦の細道」から最新の「平成トンネル」まで、宇津ノ谷峠越えの6ルートが現存しているとても面白い場所だったのだが、ここは規模は小さいものの、なんと、「鎌倉の古道」、「江戸の古道」、「東海道」、「明治の道」、「大正の道」、「国道1号線(昭和の道)」、「国道1号線バイパス(平成の道)」と、七つもの道が通っているのである。まずは、写真の案内標識に従って、「鎌倉の古道」へ向ってみる。




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 「鎌倉の古道」入り口。まるっきりの山道である。カブでは行けないのでまた元の道に戻る。




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 その「元の道」というのは、「明治の道」にあたる。「緑のトンネル」ってなんだろう、などと思いつつ進めば、




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 右手に「江戸の古道」入り口。なんだか酷く手ブレした写真でスミマセン。




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 ちょっと歩いてみた。舗装はしてあるが、坂はかなり急。すぐに引き返しちゃった(笑)。




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 その先の、「明治の道」の様子。ああ、これが「緑のトンネル」ってことか。




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 この交差点あたりで、大体、古い道は旧東海道に合流する感じ。あれ、「大正の道」もあったはずなんだが、みつけられなかったな。




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 生活道路のような「旧東海道」は、もうおなじみですね。




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 「旧東海道・行人坂」の看板。この先の下り坂のことかと思ったら、今登ってきた坂のことだったので、




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 あわてて今来た道を振り返って撮影。解説によると、この辺りには行人、すなわち山伏がたくさん住んでいたために、この名で呼ばれていた、とのこと。そして、「東京目黒の行人坂は有名ですが、時代的にはここの坂の方が早くからあったようです。」とも書いてあった。変なところで東京への対抗意識を、ちらり(笑)。




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 「行人坂」の上で、また県道413号線に出るも、その先でまた右方向の脇道へ分岐。




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 またしても生活道路を行く。




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 「秋葉灯籠」。大正四年のもの。この先で、道はまたぐっと坂を下り、




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 その坂を下りきったところに、「木戸跡」。つまり、ここが旧東海道28番目の宿場、見附宿の入り口にあたる。さあ、ついたぞ、というところで次回に続く。


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