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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

日々の出来事 25


 登呂遺跡見学、あるいは、
 カブで行かない史跡めぐり


 ある日曜日。朝11時から、妻の行きつけの美容室で子供二人の髪を切ってもらうとかで、当然のように車の運転手として私も同行させられるも、美容師さんの手早い仕事で1時間で二人とも終了。さて、お昼はどうしようか、という話になる。

 家に帰って何か作って、なんてことをしていると遅くなってしまうので、外食、ということにしたのだが、何を食べるのかが決まらない。親は何でもいいのだが、問題は子供等である。娘7歳息子5歳、彼らの気分に合ったメニューでないと、機嫌を損ねてしっかり食べてくれない、なんてことも起こり得る。

 こんなときは、もう、子供に何を食べたいか訊いてしまうのが一番である。しかし、上の娘に訊くと、大概、我が家のようなハイソサエティの令嬢らしく、ラーメン、というこたえが返ってくる。その日は何となく、我々両親がラーメンという気分ではなかったので、あんまり自己主張をしようとしない息子に、たまには訊いてみようということになった。

 息子の答えは、これまた舌の肥えた上流階級の令息らしく、「ぽてと」。これはフライドポテトのこと。ま、そんなに腹もへってないし、ハンバーガーでも食べようかということになり、最寄りのモスバーガーへ。で、食べ終わったのが1時。しかしこの日、我が家にはもうひとつ予定があった。

 ウサギの餌を買わなければならなかったのである。我が家のウサギは、12歳という高齢ウサギ(ウサギの平均寿命は7、8年と聞いた)なので、年寄り用の餌を動物病院で買わなければならないのだが、日曜日はその動物病院は午後2時からしか空いていない。さて、今度は2時までの1時間をどうやってつぶそうか、という話をしつつ、とりあえず車に乗り込んで走り出すと、眼の前に、「登呂遺跡」への道順と距離を示す案内看板。

 この、弥生時代の遺跡の代表例として、小学校の歴史の教科書にも出てくる「登呂遺跡」に、実は私、行ったことがなかった。地元静岡市の小学生は、昔からたいてい、小学校の社会科見学やなにかで一度は連れて行かれるのであるが、私、普段は元気なくせに、そういう遠足だとか課外授業だとかキャンプだとかの行事があるときに限って、風邪をひいて熱を出してお休みするようなタイプの子供であった為、その登呂遺跡行きの社会科見学には不参加であったのだ。そんな話をすると、妻は笑いながら「じゃあ今から行こう」といいだした。悪くない。普段一人で史跡めぐりなんかしているが、たまには家族で行ってみよう。天気もいいしね。

 ということで、突発的に登呂遺跡に向うこととなったのである。

 登呂遺跡は、約2000年前の、弥生時代後期の集落跡の遺跡で、昭和十八年、軍需工場建設のための工事の際に発見された。本格的な調査がされたのは戦後(昭和二十二年から二十五年)で、昭和二十七年に国の特別史跡に指定された。平成十一年から十五年にかけての再調査により、住居跡、祭殿跡等を新たに発見。現在、歴史公園として整備、公開されている。……と、パンフレットの文句を要約するとこんなところである。ま、とりあえず見てみよう。




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 何はともあれ、これ。教科書だとか、社会科の資料集なんかでおなじみの、復元された竪穴式住居。中にも入れます。




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 骨組みには竹を多用。この丈夫で軽く耐久性があり、しかも加工の容易な優れた素材が豊富にある環境が、日本の文化の形成に与えた影響は、多分想像以上に大きなものなのだろう。




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 水田跡も復元されている。稲作農業は、弥生時代の特徴だと学校で習ったね。建物は、復元された祭殿。




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 用水路。こんな水路は、なんだか、小さい頃には近所の田んぼにもあった気がする。それはつまり田園風景の様子なんてものは、弥生時代からつい最近まで、そんなに大きな変化はなかったのだ、ということだろう。そしてそれは、近年の環境の変化がいかに急激であるのかも、同時に意味する。




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 住居跡周辺には、こうした溝が縦横に走る。大規模な稲作が可能だということは、この辺りは水が豊かであり、しかもその水を貯めておけるぐらいに平坦な土地だったということ、即ち、湿地帯みたいな場所だったということだろう。しかしそれは、住居にはあまり適さない、じめじめした場所だ、ということでもある。よって、こうした排水路は必須だったのだろう。




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 農耕文化には、貯蔵庫もつきもの。これも学校で勉強いました、「高床式倉庫」。




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 「鼠返し」。これを考えた人は、頭がいいなあと子供の頃から思っている。




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 一通り外を見学したら、ここへ。「登呂博物館」。




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 一階の見学は無料。弥生式土器や、田下駄など、これまた社会科の資料集でおなじみの生活用具のレプリカが展示してあり、手に取ってみることができる。




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 水田の実寸大模型も。

 二階には、発掘された重要文化財が展示されており、見学は有料となる。




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 田下駄。




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 高床式倉庫具材。




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 弥生式土器。




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 これはちょっと面白い展示。平成の発掘作業の際に、50年振りに土の下から「発掘」された、「昭和の発掘作業時の忘れ物」。




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 「登呂の食事情」という、期間限定の企画展示もあった。登呂の弥生人が食べていた、動植物の痕跡。




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 イルカの頭骨。駿河湾は水深もあり、また太平洋に向けて大きく口を開いているせいか、昔からイルカが捕れるので、静岡には未だにそれを食べる食文化がある。イルカ漁には賛否両論あるが、いずれにせよ、性急に解答を得ようとすべき問題ではないだろう。伝統文化は無論大切にすべきだが、現代の価値観や環境問題も、決して軽視すべきものではないからである。伝統を守るにしろ、イルカを守るにしろ、一方的で頭ごなしな意見は、相手に受け入れられることはない。




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 調理用具の石器なども。




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 屋上からは、遺跡全体が一望できる。当時の集落と、現代の住宅地との比較もできて、面白い。




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 博物館に隣接するのは、「芹沢銈介美術館」。浅学にして寡聞なる私は、この芸術家を知らないが、美術館の公式webサイトによると、明治二十八年(1895年)に、現在の静岡市葵区本通で生まれた染色工芸家、だそうだ。美術館も見学したかったが、今回は幼児を連れているのでまた今度。




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 そのかわりといってはなんだが、こちらだけ見学した。日曜、祝日のみ公開されている「芹沢銈介の家」。元々は東京にあったものを移築した建物。




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 部屋に入ることはできないが、玄関から裏口へ、土間を通り抜けることができる。居心地のよさそうな部屋。

 去年から、郷土の史跡めぐりなどを始めた私であるが、それら全ては、ここと繋がっているのだ、と思えば感慨深いものがある。現代と、弥生時代との間の、二千年の時間を埋める歴史が残したものが、今もまだ見られるのである。

 これまで、大体鎌倉時代から戦国時代、そして江戸時代あたりの史跡を観てきたが、それらを私は、現代から、「過去のもの」として観てきたのだといえる。しかしそれらの時代よりもはるかに古い時代の遺跡を知ることは、いわば、「過去からの視点」を得、そこから未来の出来事として、中世、近世を眺めることができるようになる、ということを意味する。つまり、ここから出発して、日本人は何処をどう歩いて、あそこまで辿り着いたのか、ということを考えることができる、ということである。

 時間つぶしのつもりが、思わぬ見応えに満足。子供等も、これを機に歴史というものの学ぶことの面白さを、ほんの少しで理解してくれたら、などと思いつつ帰路に……あ、ウサギの餌を買わなければ。では、また。




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