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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブで史跡めぐり 6


 旧東海道、掛川市、袋井市 
 その3・横須賀城(前編)



 許禰(こね)神社の先で、旧東海道が県道413号線に合流したところで、そのまま西進して見附宿を目指すことを諦め、県道を転進、東へ戻る。で、例のボタンを押し忘れてしばらく赤信号をぼーっと待っていた交差点を過ぎたところで、県道41号線を右折、すなわち南へ向う。

 そのままその県道を十数km、途中道は左へ向きを変え、遠州灘の海岸線に沿って走る国道150号線と並行して東へ向くのであるが、その辺りで道の左手にみえてくるのが、




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 この何やらただっ広い空き地みたいなもの。これが実は、




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 「横須賀城跡」である。ここは「外堀跡」。この標識に書かれてあったように、昔は何と、この城の目の前は入江であったらしい。




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 つまり、このガードレールの向こうは海だった、ということだ。現在の海岸線は、まだはるか数km先なのだが、宝永4年(1707年)の所謂「宝永の大地震」によって海底が隆起、入江がなくなってしまったのだというのだから、凄いものである。




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 「西大手門跡」。西大手門、というからには、東もあった、ということだ。この城、なんと大手門がふたつあり、そのことから「両頭城」などとも呼ばれていた。その他にも、この城には何だかちょっと変わったところがある。

 築城は天正6年(1578年)、大須賀康高というひとによるが、彼に築城を命じたのは徳川家康である。天正6年といえば、長篠の戦いから3年後、そして第二次高天神城の戦いの2年前である。この戦いについては、先日高天神城に行った時の記事に書いたので、そちらをお読み頂けると有り難いが、家康は力攻めで一気に落城させるという手段は取らず、高天神城を時間をかけて確実に囲い込み、最終段階では兵糧攻めという方法を取った。で、この横須賀城は、そのために高天神城周辺に家康が築いた「付け城」の内のひとつ、であった。

 付け城とは、この場合、敵の城を攻めるときにその周辺に築く前哨基地のことで、横須賀城築城の後、さらに高天神城に近いところに「高天神六砦」とよばれる六つの砦が築かれるのであるが、横須賀城はそれら前線基地群の、中心的役割を担う拠点ではあった。だが家康の本拠地である浜松城から大した距離がある訳でもなく、さらには攻撃目標である高天神城からも非常に近い(直線距離でたぶん5kmかそこら)場所にある。

 こうしたことを考え合わせると、この城は城というよりも、野戦基地の如きもののようにも思える。大体、築城時にはこの辺りは徳川と武田との激戦の続く最前線といってよいような地域で、いくら長篠の戦い後の、徳川の猛攻勢の時期にあったとはいえ、大きく頑強で長期の使用に耐えられるような城を築くような余裕など、さすがに徳川勢にもなかっただろうと考えるのは自然であろう。

 だが、実際に城跡をみると、とてもそんな野戦基地みたいなレベルの規模ではない。勿論、第二次高天神城の戦いの時点で、この城が最終的な段階まで完成していた訳ではないのだけれども、事実として、戦国時代のみならず、秀吉の時代、さらには江戸時代に至っても、この城は大名の居城として使用され続けるのである。

 しかしまあ、こうして県道の道端でぼうっとしていても仕方がないので、城跡を見にいこう。この県道沿いのただっ広い空き地みたいな史跡の真ん中辺りに、山の方折れていく道がある。そこから城跡の中心部へと入っていくのであるが、




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 その角に、こんなものが。なるほど、「横須賀街道」というのがあるのか。しかもこれは、「塩の道」の起点でもあるという。「塩の道」とは、内陸部と沿岸部との交易の道で、全国にあるのだが、ここらでは、遠江沿岸部と、信州の飯田などを結ぶ所謂「秋葉街道」がそれにあたるらしい。

 秋葉街道は、「その1」でも書いた通り、秋葉神社へと通じる、秋葉参りの参拝者が辿った道であるが、周辺各地から何本もの道が秋葉神社へと通じていた、ということは、同時にそれは周辺各地同士をも結んでいた、ということを意味していた訳で、それが通商の道としても利用されたのは自然なことだろう。秋葉街道も、一度走ってみたいものだ。……また、寄り道をしてしまった。さあ、城へ、などといいつつ、先ほどの道標の角から入ってしばらくするとある、城跡の西側の駐車場を通過して、まずは城の北西にあるお寺を目差す。




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 ここ。「景江山撰要(せんよう)寺」という浄土宗のお寺。横須賀城を築城した大須賀康高は、そのまま横須賀城の城主となったのだが、時をほぼ同じくして、この撰要寺も創建した。




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 山門は、なんと明治始めの横須賀城廃城のときに、その「二の丸不開門(あかずのもん)を移築したもの。「丸に立葵」の紋があることから、第十二代城主本多利長の頃のものだろう、とのこと。天保二年から天和二年(1645から1682年)頃にあたる。掛川市の指定文化財。




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 こちらは大須賀康高と、第二代城主大須賀忠政のお墓。他にも、歴代城主達の墓が多くあるのだが、なんとなく、お墓の写真を撮るのはおっかないので、これだけで勘弁してください(笑)。

 また、来た道を戻って、駐車場へ。しかしまた通過して城跡の東側へ。




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 「三の丸跡」。この辺りに、「東大手門」があったはずなのだが、その痕跡等はみつけられず。「両頭城」と呼ばれた所以たるものをみたかったのだが、残念。さあ、こんどこそ駐車場へ。……というところで、もったいつけて次回へ続く。

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