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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブで史跡めぐり 1


 高天神城 その1


 (昨年のスーパーカブ110購入以来、「カブのこと」という表題のもとに、このカブ110に関することを記事にしてきましたが、この表題では記事の内容がよくわからないので、今回から、史跡めぐりツーリングに関しては「カブで史跡めぐり」という表題に改め、カテゴリーも新設、独立させることにしました。具体的な行き先については、これまで通り副題として記事冒頭に掲げることにします。今後とも、よろしくお願いします。)

 
 これまで、主に旧東海道を辿ること第一の目的として、その沿線の史跡を見てまわるような具合に、この「早朝史跡めぐりお散歩ツーリング」を続けてきた。つまりあくまでも「道」への興味から始められ、そして進められてきたのであるが、その過程において、何カ所かの城跡を訪れることとなった。

 具体的に挙げていくと、東から中山城、蒲原城、駿府城、田中城、諏訪原城、掛川城、そして先日行った小山城と相良城、である。この城跡というもの、そのひとつひとつについて訪れる度に、それが誰によっていつ頃何を目的にして築かれたのか、そしていかにして廃城に至ったのか、一応いいかげんなブログ記事をでっちあげられる程度には調べるのであるが、これがまあ、本当に面白い。

 城というものは元来軍事拠点を敵から防御するために築かれるものなので、当然、そこは戦場となりやすい。そして合戦とは、今も昔も最後の外交手段なのであり、様々な外的ないし内的要因が絡み合った結果、最終的な、いわばひとつの「極まり」として惹起せられるものなので、往々にして歴史が大きく動くキーポイントとなること、これまた至極当然というべきだろう。

 即ち「人類の歴史とは戦争の歴史である」などといわれる所以もこの辺りにあるのかも知れない。無論戦争だけが人類の歴史を作り上げてきたのだとは、皮肉な、そして悲観的に過ぎる史観ではあるが、戦争を古い順に並べていけばかなり完成度の高い歴史年表が出来上がってしまい、逆に戦争抜きの歴史年表が極めて不完全なものになってしまうこともまた紛れもない事実である。

 まあ少し話がそれたが、ようするに、一個の城の歴史をみることは、これ即ち、歴史の重大な局面をみることを意味するのだ、といいたいのである。そんな訳で恒例の(?)長ったらしい前置きも終わったところで、今年第二弾の早朝お散歩ツーリング、目的地は掛川市にある高天神城と決めて、いざ出発。

 日の出の時間に現地到着、の予定が、寝坊して日の出とともに出発とはなったが、静岡市の自宅から、ほんの数滴、ヘルメットのバイザーに落ちた小さな雨粒にビクビクしながらも国道1号線を西へ。藤枝市に入ったところで、高架道路になり125cc以下の二輪車は通行禁止になってしまう国道1号とはお別れし、県道381号でさらに西へ。大井川を渡って「小夜の中山トンネル」で峠を越え、途中コンビニに寄って朝食とトイレを済ませつつ、掛川警察署の先、「北池」交差点を左折。この辺りは、去年訪れた旧掛川宿であるが、とりあえず素通りして県道38号線を南下、東名高速道路を掛川インターチェンジのすぐ西側でくぐりさらに南下、サークルKのある「子隣」交差点で右折して、今度は県道249号線に入りしばらく西向きに走る。

 この辺り人家もまばらで、県内といえども知らない田舎道を走るといかにも遠出をしている気分になっていいなあ、なんて思っていたら、前方に仕事で来たことのある大きな物流センターが見えてきて、なんだ、ここかと急に日常生活に引き戻された気がして興ざめしたり、トラックドライバーである自らの境遇を呪ったりしている内に、道は緩やかに左へ曲がっていってまた進路は南に。「落合橋」の交差点から、直進方向の道は県道251号線になってしまうが、そこを右折すればまた249号線なのでそちらへ。数百メートルで「高天神城」の看板があるので看板通りに左折、さらに1kmほど走れば、目的地に到着、である。よく時間を見ていなかったが、自宅から、大体一時間半ぐらい、かな。




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 私が辿った経路だと、城跡の「北口」に着く。こちらには大きな駐車場が幾つもあるのだけれど、こちらは城の「搦手」即ち裏門である。いきなり裏から、というのが何となく気になったので、「南口」すなわち「追手門」にわざわざまわることにした。




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 こちらが「追手門」。あまり大きくはないが、ちゃんとした駐車場があり、トイレもある。ここから、さあ、入城である。




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 ここは高天神城址であると同時に、「高天神社」という神社でもあるので、入り口には鳥居がある。ただ、神社の入り口、という観点からは、こちらが裏で、表の参道は搦手門の方になるようだ。駐車場等があちらに多いのはそのためだろう。




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 御覧の通り、追手門はその痕跡すら残っていないが、その代わりに……




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 これが出迎えてくれる。天然記念物「高天神追手門スギ」。




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 「着到櫓跡」などを横目に、山道を歩く。けっこうな坂道である。




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 分かれ道を左へ。城跡内は、道は入り組んでいるが、案内看板がしっかりしていて迷うことはなかった。




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 「三の丸跡」。




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 「かわや」も数カ所あります。




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 三の丸からの景色。城から南東を眺めた感じ。天気が悪く、あまり遠方を望めないが、よい景色である。天気がよければ遠州灘まで眺められるはずで、この眺望があったからこそ、この城には軍事拠点としての大きな価値があった、といえよう。


 「高天神城は、小笠山から南東にのびる尾根の先端、標高一三二mの鶴翁山を中心に造られた山城です。(中略)高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力であるとされています。」


 と、掛川市役所商工観光課発行のパンフレットにはある。しかしこの城が、日本の歴史において重要な意味を持ち始めるのは、むしろその今川氏が力を失ってからであった。

  天文五年(1536年)、お家騒動である花倉の乱に勝利した今川義元は、今川氏当主として手腕を発揮、着々とその支配地域を広げ、年号が永禄になるころには、駿河、遠江のみならず、三河を越えて尾張にも手を伸ばし始める。

 即ち永禄三年(1560年)の時点で、今川氏は戦国大名として最盛期を迎えていた、といってしまってよく、この事実が、桶狭間の戦いをより劇的なものとしている訳だ。二万五千ともそれ以上ともいわれる今川の大軍に、その十分の一程の規模しかなかった織田信長軍が奇襲をかけ、敵の総大将を打ち取るという、まるで神話かそれとも漫画かとも思われるような、荒唐無稽としかいいようもないような桶狭間の戦いであるが、その歴史的意義は、戦いそのものよりも、その後に与えた影響の方にあるといえよう。

 何やら『平家物語』の平氏よろしく、貴族気取りの馬鹿殿様みたいに描かれることのある義元であるが、実際は、守護大名としても極めて室町将軍家に近しい名門中の名門であった今川氏の勢力を、戦国大名としてさらに拡大させたのだから、実に優秀な指導者であったとみるのが妥当であろう。

 歴史に「もし」を問うのは愚かなことだが、愚かなことほど面白いものもない。「もし」義元が順当に織田に勝利し、尾張をも手中に収めるようなことになっていたら、あるいは、天下は今川氏のものになっていたかもしれない。よくいわれることだが、そう考えることに決して無理はなかろうと思う。

 しかしその絶頂期にあった義元の突然の討ち死には、それだけに今川氏全体を混乱に陥れずにはいなかった。義元の跡を継いだ氏真はその混乱を収めきれず、武田氏と徳川氏との東西からの挟撃にあって今川氏は急速に弱体化し、最終的には掛川城に追いつめられ、かつては今川氏に人質に取られていた家康配下の軍勢に降伏する形で開城、永禄十一年(1568年)、お家断絶だけは免れるものの、戦国大名としての今川氏は滅亡する。

 その結果、今川氏という巨大勢力がすっぽりといなくなった駿河、遠江をめぐり、今度は徳川氏(及び織田氏)と、武田氏が争うこととなるのだが、そうした時流の急激な変化の中の、数かぎりない戦場の内のひとつとなったのが、この高天神城であった。

 今川氏の配下にあった高天神城の城主は小笠原氏であったが、今川氏滅亡後に城が徳川家康の配下となっても、そのまま小笠原氏は徳川氏の家臣として城主に留まった。その高天神城を奪取すべく、元亀二年(1571年)、まず武田信玄が攻撃するも、落城させるのは不可能とみて兵をひいた。

 現地の案内看板によると、信玄は二万五千の大軍で攻撃したらしいが、それでも落とせなかったこの「難攻不落」の高天神城。その後の出来事は……長くなったので次回に続く。


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