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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 28


 田沼街道 その3・小山城


 旧田沼街道めぐりもこれで三回目。まだ半分も進んでません。かつては無論田沼街道のために橋が架かっていた訳ではないので、国道150号で大井川を渡河。渡ってすぐに、土手沿いの道を左折、川岸にそって下流方向を目指す。




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 その辺りから、150号線を振り返る。




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 寺島川除地蔵。天保年間、大井川の度々の氾濫による洪水被害に悩まされ、ここにお地蔵様が祀られた。縁日の「灯籠あげ」という行事は、吉田町指定の無形民族文化材、だそうだ。

 


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 150号から数百メートル、土手の上から下流方向を望む。このあたりで、右折。




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 この道を入る。これが旧田沼街道。




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 「熊野神社」などを横目に、こんな裏道を辿ると、




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 また国道150号線に合流。ここで、コースを北に少々はずれて寄り道をする。




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 これである。「小山城跡」。田沼時代、即ち江戸時代中期という、この国が歴史上最も政治的に安定していたといってよい時代から(現代? 現代なんて、まだ最後の戦争から70年しか経っていないので、250年以上も天下太平の世が続いた江戸時代とは、比較にならないほどの「乱世」です)、話は戦国時代の、多分この辺りに最も戦乱が荒れ狂っていた頃に遡る。

 小山城趾は、現在、「能満寺山公園」として整備されている。すぐ側に大きな駐車場があるので、車やバイクはそちらに。




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 その「能満寺」が、こちら。ここの境内にあるのが、




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 国指定天然記念物、「能満寺のソテツ」。日本三大ソテツ、だそうで、つまりこれ全部で一本のソテツ、ということなのだろうが、もうなにがどうなっているのかわからない(笑)




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 その脇に、小山城への入り口がある。ここを登ると、




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 さらに階段。これはなかなかの傾斜。右に伸びる少しなだらかな「女坂」もあるが、私はこう見えても男の子なので(笑)、強がって左の急な階段を登る。
 



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 いい加減に息もあがってきた頃にたどりつくのが、「虚空蔵尊」。




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その先にみえてくるのが、「展望台小山城」。残念ながら、小山城には天守閣はなかったので、これは最近になって造られた模擬天守である。中は資料館のようになっており、最上階は展望台らしいのだが、またしても例によって朝早すぎて入れず。9時開場、だそうです。




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 しかしこちらは本物。堀の跡。この三日月堀、というのが、歴史文化財的価値の高いもの、であるらしい。

 戦国時代、といっても、今川義元の時代は、この駿河、遠江国境周辺は比較的平穏を保っていた地域だ、といえるだろう。内輪もめなどはあったかもしれないが、有力大名たる今川氏の、三河や尾張の一部にまで達する広大な支配地域の、ど真ん中に位置するのだから。しかしその今川義元が、1561年に桶狭間の戦いで討ち死にすると、事態は一変する。

 義元の死後、急速に弱体化する今川氏が、見過ごされる程甘い時代ではなかった。甲斐の武田氏と、三河の徳川氏に挟まれた今川氏は、あっという間に領土を失い、最終的には掛川城に籠城するも、徳川勢の攻撃により1568年落城。今川氏は北条氏の庇護の元、かろうじて存続するが、戦国大名としての力は、桶狭間からたったの7年で完全に失う。

 今川氏挟撃に際しては、武田氏と徳川氏との間に密約があったらしいが、それも乱世のならい、武田氏が遠州に侵入したことで破綻、今度は駿河、遠江をめぐって、この二者で争うこととなる。そこで武田氏が、1571年、元々あった今川氏の「山崎の砦」を元にして築いたのが、この小山城、ということになる。

 ここから始まる、織田・徳川と武田との一進一退の激しい争いについては、もうややこしすぎるので割愛。最終的には、長篠の戦いの後に徳川勢の猛攻にあい、1575年の諏訪原城落城の後も数年間は絶えぬくも、1582年、ついに小山城は落城する。

 と、小山城の歴史について、取り急ぎ調べたことを適当にまとめてみたが、間違っている可能性は充分にあるのでご注意。くれぐれも、大学受験のための参考になどしないように(笑) ようするに築城は武田氏によるものなので、その甲州流築城術なるものの特徴が強く出た構造をもっている、らしい。よくわからないので、まあ、実際に見てみることにしよう。




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 復元された大手門。こちらが正面で、私は裏側からあがってきた、ということになるようだ。




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 その近くにある、「三重堀」。木がいっぱいで暗くて、写真ではさっぱりわからないが、実際に見に行くとかなりはっきりと堀の形がわかります。上の「三日月堀」というのが、武田流の築城の特徴であり、それがここではみっつ並べられているのだが、それがとても珍しく、貴重であるという。




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 こんな説明書きがあった。なんだか、怖いね。

 それでは、小山城を後にし、また旧田沼街道に戻るとする……というところで、またしても長くなったので、次回に続く。ああ、たった七里の道のりの、なんと遠いことか。



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