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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 26


 田沼街道 その1  藤枝側起点

 全ての道はローマに通ず。ローマ帝国があれだけの広大な領土を支配し、繁栄できたのは、領土の隅々まで道をつなげたからだ、とはよくいわれることだ。それは物資の運搬を容易にして交易の発達を促すのみならず、何より、兵力の素早い移動を可能にしてくれる。だから洋の東西を問わず、支配者達はいつでも、自国自領の街道整備に力を注いだ。よって徳川の五街道整備も、その常套手段にならったものだ、ということができる訳だ。

 江戸の日本橋を起点にした五街道。単に道をつなげるのみならず、宿場を設置して、物資や人員の移動を助けるひとつのシステムを構築したその政策は、やはり高く評価されて然るべきものだろう。古代からの事業の継承にすぎない、という見方はできるし、多分それが正しいのだけれども、全国規模で完成させたのは徳川である。ただ無論、五街道だけではとても全国を網羅しきれるものではなく、五街道から様々な道が縦横に延びていくことによって、初めて道というものは全体として機能する。

 だから例えば東海道からも、様々なローカル街道が枝分かれし、それぞれが様々な機能を担っていた。ある街道は難所の迂回を可能にし、また他の街道は東海道沿線から遠く離れた街との連絡路となった。わが静岡県下では、伊豆の下田街道や、遠州の姫街道などが有名であり、それらは総称して脇街道、あるいは脇往還などと呼ばれる。そして、藤枝宿から分岐し海岸沿いの相良へと至る田沼街道も、その脇街道のひとつ、ということになる。

 江戸時代の田沼、と聞いて思い出されるのは、やはり田沼意次であろう。そう、この田沼街道は、他ならぬその田沼意次によって整備されたのである。いつぞやの梶原景時に続いて、またしても「悪役」の登場の感があるが、別に駿河国にゆかりのある人物はみんな悪人、という訳じゃあない。たまたま、である。

 田沼意次は、享保四年(1719年)、田沼意行という旗本の長男として生まれたひとで、その父親から継いだ家督はわずか600石であった。しかし第9代将軍徳川家重、そして第10代家治の側近くつかえて出世、相良藩5万7000石の大名、及び幕府の老中を兼任するまでになった。能力が並外れて高いひとであったことは確かであろう。

 幕府政治の中心に近づき、幕政を主導するようになると、意次はその能力を幕府の財政の立て直しのために発揮する。相場が不安定な年貢米ではなく、商業を保護、奨励することによってそこから得る貨幣収入を重視、さらには貨幣の統一等の政策によって財政を安定させるなど、その手法は「重商主義」だと評価される。彼の政策によって、幕府の備蓄金はそれまでの最高額にまで増加したというから、成功した、といってよいだろう。彼が幕政を主導したこの時期のことは、「田沼時代」と呼ばれる。

 その他にも、鎖国の緩和や町人資本による新田開発、蘭学の保護等、様々な改革を試みた意次であるが、結果的には、彼の後に権力を握った松平定信に追われる形で、領地も私財もほとんど没収されて幕政の場から退くことになる。

 失脚の理由のひとつとして、意次の重商主義が「拝金主義」とみられた、というものがある。「賄賂政治家」としての彼のイメージもこの辺りに起因するのだろう。意次を失脚させ、処罰した松平定信に主導された、所謂「寛政の改革」が、享保、天保の両改革と同じく「重農主義」であったことからも明らかなように、重農主義が元来の徳川幕府の伝統であった。ようするに、意次のやり方は「嫌われた」のである。(無論、定信との確執というか、政策の違いとは別のところでの、権力争いとしての政治的対立も無視はできないが。)

 それ故か、田沼意次といえば悪徳政治家の代名詞のようにいわれてきたのであるが、近年になって、その政治手腕は近代的、先進的なものとして高く評価されているようである。実際、米収入に頼る重農主義の三大改革のどれよりも、幕府の財政健全化には成功している訳だし、他にも身分制度にとらわれない能力主義の人事などの試みまでしていたりと、先進的、という言葉は確かに彼に相応しいといえるだろう。

 だが、事はそんなに単純でもない、という気もする。近年になって意次が高く評価されるようになったのは、「近年になった」からこそ、即ち現代的価値観から彼をみているからこそ、だとは考えられないだろうか。つまり、現代という時代の価値観が重商主義であるからこそ、彼の重商主義が受け入れられる、ということだ。

 時代にそぐわなかったならば、それがいかなるものであろうとも、やはり時代はそれを拒絶するのである。江戸時代はいわば「ロマン主義」の時代であった。あの時代には、いくら意次の政治が「合理的」であったとしても、それを拒絶する価値基準が支配的であった。だから彼は「悪徳政治家」として排斥されたのではなかろうか。

 と、ちょっと調べてみただけの田沼意次について、エラそうに意見など宣ってしまったけれども、私の主眼はあくまでも「田沼街道」、即ち幕府の老中としての意次の仕事ではなく、相良藩の藩主としての大名田沼意次の事績、である。またしてもワザとらしく長たらしい前置きがすんだところで、スーパーカブ110による早朝お散歩史跡めぐりツーリング、冬期中断明けの今年の第一弾は、この田沼街道を辿ってみることにしました。

 東海道は、その名の通り、大体海沿いを通っていく街道なのであるが、藤枝宿辺りからは、御前崎に向ってぐっと南下する駿河湾西岸の海岸線から離れ、その御前崎の突出をショートカットするように、内陸部を真直ぐに浜松を目差して続いていく。その東海道から、藤枝宿の少し西側、瀬戸川という小さな川のほとりで分岐し、海岸線を目差して南へ伸びて、約七里(大体28km)先の相良に続いていたのが、田沼街道という脇街道である。

 


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 ここがその起点である。今回のお散歩はここをスタートとする。斜めに降りていく道の方が、旧田沼街道になる。時間は朝の6時過ぎ、ちょうど日の出の時刻である。その日は、あったかくなるよ、という天気予報だったのだが、やはり、早朝はまだ冷え込んだ。ぶるぶるふるえながら、ああ、もうちょっと暖かくなってからにすればよかったかな、と少し後悔。川沿いに立ち並ぶ木々は全てソメイヨシノだ。もう少し遅い時期にすれば、暖かいだけでなく、満開の素晴らしい景色がみられたはずなのに、などと、ひとりぶつくさ文句をいいつつ、カブをスタートさせた……ところで、なんだか長くなってしまったので、次回に続く。ああ、まだ1mも走ってねえや(笑)


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