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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

私とオートバイ・その15 SR500S


 ふたたび #2 (1996-1998年)


 1995年の日記を読み返すと、4月15日に、24歳の私はこう書いている。


 「今年の7月15日から30日まで、これを北海道ツーリングにあてよう。不安はある。しかし、行動よってそれを払拭する、という手段を択ぶ。」


 最初の北海道以来、すっかり「内向的」な人間になっていた私は、SRを買い、再びバイクに乗り始めたものの、そう簡単には、GPやカタナに乗っていた頃のようにはなれずにいた。相変わらず本を読んでばかりおり、引きこもりがちで、何週間もSRに乗らずにいることも珍しくはなかった。

 つまり、「バイク乗り」としての体力、気力、そして感性が、「なまって」いたのだ。日常的にバイクに乗っている訳でもない自分が、あの東北自動車道を走り抜き、北海道に辿り着けるものなのか、まるきり自信がなかった。オートバイは、感覚の乗り物である。自分の感覚は、身体的にも、精神的にも、以前程バイクという乗り物とシンクロしてはいないと自覚していた。

 しかも、四気筒DOHC1100cc、111馬力のエンジンを積んだバイクであれだけ苦労した東北道を、今度は、単気筒SOHC500cc、たった32馬力のちいさなバイクで走らなければならないのである。自分にそれができるのか。その不安を、私は、「行動によって払拭」しようとしたのだ。それはようするに、自信があろうとなかろうと「やってしまう」ということである。

 その手始めとして、確か5月か6月のある休日、山梨の清里方面へのツーリングに出掛けた。一日中走るようなツーリングは、SRでは初めてだった。自分が一日中走れるのか、それを試す意味もあったが、ツーリングユースでの燃費を確認しておきたい、という目的もあった。まずタンクを満タンにしてから出発し、国道52 号線という山越えの国道から中央高速道など、いろいろな道路を走って帰ってきた。SRのタンク容量は確か12リットルである。実はこれが少しばかり気になっていた。ひろい北海道を走るには、少々小さすぎないか、ということである。

 街から街が、本州では考えられないほど離れているため、必然的にガソリンスタンドも離れている北海道では、気をつけていないと、次のスタンドまで辿り着けなくて本当にガス欠になる可能性がある。休日には当然のようにお休みになるスタンドも多いのでなおさらだ。

 だがSRはこの日、総走行距離370kmを無給油で走りきり、帰ってきて自宅の近所のスタンドで給油してみれば、10リットルしか入らなかった。つまり、1リットルあたり37kmも走ったのである。これならば、いくら北海道でも心配はいらなかった。不安はひとつ、払拭されたという訳だ。少なくとも、バイクに問題はない、ということである。

 そして、持ち物の準備、であるが、これは前回の北海道ツーリングのときのものがそのまま使えたので、ほとんど買い足す必要はなかった。無駄な工具類など、経験的に必要なさそうなものを減らしたぐらいであった。最初のときはなんだかあれもこれもと、経験不足を物を準備して備えることで補おうとしていたようだった。が、北海道は別に前人未到の処女地かなにかではない。むこうで何か足りなければ、現地で買えば良いのである。つまり、使うのかどうかわからないようなものは、とりあえず持っていかず、そのぶんお金を余分に持っていくべきなのだ。このことを理解したことで、ずいぶん荷物は減らせた。

 迷ったのはセパレートハンドルだった。私の好みとしてSRはセパハンのほうがカッコイイので、本当はそのままで行きたかったのだが、あの小さな車体でセパハンでは、実際清里ツーリングのときもちょっときつかったし、シート後部に大荷物を積むとなればさらにライディングポジションは窮屈になるので、ロングツーリングではまたしてもゼファーの事故で痛めた腰が悪くなる可能性があった。それに、カタナでもあの前傾姿勢には度々苦しめられたことを思い出し、結局、ノーマルのアップハンドルに戻すことにした。

 準備、という点で、もっとも苦労しそうだと思われたのは、勤め先で休みをもらうこと、だった。もう私はアルバイトではなかった。正規採用でもないが、一応、社員番号ももらった契約社員だった。さて、半月も休みが取れるのだろうか。ただ、契約社員の給料は時給計算だった。つまり、働かなければ単に自分の給料が減るだけなのである。その点に望みをかけて、担当者にお願いをしたところ、以外にもあっさりと休みはもらえた。その頃、不景気で仕事が激減していたことも幸いしたのだろう。

 こうして、出発準備は何の滞りもなく進んでいった。残る問題は、私自身のみ、であった。

 自信など、なかった。しかし北海道を求める気持ちは強まるばかりだった。そしてそれが強まれば強まるほど、日常生活の煩雑さ、不自由さ、狭苦しさを厭う気持ちも強まった。7月に入る頃には、もう出発が待ち遠しくてならなくなった。私自身も、少なくとも心の準備はできたようだった。

 しかしもしかしたら、この時点で私は、今一度冷静に考えるべきだったのかも知れない。引きこもりがちで、休日に外出することもおっくうで、部屋で本を読んでばかりいた自分が、どうして北海道へいくことだけはこんなにも強く求めたのだろうか、そのことについて、考えるべきだったのかも知れない。


 かつての「外向性」が、最初の北海道ツーリングを機に一気に「内向性」へと方向転換し、そしてそのままそれは続いていた。そしてその「内向性」こそは、自分本来のあるべき姿であり、バイクに乗り始めることによって一時的に「外向的」になっていたあの時期のほうが実は自分にとっては本来的でない状態だったのだと、当時すでに私は思っていたし、実際その見方は、今現在の私の視点から判断しても正しかった。

 それでもなお私が北海道へ行くことを強く求めていたとするならば、それは実際の、はるか北方にある北海道を、というよりは、私の「内側」にある北海道を求めていたのだ。

 しかし当時の私は、肝心なそのことを理解できずにいた。北海道へ行きさえすれば、またあの頃の自分に戻れるのだと信じていた。日常生活にくたびれた「大人」ではない、自由と若さとを両翼にして飛びまわっていたあの頃にもどれるのだと。

 理解せぬまま、私はその日を迎えた。7月15日を最終の準備の日にあて、16日の昼間に睡眠を取り、その夜、私は二度目の北海道ツーリングに出発した。
 

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