FC2ブログ

乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 15


 旧東海道・富士川東岸、吉原宿


 ここ数ヶ月の、スーパーカブ110での旧東海道ツーリング。そもそもの始まりは、富士川の西岸から、旧国道1号線である県道396号線を走ってみよう、というところからであった。それが、旧東海道の宿場と、そこに残る史跡などをみて回るような具合になり、結果、蒲原宿からずっと西に向けて順々に、掛川宿まで行くこととなった。

 しかしその続き、となると当然、もう再スタート地点に行くまでに一時間半以上はたっぷり掛かってしまう。相変わらず休日に女房子供を放っておいて、ひとりバイクで遊び回っていたりなどしたならば、それきり家には帰れない、なんていう事態になりかねないという家庭の事情には変化はなく、バイクで遊ぶならば、家族が眼を覚まして活動を始める前の早朝しかないのだが、季節は夏から秋、そして冬へ向おうという時期にあり、即ちそれは日の出がどんどん遅くなる、ということを意味する。つまり我がささやかなる早朝ツーリングの時間はどんどん失われていく訳である。これでは、なかなか掛川から先へは行かれない。

 そこで、今度は富士川から東へ向うことにした。夜明け前にのこのこ起きだし、寝ぼけた4歳の息子が突然がばっと起き上がるのにビクッとしながら家を抜け出し、我がスーパーカブの空冷SOHC109ccシングルエンジンに火を入れ、東へ向けて走り出した。
 



IMG_0255_convert_20150921063400.jpg

 そして、着いたのが旧東海道、すなわち県道396号線の富士川東岸である。暗い(笑)。これではなにがなんだかわからないので、途中のコンビニで買ってきた缶コーヒーとアンパンの朝食など食べながら日の出を待った。




IMG_0256_convert_20150921063436.jpg

 日の出待ちをしながら撮影。「富士川渡船場跡」石碑。水量が多く流れも急な富士川は、徳川幕府による街道整備のときに、渡河は渡し船にて、と定められた、とのこと。




IMG_0259_convert_20150921063508.jpg

IMG_0264_convert_20150921063531.jpg

 明るくなってきた。見えてきたのは「水神社」。ここをスタートとして、旧東海道を東進する。




IMG_0265_convert_20150921063555.jpg

 県道の様子。数百メートル進むと、




IMG_0267_convert_20150921063632.jpg

 早速旧街道は脇に逸れる。県道は写真の右方向へ、しかし旧街道は奥へ続く細い裏道の方である。




IMG_0270_convert_20150921063703.jpg

 だがまた直ぐに県道に合流。写真右からの道が、先ほどの裏道の出口、左の二車線路が県道396号である。




IMG_0272_convert_20150921063730.jpg
 
 その合流点にあったのが、「常夜灯」と「道標」。




IMG_0277_convert_20150921063801.jpg

 ちょっと進むとまた逸れる。旧街道は今度は右手に。




IMG_0276_convert_20150921063826.jpg

 そこに立っていた標識によると、どうもこのあたりは「間宿(あいのしゅく)」だったようだ。




IMG_0279_convert_20150921063857.jpg

IMG_0280_convert_20150921063922.jpg

 しばらく進むとまた標識。「高札所跡」。




IMG_0283_convert_20150921063948.jpg

 明るくなってきて、うっすらとその姿をあらわしたのが、富士山。ちょっと見にくいですけど。

 道はここらあたりから、まるで迷路のように曲がりながら、裏道をたどって行く。




IMG_0284_convert_20150921064015.jpg
 
 こんな道を通ったり、




IMG_0286_convert_20150921064040.jpg

 こんな大通りを横切ったり、




IMG_0287_convert_20150921064106.jpg

 こんなところを通ったりしながら、だんだん北に、すなわち富士山に近づく方向に逸れていく。




IMG_0291_convert_20150921064143.jpg

IMG_0289_convert_20150921064211.jpg

 そして辿り着いたのは、旧東海道14番目の宿場、吉原宿跡。現在の、吉原商店街のある所である。




IMG_0292_convert_20150921064237.jpg

 銀行の前にこんなものが。みれば、どうやらこのあたりに本陣があったようだ。

 海岸線にそって真っすぐ続いていた東海道が、なぜか、内陸方向に急に曲がった所にある、この吉原宿。『静岡県の歴史散歩』によると、元々は現在のJR吉原駅付近、即ちもっと海岸線に近い場所にあったのだが、津波の被害により、寛永16年(1639年)に北よりに移転された。しかし延宝8年(1680年)の大津波で再び被害を受け、さらに内陸の現在の場所に移された、とのこと。これにより、東海道が吉原宿付近で急な方向転換することになった、という訳だ。




IMG_0296_convert_20150921064309.jpg

IMG_0297_convert_20150921064335.jpg

 通りの一本裏手に、「天神社」。朱の色が鮮やかで綺麗な神社であった。




IMG_0298_convert_20150921064419.jpg

 商店街の東外れあたりに、「岳南鉄道・吉原本町駅」。そこからさらに東へ数百メートル行くと、




IMG_0300_convert_20150921064452.jpg

IMG_0301_convert_20150921064523.jpg

 「平家越」の碑。

 『平家物語』巻第五、第四十八句、富士川より。

 さるほどに十月二十三日にもなりぬ。明日源平富士川にて矢合せとぞ定めける。夜に入つて平家方より源氏に陣を見わたせば、伊豆、駿河の人民どもが、いくさにおそれて、あるいは野に入り、あるいは山にかくれ、あるいは船に乗り、海川に浮かび、いとなみの火の見えけるを、平家の兵ども、「あな、おびただしの源氏の陣のかがり火や。げに、野も、山も、海も、川も敵にてありけり。いかにせん。」とぞさわぎける。
 その夜の夜半ばかりに、富士の沼にいくらも群れゐたりける水鳥どもが、なににかおどろきたりけん、ただ一度にばつと立ちたる羽音の、大風いかづちなんどのやうに聞こえけるを、「すはや、源氏の大勢、実盛が申しつるにたがはず、さだめて搦手にもやまはるらん。とりこめられてはかなふまじ。ここをば引いて、尾張の須俣をふせげや」とて、取る物も取りあへず、「われさきに」とぞ落ちゆきける。

(新潮日本古典集成 『平家物語 中巻』)


 治承四年(1180年)、源頼朝と武田信義の連合軍と、平維盛を総大将とする平家軍とが相対峙した「富士川の戦い」において、水鳥の羽音に驚いて平家軍は戦わずして敗走した、という故事に因んだ石碑が、これである。




IMG_0304_convert_20150921064548.jpg

 「平家越」から、少々東海道を外れ、北側へ数百メートル、狭い路地を入った所にあるのが、「呼子坂」。こちらは、「富士川の戦い」に挑もうという源氏方が、ここで呼び子の笛によって兵を集めた場所、とのこと。この合戦を機に、頼朝、甲斐源氏共にそれぞれの東国における勢力を盤石のものとし、反対に平家は、その悲劇的な最期への道のりを歩み始めた。時代の潮目が変わった、大きな出来事だったということだ。

 また、街道にもどる。「平家越」で街道は南へほぼ90度に向きを変え、真っすぐ海岸線の方向へと向う。

 吉原宿の移動によって、大きく蛇行することとなった東海道。その結果生まれた景観が、「左富士」である。江戸から西へ向けて東海道を歩いてくると、当然、富士山は常に右手に見えている。しかし前述のように吉原宿が北側に大きく移動したことによって、街道が湾曲、結果として西へ向う街道の左側に、富士山が見えることとなった。


 

IMG_0315_convert_20150921064616.jpg

 こんな感じ。夜明け直後だし、薄曇りだしで、ただの日清紡の宣伝みたいな写真で、富士山がよく見えないですね。




250px-Tokaido14_Yoshiwara.jpg

 代わりといってはなんですが、広重の浮世絵も、この通り。確かに富士山が左にみえる。その広重、日記に、


 「原、吉原は富士山容を観る第一の所なり、左富士京師(京)より下れば右に見え、江戸よりすれば反対の方に見ゆ。一町ばかりの間の松の並木を透して見るまことに絶妙の風景なり。」

 と記しているそうだ。その説明書きがあったのが、ここ。




IMG_0316_convert_20150921064651.jpg

 旧東海道左富士の松。ただ一本残る当時の松並木だそうだ。

 道は海岸線に向っていく。JR吉原駅付近、つまり、最初の吉原宿があったあたりから、海岸線に出てみる。




IMG_0323_convert_20150921064725.jpg
 
 駿河湾が視界いっぱいに広がる。





IMG_0324_convert_20150921064750.jpg

IMG_0325_convert_20150921064820.jpg

 ずっと先まで松原が続く。この「千本松原」、次の沼津宿のあたりまで続く、日本有数の松原だそうだ。そしてこの巨大な防波堤。吉原宿を移動せざるをえない状況に追いやったほどの津波への備えだ。以前は、これほどの防波堤ならばどんな津波でも大丈夫だろうと思っていたが、あの東日本大震災の津波を見てからは、そんなに楽観はできなくなった。

 さて、今回はここまで。途中、一カ所より道をしてから、帰ることにする。




IMG_0326_convert_20150921064848.jpg

 JR東海道新幹線、新富士駅から真っすぐ海の方へ下がったあたりの公園にあるのが、「ディアナ号の錨」。安政元年(1854年)、伊豆の下田港に停泊中だった、ロシア使節プチャーチン一行の乗ったディアナ号は、安政の大地震に伴う大津波により大破、修理のため戸田に向う途中に、風に流され駿河湾沖で沈没した。その巨大な錨は水深24mに沈み、漁網が引っかかって破れることから、地元漁師には「唐人の根っこ」と呼ばれていたが、昭和五十一年(1976年)に引き上げられ、ここにおかれることとなった。

 高さ4.2mの錨を見上げつつ、さようなら、である。今回はなんとか、ひとつの記事に収まりました。では、また。



関連記事
カブのこと 1「県道396号線 その1・富士、蒲原」
カブのこと 4「鎌倉街道(徒歩0分)その1・梶原一族最期」
カブのこと 6・旧東海道、静岡市内
カブのこと 8 旧東海道 安倍川から大井川
カブのこと 10・旧東海道 大井川から掛川宿

にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する