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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

私とオートバイ・その14 SR500S


 ふたたび  #1(1996-1998年)




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 Yamaha SR500S
 1992年式
 空冷4サイクル単気筒499cc
 最高出力 32ps/6500rpm

 (写真はSR500。なぜか、SR500Sの写真がみつからない。何枚かは撮ったはずなんだけど……。しかしまあ、違いは色だけなので、これで勘弁してください(笑))


 Z750を手放し、バイクに乗らなくなった私。年齢も23になり、職場でも若手の中での指導者的立場になった。ただただバイクに乗り、そして北海道を目指すためにバイトをしていた頃とは、同じ場所で同じことをしながら日常を送っていたとしても、確実に、その生活の実質は変化していた。

 大人になる、ということを意識せずにはいられなかった。社会の中で、あるポジションにつき、そこでの役割をこなすことで、自分の生活を組み上げていくということ。そのことの意味を少しずつ知り、そして、それへ向けて、自分もまた歩みを進めつつあるという事実。こういうことなのかな、と思った。こうして日々与えられる自分の役目をこなしていくことで、人は、別段意識しなくても大人に、つまり「ちゃんとした社会人」になっていくものなのだ。

 周囲もまた、それを私に求めた。勤め先の会社は、しきりに正社員になることを勧めてきたし、両親もまた、契約社員という不安定な立場を心配していた。どうせ同じ職場で同じ仕事をするのならば、正社員になってしまったほうが給料も上がるのだし、嫌になってしまったら辞めれば良いのは雇用形態がどうあろうと変わらないのだし、正社員にならない理由などないといえた。しかし、私はその踏ん切りがつかずにいた。

 北海道の思い出が、私を引き止めていたのだ。同じ場所で日々繰り返される日常。それはあまりにも、あの「絶えざる移動の日々」とは対象的だった。日常を生きるということが自分の中で大きく、重くなればなるほど、北海道でのことが思い出された。なんという身軽さ、なんという気軽さだっただろう。ただオートバイで走り続けることに充たされた日々……。

 正社員になってしまえば、あんな旅はもうできなくなるだろう。あんなに長い休みなどとれるはずがないからだ。そう思うと、なおさらにもう一度北海道に行きたくなった。日常の世界が狭く息苦しく思われ、その分だけ北海道の広さ、心安さが懐かしく思われた。

 もう一度、行きたい。だが今の自分にはバイクすらなかった。その事実によって、自分がいかに不自由であるかを思い知らされている気がした。あの気の遠くなるような東北自動車道の彼方にある、憧れの土地。しかし自分には、そこへ行く手段がないのだ。あの東北道。この日常世界と、津軽海峡の彼方の麗しい世界との間に横たわる、679.5km。自分には、あの道を越えていける翼が、もうないのだ。

 殊にあの帰りの極寒の東北道が思い出された。そして、私の中であの夜が、象徴的な意味を持ち始めた。あの夜通し走った帰りの東北道が、若く自由な旅人であったはずの自分と、今の日常に縛られた、当り前の「大人」になりつつある自分とを決定的に隔てているように思った。あの夜を、もう一度「逆向きに」越えていけば、再びあの北海道を旅していた自分に戻れるような気がした。

 そうだ、自分はまだ23歳なのだ。若い頃を懐かしむような歳でもなければ、様々なしがらみに身動きがとれなくなってしまったような不幸な大人でもない。自分は未だ若く、自由なのだ。私はそれを、自分自身に証明したかった。自分は若く、自由なのだと、証明したかった。もう一度北海道へ行くことこそ、そのための唯一の手段だった。

 来年の夏に、北海道へ行こう。私はそう決めてしまった。旅費を貯めるために、アパートを引き払って実家に戻った。そしてまたバイクを買うことにした。車種は、バイク屋に行く前から決めてあった。ヤマハ、SR500。

 あの1993年の北海道ツーリングについて、私は自分なりに反省したのだった。あのツーリングは、あまりにも性急でありすぎた。あそこへ行きたい、こんどはあそこへ、と、北海道の広さも考えずに、あちこち走り回り過ぎたのだ。おかげで、道東、道北、道南、道央、ほぼ隈無く走りまわった割に、何も見ておらず、市販のガイドブックに載っているような有名な場所ですら、ほとんど行ったことがない気がした。

 一度目は、それでよかった。あるいは、そうあるべきだった、というべきかも知れない。ただ、二度目はそれではいけないと思った。地図を見返せば、幹線路をあっちへこっちへと走りまわり、私の航跡は北海道の上に荒い網の目を描いていた。その網の目を、より細かくしたかった。出来れば、面にしたかった。あの土地を、もっと知りたかった。

 そのためには、大排気量のバイクで一気に長距離移動をするような走り方ではなく、軽いバイクで小回りを利かせる必要があると思った。ただ、北海道までは高速道路を走らなければならない。それにはやはりある程度の排気量が欲しくなる。その条件にぴったりなのが、SR500だった。勿論、そうした実利的な理由ばかりではなく、カッコイイ、というのも大きかったが。

 バイク屋へ。程度のよい中古車があれば、と思い、大きな量販店に行った。ただ、SR500はSR400にくらべ、例の免許制度のせいか市場にでた台数が圧倒的に少ないので、あまり期待はしていなかった。よいものがなければ新車か、などと思いつつ店内をうろつくと、あった。それも、手頃な値段で。このときもまた、私は運がよかった、というべきだった。それも、常識はずれなほどに。

 見たこともないようなカラーリングの、SR。車種名をみれば、「SR500S」とある。S?  お店の人に聞けば、特別色の限定車だ、という。まあ、色へのこだわりは特になかったので、全体の程度も悪くなかったし、ということで、私は例によってその場で購入をきめてしまった。

 何とういか、深いえんじ色にラメが入ったような色と、濃いめのクリーム色とのツートンカラーの、SR。実はこれ、またしても後に知ったことであるが、極めて少数しか生産されなかったモデルらしく、その希少価値たるや、かつての愛車たるZ400GPのライムグリーンバージョンや、SL型のカタナの比ではない、というシロモノだった、らいし。しかし、当時携帯電話すら持たず、インターネットに接続する手段をまるで持たなかった私は、大した情報収集もできず、その辺りのことはよくわからないままに、何のこだわりもなく、そのSR500Sに乗り始めた。

 薄いスタイリッシュなシートにルーカスのヘッドライト、セパレートハンドルにホワイトブロス・スーパートラップのマフラー、等々。「いじってナンボ」なところのあるSRということで、私も自分好みにちょこちょこ改造しつつ、SRを楽しんだ。実際それは、じつに乗って楽しいバイクだった。

 カタナの111馬力は論外として、Z750の70馬力、あるいはSRよりも小排気量のZ400GPの48馬力と比較しても、SRの32馬力のエンジンは非力であった。しかし数値的にはそうであっても、単気筒のロングストロークエンジン特有のあの感覚には、高回転型の多気筒エンジンでは決して味わえない「力強さ」があった。その他、身軽な車体やドラムブレーキなどが生み出すその乗り味は、言葉や数字であらわせない、極めて感覚的な魅力に充ちていた。

 そう、感覚的、だ。感覚とは主観的なものである。だからそれは、比較的に自発的で自己完結的な楽しみだった、といえる。無論それは相対的な評価であり、何と比較して相対的か、というならば、私の場合は、カタナやZ750など、ということになるだろう。だから逆にいうならば、カタナやZ750の楽しみには、どこか「対外的」な、悪い言葉でいうならば「自己顕示的」な部分があった、ということだろう。

 カタナの記事のところで、当時は大型バイクに乗っているだけで「大したこと」だった、などということを書いたが、つまりそれは、他者に「大した」ものだと思われることで、満足を覚えている、と言い換えることが出来る訳だ。そしてそこに、大型バイクに乗ることの「理由」の一端を見出していたとしたならば、やはりそれは自己顕示欲の満足を求めてのことだった、といえることになる。無論理由はそればかりとはいえないし、反対にSRに乗ることにも自己顕示的な部分が全くない訳ではないだろう。あくまでも相対的、比較的な話、である。

 まあ何にせよ、私はSRに乗ることに、これまでのバイクでは知らなかった魅力を見出しており、そして、このバイクでならば北海道へ行ける、と思えたこと、それが何よりも重要だった。1997年を迎える頃には、二度目の北海道ツーリングは私のなかで具体性をましてきていた。


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