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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 12


 旧東海道 大井川から掛川宿
 その2・小夜の中山峠



 東海道に山越えの難所が三つ。即ち、箱根峠、鈴鹿峠、そして、この小夜の中山峠である。ただその標高は、箱根の855メートルは勿論、鈴鹿の376メートルと比較しても、252メートルと決して高いとはいえない。そう、数字上では大した山ではないのである。それなのに何ゆえここが難所扱いされていたのか、私は疑問であった。旧東海道でこの峠を越えるのは初めてであるから、その疑問の解けることを期待しつつ、カブを菊川宿から小夜の中山へ向わせた。




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 ここが入り口。東の登り口である、「箭置(やおき)坂」。実は今回、『静岡の歴史散歩』の他にも、もうひとつリーフレットを持って来ていた。




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 これである。日坂地域振興の会という団体が発行。掛川市商工観光課の名前も連ねられているので、公式のもの、ということになるだろう。これを、仕事中に掛川の道の駅に立ち寄ったときにもらってきたのだ。見所や歴史等々、わかりやすく簡潔にまとめてくれてある。現地でこういうものをもらって利用する、というのは賢いやりかたといえるのかも知れない、などと今後のことを考えつつ読めば、この難所は古今集の昔から歌枕として数々の歌にうたわれているそうで、道ばたに歌碑がたくさんあるらしい。読書ブログとしては、これにこだわらない訳にはいかない。

 そのリーフレットにも、「東の青木坂(箭置坂)、西の沓掛(二の曲がり)の急勾配は旅人を悩ませました」とあったので、ちょっと気合いを入れて坂を登っていった。が、しかし、正直いって大した坂ではなかった。すごい坂がこの先にあるのかと探りながら走っていたら、坂の写真を撮るまでもなく坂を登りきってしまった感じだった。もしかしたら、昔はもっと急勾配だったのかもしれないな、などと思いつつ、リーフレットを参考に歌碑を探していると、ありました、最初の歌碑、阿彿尼の短歌。




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 こんな感じ。
 
 雲かかるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月
 (阿彿尼の日記より)




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 手間の小さい石の方に、現代語訳も書いてくれてある。が、古文の現代語訳ほど嫌いなものはない。せっかく日本語がネイティブの日本人なのだから、できるだけ原文のまま楽しみたい。ラテン語や古代ギリシア語の古典を原文で読めないかわりに、ね。原文を読んでも、頭の中で現代語訳して理解するならば一緒だろう、という意見もごもっともだが、現代語訳も、解釈も、できるだけ自力でやるべきではないだろうか。そうすれば、しだいに原文のままの言葉の響きなども楽しめるようになると思うのだが。

 ま、それはともかく、以下、全部ではないが幾つかをご紹介。

 


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 旅寝するさやの中山さよなかに鹿も鳴くなり妻や恋しき
 (橘為仲朝臣 風雅和歌集)




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 東路のさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ
 (紀智則 古今和歌集)




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 ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れね人をさやの中山
 (藤原家隆朝臣 新古今和歌集)




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 道のべの木槿は馬にくはれけり
 (松尾芭蕉 野ざらし紀行)

 こんな具合に、あちらこちらに十数カ所の歌碑があり、道行く人を楽しませてくれている。芭蕉の俳句の簡潔さもいいが、私はやっぱり短歌が好きだ。……いや、大して知りもせずに言っているだけですけどね。

 勿論、あるのは歌碑ばかりではない。峠の頂上にあるのが、真言宗久延寺。




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 リーフレットによれば、「奈良時代の行基が開基と伝えられる名刹。徳川家康が慶長六年(1600)、掛川城主山内一豊に命じて観音堂を建立し、その後も毎年代参させたという由緒ある寺。」だそうだ。古いお寺って、だいたい「行基が開基」だよね……。まあ、どうあれ、旅人にとっては、難所の続く旅路にあるこのお寺は、心強く有り難く思われたであろうことは想像できる。




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 その境内にある「久延寺夜泣き石」。夜泣き石の伝説については、簡単に書かれたものがあったので、そちらをお読み下さい。(字が小さくてスミマセン。拡大してください)。



 
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 久延寺そばにあるのが、一番有名な歌だということで、これだけやけにでっかい「西行歌碑」。

 年たけてまた越ゆべしとおもいきや命なりけりさやの中山

 「文治三年(一一八六)の秋、重源上人の以来をうけて奈良東大寺の砂金勧進のため欧州の藤原秀衡を訪ねる途中、生涯二度目の中山越えに、人生の感慨をしみじみと歌ったものである。」と、側の説明書きにあり。
 



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 歌碑の「西行像」。ちいさすぎる(笑)。 

 


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 道は丘の稜線に伸びるように続く。 




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 一里塚。




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 鎧塚。「建武二年(一三三五年)北条時行の一族名越太郎邦時が、世に言う「中先代の乱」のおり京へ上ろうとして、この地に於いて足利一族の今川頼国と戦い、壮絶な討ち死にをした。頼国は名越邦時の武勇をたたえここに塚をつくり葬ったと言われる」との由。


 

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 涼み松。松尾芭蕉が、かつてあった大きな松の木の下で涼み、「命なりわづかの笠の下涼み」の句を詠んだことから、この松と周辺の地名が「涼み松」となった、とのこと。

 さて、この「涼み松」を越えたあたりで、そろそろ小夜の中山も終わりに近づく。実は、このずっと手前のY字路のところに、この先の車両通り抜けの不可能を知らせる小さな標識があり、そのY字を右にいけば、旧東海道からはなれて国道1号もしくは旧国一である県道に抜けられたのだが、まあ行ける所まで行ってみよう、という気で、左の旧東海道を進んできたのであった。

 だが、この道は旧東海道であるからして、道自体は先へと続いているはずである。普通車は通れなくてもカブなら行けるだろうとタカをくくって走っていると、だんだん様子がアヤシくなってきた。




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 こんな道が、




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 こんなになった。写真ではわかりづらいが、この道、ものすごい急勾配で、スキー場だったら「上級者コース」にしかないような斜度だった。カブのブレーキをかけっぱなしでくだる。すると……




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 こんな道になってしまった。これまたわかりにくい写真で申し訳ないが、急斜面はそのままに、物凄い急カーブがS字に連続する、螺旋状といってしまってよいような道だった。これは多分、普通乗用車では登ることはできないだろう。切り返さなければ曲がれないようなカーブなのだが、急勾配すぎてきっと一度止まってしまったら二度と発進できないだろう。また、下ることも不可能なはずだ。あんな勾配でカーブしていたら、バンパーを地面に擦ってしまうはずである。「車両通り抜け不可」とは、このことだったのだ。しかし身軽なスーパーカブの機動性が発揮され、私は何とか下ることが出来た。

 そう、この坂こそが、小夜の中山の西の入り口、「沓掛」であった。




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 こんな立て札が。なるほど、これは難所である。この斜度がそのままだったとしたならば、舗装もされていなかった頃のこの道を、着物を着た女性が登れたとは到底思えない。これは四つん這いでよじ登るほかはなさそうである。参勤交代の大名行列は、本当にここを通ったのだろうか。カゴなんかにのっていたら、殿様は転げ落ちてしまいそうである。




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 そういえば、広重の「日坂」の浮世絵はこんなだったな。これ、大袈裟だなあ、なんて思っていたのだが、大袈裟でもなんでもなかった。




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 その坂の途中で、なんとか駐車。これもカブならではの芸当。大きなバイクが止まれるスペースなどない。この写真が、一番斜度がわかりやすいか。これでも比較的坂がゆるい箇所である。ここは、神社の入り口だった。




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 その、神社。「日之坂神社」。その名前からしてきっと由緒ある神社なのだろうが、残念ながら、この荒れかたである。




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 坂を下り終えたところに。これも、広重の「日坂」である。そう、次の「日坂宿」も、ここまでくればもうすぐである。が、続きは、また。


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