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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

私とオートバイ・その12 Z750Four


 変化 #1 (1994-1995年)

 1978年式
 Kawasaki Z750four (D1)
 空冷4サイクル直列四気筒746cc
 最高出力 70ps/9000rpm





IMG_0251_convert_20150822053012.jpg

 1994年秋、富士宮のある寺院にて。写真がなんだかセピア色で、このバイクが発売された1970年代の写真みたいですが、そうじゃありません(笑)。写真の保存が悪かっただけです。



 
 ファビアンは今、武器を投げ出し、自分の気だるさと節々の痛さを感じ、貧しさも富みの一種だと知って、この土地に住む素朴な人間になり、変わることのない景色を窓からながめて暮らしたい気持ちだった。この小っぽけな村に住むこと、これさえ彼は受け入れたはずだ、一旦やりたいことをしとげたあとなら、人は生活上の偶然を受け入れて、それを愛することも可能なはずだから。
 サン=テグジュペリ『夜間飛行』 堀口大学訳


 北海道ツーリングから帰った私の心境を、少々大袈裟に言い表すならば、こんな具合だった。

 最早外界には、興味を向けるべきものもやるべきこともないのだといわんばかりに、部屋に閉じこもり本を読むことばかりに没頭し始めた、1993年の秋。それは「思想的」にいうならば、それまでの新プラトン主義的な傾向から、極端な主観主義、ショウペンハウアー主義への宗旨替え、という、私の価値観、世界観の転換を意味したのだが、ま、ここではあまりそこに深入りしないでおこう。

 問題は、私が外の世界について酷く無関心になった、ということだった。それは外界からの働きかけを遮断してしまう、ということではなかった。それでさえ当時の私には「積極的な」態度だと思われたことだろう。当時の私は、外界がどうあり、私をどう扱おうと、どうでもよかった。

 なんにせよ、本当にただ本を読んでばかりいる訳にはいかず、外に働きに出てお金を稼がなければならないことは確かだった。ならば、それが私生活を著しく侵害しない限りは、外界が求めるものを無批判に受け入れ、それに従ってしまうことが、結局、外界に煩わされることを可能な限り防ぐことになるのだと、私は思った。

 ツーリング前に勤めていたバイト先に、また雇ってもらった私だが、その秋その職場で、社内規定の変更だか労働法関係のコンプライアンスの厳格化だか知らないが、あまりに長期にわたってアルバイトを続けることができなくなり、長い連中は皆契約社員という雇用形態に変更されることになった。それが嫌ならば辞めなければならなかったが、いまさら他にバイト先を探してそこで一から仕事を覚えることの煩わしさを思うと、契約社員となってバイトよりも責任ある立場におかれるのだとしても、そのまま同じ仕事を続ける方が気は楽だった。ということで、私はフリーアルバイターを卒業し、まがりなりにもある大手運送会社の契約社員となったのだが、これなどもまた、実は逆説的なその「外界軽視」のあらわれだったといえよう。  

 逆説的、といえばもうひとつ、逆説的というべき出来事があった。1994年4月、私は静岡市内にアパートを借り、一人暮らしを始めた。これまた一見、親元を離れて自立しようというのだから、外向的な行動のようにみえるが、その実は、本当に一人になれる時間、というものを求めてのものだった。つまり、ひとり集中して読書に没頭するには、実家での家族との共同生活では騒がしすぎたのである。

 そして迎えた5月。こうして私の生活が、しだいにその変化を顕著にあらわし始めたこの頃、またしても仕事中、トラックの助手席からみつけた1台のオートバイ。それが、カワサキZ750Fourだった。

 少なくとも自分では「カタナに飽きた」と思っていた当時の私の眼に、そのバイクは実に魅力的にうつった。それもそのはず、というべきだろう。かつて、ずっとレーサーレプリカに乗りたいと思い続けていたくせに、ゼファーを目の当たりにして一目惚れし、その場で購入を決めてしまった私であるが、そのゼファーのデザインの原型は、1973年発売の750RS、一般に形式名である「Z2(ゼットツー、転じてゼッツー)」の名で呼ばれるモデルにあり、そしてZ750Fourは、その750RSとほぼ同じ外観だった。つまり、元来からして私が好きなスタイルだった、というわけである。

 仕事が終わると、またしてもその足でそのバイク屋さんに直行、Z750の値段を聞き、乗ってきたカタナを査定してもらって下取り価格を聞き、納得、例によって即決してしまった。私には昔から、いまだにそうなのだが、数千円単位の安価なものを買う時はあれこれと迷うくせに、数十万円単位以上の買い物はあまり考えずにすぐ決めてしまうという、少々危険なクセがあるのだ。

 飽きた。……求め続け、そして得たあの北海道ツーリングを共にした愛車に対し、ずいぶんな言い草だとは、私も思う。初めは「鉄のかたまり」であったカタナも、日常生活を一年、そしてあの25日間の旅を共にするうち、我が身に馴染み、愛車と呼ぶに相応しい相手になっていたのは確かだった。しかし、かつて心情的にあれほどに「共感」し得たZ400GPですら、時が至って「手放すとき」を迎えたならば、心は次のバイクに向ったのだ。それを薄情だというべきか否かは別として、その「時」がくれば、手放そうという気になってしまうのは事実である。

 そう、確かに私は変化の時を迎えていたのだった。あの北海道ツーリングが私の「青春」の象徴であり、その行き着いた先であったとするならば、その旅の終わりとは即ち、私の「青春」の終焉だった。私はきっと、無意識的に落ち着く先を求めていたに違いない。「いままで」とは違う場所で、私の「これから」が営まれるべき環境、それが必要だった。端的にいうならば、私は「大人」になろうとしていたのである。当時すでに私は22歳であったから、遅いといえばあまりに遅すぎたのだとしても、それが私の成長のペースというものだったのだろう。

 だから、内へ閉じこもり、読書に没頭した、というのも、それはいってみれば「さなぎ」の時期だったのだ。私はこれまでとは違う何者かとなるために、これまとは違う場所から、全く新しいものを内へ取り込み、そして自分なりにそれを咀嚼し、吸収し、我がものとすることを求め、為に、あの内向した日々を必要としたのだった。

 職場での新しい立場、ワンルームアパートという新しい生活の場、そして新しいオートバイ。きっと、それは私なりのけじめだったのだと、今では思う。カタナは、遠くへ行くための乗り物だった。当時すでに「16年落ちの旧車」であったZ750には、私は違うものを求めた。それはもう「少年の旅の道連れ」ではなかった。

 だが結論からいってしまうならば、私はすんなりと「大人」になどなれなかったのである。私の迷走は、まだしばらく続くこととなった。



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