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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 6


 旧東海道、静岡市内 その1・江尻宿、草薙神社


 最近、あるサイトがお気に入りである。こちら。

旧街道地図 GpsCycling.net 
       
 Googleマップの上に、旧街道を重ねて表示してある、それだけといえばそれだけなのだが、それが面白いのである。こんなものを眺めていると、当然、実際に現地に行ってみたくなる。で、ある休日、妻は仕事、子供等は私の実家で預かってくれる、というので、これ好機とばかり、朝の9時半、愛車スーパーカブ110のエンジンをかけた。

 ただ、この暑い中、カブで長距離走行は辛そうである。そこで、先日走った蒲原宿から興津宿の続きである、江尻宿から走り始めてみることにした。これはつまり、自宅から最も近い区間、ということになる。

 


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 スタートはこのY字路。興津宿の回の、「もつカレーのかれんちゃん」が描いてある自動販売機から、西へ1kmほどのところ。ここまでは重なっていた現国道1号線と旧東海道が、ここから左右に分かれる。写真左へ伸びるのが国道1号、中央から奥へ伸びるのが旧東海道である。ここから、今回は、上記サイトを参考に、旧東海道にこだわって走っていこうと思う。




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 スタート地点にいきなり史跡。「ほそいの松原」跡。二代将軍徳川秀忠の命により、街道を行く人々が安んじて旅を続けられるよう、街道の両側に松を植えさせた、その内のひとつ、との由。ただその松並木、先の戦時に航空燃料の原料とするために伐採された、ともある。あの戦争は、文字通りの総力戦、消耗戦であった、ということだろう。ちなみに、いま一本だけ立っている松は、つい最近になって植えられたものらしい。




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 道の様子はこんな感じ。古い街並ではあるが、歴史的な古さはない。あっても昭和の雰囲気、ぐらいのものである。この道を真っすぐ、JR清水駅などを横目にさらに進むと、




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 いかにも「地方の寂れた商店街」然とした商店街に出る。その名も清水銀座商店街。東海道18番目の宿場町、江尻宿はこの辺りにあった。ただ、往時を偲ばせる建物等はない。




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 一応、江尻宿跡であることを示すこんな案内看板がある。それによると、江尻はどうやら徳川の街道整備以前、今川の時代から市として栄えていたらしいが、そうなるとなおさらに、古い時代のものが残されていないのは残念である。港町である清水は、戦中、米軍の本土爆撃の標的となり、かなりの被害があったというから、古い建物は焼けてしまったのかも知れない。




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 商店街を抜けたところの交差点を左折すると、巴川に掛かる稚児橋。




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 現在架かる橋自体は新しい。2001年完成、とある。だが最初にここに橋が架けられたのは、家康の街道整備のときである。慶長12年(1607年)、橋が完成し、最初それは地名から「江尻橋」と名付けられるはずだったが、渡り初めの儀式のとき、最初の老夫婦が渡ろうとしたまさにそのときに、突然川から童子があらわれて橋をのぼり、そのまま江尻方面に消えていったそうで、その出来事にちなんで「稚児橋」と改名された由、親柱の説明文にある。この童子というのは河童であった、という話もあることから、親柱の上には河童の像がある。




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 橋からの眺め。余談だが、『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこの生家はこの近所である。そして巴川は、劇中によく登場する川そのものだが、アニメをみている限り、実際とはかなり雰囲気が違うようではある。ま、どうでもよいことだが。

 旧江尻宿を抜けると、旧東海道は真っすぐに静岡市中心部方向へと伸びていく。しかしまあ、ただの裏通りみたいな道である。これといった史跡らしきものは相変わらず見当たらない。




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 金谷橋、という橋。これも、旧東海道時代からの橋、らしい。この付近の地名は、追分、という。街道と、清水湊へ続く「志ミづ道」との分かれ道(追分)が、この辺りにあったことから、この地名となった由、橋のたもとに説明書きがあった。一応、史跡、ということになろうか。




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 しばらく進むと、「追分踏切」。旧東海道と交差するのは、JR東海道線と、静岡鉄道。この踏切の先の地名は「平川地」という。この地名をグループ名にした、この街出身の兄弟ふたり組の歌手のおかげで、ちょっと有名になった街である。




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 さらに進めば、街道の右側に「有度第一小学校」。何を隠そう、私が2年生まで在籍した小学校である。私が入学する数年前にはもうすでに創立百周年を迎えていた、歴史のある小学校。写真奥の4階建ての校舎は、当時「新校舎」と呼ばれており、ピカピカだったが、かなり古くなったなあ。手前の3階建ての長い校舎は、逆に新しくなっている。建て替えたのか、外装を綺麗にしただけか。私がいた頃には、新校舎の向こうにはまだ木造校舎があった。

 この小学校の先で、旧東海道は4車線の大きな幹線路にしばらく合流してしまう。つまらないのでさっさと通過してしまおうかとも思ったが、それもまた味気ないので、ちょっと寄り道をする。JR東海道線、草薙駅の手前で、道を南へ逸れて山の方へ。




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 そこにあるのが、草薙神社である。祭神は日本武尊。創建は景行天皇五十三年、と伝えられるが、この景行天皇というのは日本武尊の父にあたる人なので、もう、神話時代の出来事、ということになる。以下、鳥居の脇にある「草薙神社由緒」より引用。

 
 景行天皇第二皇子の日本武尊が、東国の蝦夷が叛いたので、之を平定するため吾嬬国(あづまのくに)に行く途中、この地で逆賊が起り尊を殺そうとして原野に火を放った。
尊は佩用の剣を抜いて、
 「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ火を逆賊の方へなびかせ尊は無事に難をのがれた地を草薙という。
その後佩用されていた天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)を草薙の剣と名称を変更になり草薙神社に神剣として奉られる。
 今より一八六〇余年前である。


 
 失礼ながら、何だかちょっと文法的におかしい気がする部分もあるけれど、そのまま引用させていただきました。




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 日本武尊像。




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 御神木の楠。樹齢は千年を超えるという。




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 門を抜けて、




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 拝殿。歴史や由来、祭神のことを思うと、少々慎ましいというべきか。  




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 このでっかいロケット花火のようなものは、そのまま、でっかいロケット花火である。9月の大祭のときに、この「龍勢花火」を打ち上げる伝統行事があるのだ。この大きさであるからその迫力は大したものである——たぶん。実は、見に行ったことがないのです。一度見に行きたいものである。

 旧東海道に戻る。JR草薙駅の南あたりから、4車線の幹線路からはなれ、旧街道はまた裏通りへ。




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 御覧の通り、まるっきりの裏通り。このまましばらく西進、というところで、またしても長くなったので、次回へ続く。乞うご期待。

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