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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

私とオートバイ・その11 GSX1100S


 到達点 #5 (1992-1994年)


 1993年8月30日朝。小樽で北海道最後の夜を明かし、テントをたたんだ私は、カタナに跨がり、静岡への帰路についた。国道5号線を辿り、羊蹄山を横目に長万部へ抜け、大沼公園横を経て函館へ。フェリーで津軽海峡を渡り、そして再び、東北自動車道。青森インターに入ったのは、確か夜7時ぐらいだった、と思う。

 北日本を、記録的冷夏が襲ったこの年。結局気象庁からは梅雨明け宣言がなされないまま、8月末にはもう北国はまるきり秋になってしまった。私はあの夜通し走った東北道を忘れられない。往路の東北道も勿論印象深かったが、帰りの東北道の寒さは異常だった。

 気の遠くなるような距離。だがそれ以上に、あの寒さが、その夜に越え難い長さを、そして深さと厚みとを与えた。それは冬期ツーリングそのものだった。しかし装備は無論冬用ではない。北海道の寒さに驚いて、少々厚手の服を購入していたものの、そんなものではとても防ぎきれる寒さではなかった。

 走行風が、体力をどんどん奪っていくのがはっきりと自覚された。それは大袈裟でなく私の生存本能が生命の危機を覚える寒さだった。連続して100km以上はどうあっても走れなかった。また、100km/h以上のスピードではどうあっても走れなかった。指先はかじかみ、手足の関節は凍りついたようにこわばり、運転に支障が出るほどだった。

 真っ暗闇の高速道路。交通量は極端に少なく、当時まだスピードリミッターの装着義務のなかった大型トラックが、時折猛スピードで追い抜いていくばかり。毎日長距離を走るバイクツーリングを二十日以上も続け、長距離走行には、この道を北へむかった時よりも慣れているはずだった。しかし帰りの東北自動車道は、行きよりも何倍も長くなったように感じられた。そしてそれだけ、その夜が理不尽なほどに長く感じられた。その闇が、やがて夜明けを迎えるのだとは信じられなかった。

 速度はどんどん落ちていく。100km/hだった巡航速度はやがて90km/h、そして80km/hまで落ち込み、それに伴い、一度の走行距離も短くなって、まるでパーキングエリアがある度に止まっているような調子になる。タバコと、ホットコーヒー。おかげでトイレも近くなる。それでも、やはりラッシュアワーが始まるまでには、東京を抜けたかった。東北道を走り抜いて疲れきった身体で、渋滞する首都高速を走りたくはなかった。走る自信がなかった。

 しかし一晩の悪戦苦闘は、明けない夜はないこと、そして走り続けている限りはたどり着けないゴールもないこと、そんな当り前のことをあらためて教えてくれた。川口料金所、東北道の南の端に辿り着いたとき、時間は朝の5時頃だった。ぎりぎり、ラッシュアワーをさけられた。

 目覚めかけの首都高速が、前方に広がる日本一の大都会のなかに続いていく様を、待ちわびた朝日のなかに私は眺めた。危険に満ちた首都高が、この時ばかりはどこか優しくもの柔らかに感じられた。それは確かに、私を東名高速道路へと導いてくれる道だった。私が生まれ育った、私の日常生活がある街へと、一直線につながる、よく知った高速道路へ。それはまさしく、旅が終わったときだった。その先、東京より西には、ただ日常生活と、それを取り巻く当り前の場所があるばかりだったのだから。

 そう、あの北海道ツーリングが、私にとって象徴的なものだとするならば、あの東北自動車の夜間走行は、その象徴的な、いわば非日常の「夢のような」世界と、静岡での、日常的な、現実の世界とを、私のなかではっきりとわける境界線となった。あの夜がなかったならば、私はあるいは簡単には日常生活に戻れなかったのかも知れない。あの夜が、旅を終わらせてくれた。このことは、当時の私が思った以上に、重要な意味を持つことになるのだが、無論、それに気付けたのはずっと後のことである。

 25日間、約7000kmのツーリング。カタナは見事、トラブル無しで走りきってくれた。悪天候の多い、バイクにとってはなかなかタフな旅であったはずなのだが、81年に生産を開始して、ずっと造られてきた長寿モデルのカタナである。その間メーカーは、マイナーチェンジともいえないような、微調整に近い細かな手直しをずっと続けてきたはずであり、製品としての成熟度はかなりのレベルにあったはずだ。私が乗ったSL型は、111馬力の輸出用モデル、所謂「フルパワー仕様」のセンヒャクカタナとしては最終モデルである。私はいわば最も「オイシイ」カタナで、旅をすることができたという訳だ。

 カタナをロングツーリングに使用するというとについて、せっかくだからちょっと私なりに書いておきたいと思う。まずエンジンだが、発売当時、最高速度は約240km/hで世界最速といわれたハイスペックエンジンであるにもかかわらず、トルクフルで低回転からとても扱いやすく、また、意外にも非常に燃費の良いエンジンで、市街地走行でも1リッターあたり20km近く走ることも珍しくないほどであり、高速道路や、北海道の信号のない直線路などでは25km以上走ったこともあったぐらいで、これはとてもツーリングに向いていると思われる。

 また、あの特徴的なスタイルのシートだが、後ろの部分が長く真っ平らなので、リアキャリアなどがなくてもとても荷物が積みやすかった。これもツーリングバイクとしては、とても大切なことではないだろうか。積載が不安定では危険であるし、走行中は後ろの確認などできないので、荷物の積みつけについて、不安というか、自信をもって走れない、というのは、精神衛生上もよろしくないだろう。

 ただこのシート、表面が特殊な、固いスポンジのような材質であり、それが雨をたっぷり吸い込んでしまう、という欠点がある。雨天走行の翌日、漸く晴れたのに、雨を吸ったシートのおかげで私だけジーパンのお尻を濡らして走っていた、なんてことも一度や二度ではなかった。これはロングツーリングにおいては大きなマイナスポイントだろう。不快だし、ちょっと周囲に誤解も生みそうだし……。

 また、あの前傾したライディングポジションも、ツーリング向きとはいえない。カタナはもともと、何というかスペシャルな車両であり、スタンダードモデルではないのだから、これは仕方がないのかも知れない。しかしあの巨体を、セパレートハンドルとバックステップで扱うのは、スポーツ走行ならいいが、ツーリングユースではやはり厳しいものがある。私などは、例のゼファーでの転倒事故で痛めた腰が、酷いことになったこともしばしばだった。

 で、結論をいうと、特別にカタナに思い入れがある人、どうしてもカタナでなきゃ嫌だ、という人以外は、わざわざツーリング用にカタナを選ぶべきではないかな、というところである。無論、ハンドルをアップハンドルにしたり、ダウンステップをなんとか工夫して取り付ける、という手もあるが、まあ、そこまでしようという人には、私は何も言わない。バイクなどは所詮一人で乗るものなので、最終的には、自分の好きにするのが一番なのだから。

 静岡に帰ってきた私は、おかしな感覚にとらわれた。自分では、とてつもなく長い旅から帰ってきたような気がするのに、静岡での日常世界は、ほんのひと月足らずの時間しか過ぎておらず、無論何も変わらないまま、以前の通り在り、以前の通りに動いていた。その様子はまるで、何百年でもこのまま何の変化もせずにあり続けようとしているかのようだった。あの時の私はいわば、真逆の浦島太郎状態だった訳だ。竜宮城でとても長い時間をすごしたつもりだったのに、帰ってみれば地上ではほんのわずかな時間しか過ぎていなかった。

 だが時間というものは、アインシュタインを俟つまでもなく相対的なものである。日常世界の時間経過が如何様にあろうとも、若者が旅をし、そこである充実というか、充足、あるいは充溢を覚えつつ長い時間を過ごした、という事実に変わりはない。そしてそのような経験は、若者を変化させずにはいなかった。

 バイクに乗り始めて以来、私は、常に「外側」をむいていた。移動手段を手に入れたことで、行動範囲が一気に広がり、私はその新しい世界に魅了されていた。そしてさらなる広がりを求めた。北海道ツーリングが、その延長であり、その到達点であった。そしてさらには、バイクを通じて「世間」を知る、という意味でも、やはり外向きであったといえよう。二輪免許の取得には公的な手続きを知る必要があり、それはバイクの購入に際しても同じだった。また、バイクに乗るにはお金が必要だったから、バイトとはいえ働く必要があり、それはある企業の業務について具体的に知ることを意味し、同時にまたそこで人間関係というものの一端を知ることとなった。

 しかしその外向性が、北海道ツーリングから帰った途端に、一気に内向性へと向きを変えたのである。まるで、外界に求めるべきものはもう充分に得たのだとでも謂わんばかりに、私は内に閉じこもった。具体的には、自分でも呆れるほどに本を読み始めたのである。ただ、この辺りのことについて詳述するのは、ここでは場違いというものだろう(いや、「読書ブログ」としてはホントはこっちのほうが大切なのですが)。重要なのは、部屋に閉じこもり、自分の内側にばかり眼を向けるようになったことにより、オートバイへの興味が一気に薄れていった、ということである。

 当時、日常の足といってはカタナしかなく、ツーリング前にしていたバイトをまた始めた私は、その通勤のために毎日カタナに乗っていることに変わりはなかったのだが、以前のようにそれは「自分が本来あるべき場所」だとは感じられなくなった。ただの通勤手段に近くなった。バイクに乗る時間があるならば、1ページでも本を読んでいたかった。

 ただそのときの私は、それは単に「カタナに飽きた」ということだと思っていた。秋が過ぎ、冬を越え、春を迎える頃には、そろそろ、カタナの車検の期限が意識されてきた。何だか急に乗るのが楽しくなくなってしまったカタナ。北海道ツーリングという大役を勤め上げたこの愛車を、そろそろ引退させようかなどと、私は考え始めた。

 実際、何となく調子が悪くなり始めていたのも確かだった。シリンダーヘッドの異音はタペット調整の必要を訴えていたし、北海道で浴びた潮風のせいであちらこちらにサビが浮いてきていた。以前ならば躊躇なくエンジンは修理に出し、サビなどは必死に磨いたことだろうが、なんとなく、そんな気になれなかった。

 そんなときに、またしても私は、あるバイク屋さんの店先に1台のバイクを見出してしまったのである。


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