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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブのこと 1


県道396号線  その1・富士、蒲原


 静岡市でトラック運転手などを生業としている以上、国道一号線、というものを通らない日はない、といってしまってよいだろう。静岡市の北側には南アルプスを中心とする深い深い山々が連なっており、静岡市からどこか他所に出掛けようと思うならば、もう、西か東かに進む他はなく(南は海なので)、そしてその東進もしくは西進にも、選択できる道は実に限られている。西へ行くならば国道1号か150号の二択、東ならば国道1号一択、現実的にいってこれのみである。無論、観光目的でわざわざ山間や市街地を抜けようというならば、もう少し選択肢は増えるのではあるが。

 で、そのお世話になっている国道1号線であるが、その前身は、いうまでもなく東海道である。ただ、道というものは自然発生的に産まれるのが本来であり、その性格上、往来する人々の都合や地理的条件によって変化していくものだ。よって前身たる東海道自体、徳川幕府が、学校で習ったように五街道をきっちりと整備するまでは、どうやら歴史的には不断にその道筋を変えてきたようである。

 そしてまた明治以降も、人の往来が江戸時代よりも自由で活発になり、さらに時代がくだってモータリゼーションの波が日本にもやってきたりと、道を取り巻く環境の変化は続き、それに合わせて東海道も変化をやめなかった(このあたりの事情の一端を、このブログの過去記事でもみられます。おヒマでしたらどうぞ。『日々の出来事7・峠越え、あれこれ』)。やがて現在に至り、その変化が行き着いた所が、いまある国道一号線、という訳だ。上下線合わせて四車線、場所によっては六車線、多くの区間で高架道路化された、現在の国道一号線。最近は10トン車ばかりに乗っている私が通るのは、当然、この「国一」である。

 (余談だが、東京のあたりの方々は、国道一号線を略して「一国(いちこく)」と呼ぶようである。なぜだろう。そのまま縮めたならば「こくいち」にならないか。我々は「こくいち」と呼ぶ。ま、どうでもいい話だが。)

 トラックでの輸送は、無論、効率よく、一気に距離を稼ぐべきものなので、現代の国道一号は理想的な道路だといえる。しかしその分、実に単調で、つまらない道路だともいえる。特に夜間は周囲の景色など見えない訳で、そこを走ることは文字通りの「作業」そのものである。飽きる。まだ昼間は、高架道路の上を走る、大型トラックの高い運転席から周囲を眺めることもできるのだが、しかしそれもまた、ようは脇見運転なので、常に交通量の多い国一では危険なことである。

 そこで、たまには国一以外も走りたくなる、ということで、何だかワザとらしい前置きが長くなったが、先日納車したスーパーカブ110で、出掛けることにした。ツーリングコースに選んだのは、国道一号線と並走する県道396号線である。

 


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 富士川橋西交差点。地名としては、旧富士川町、現在は富士市、である。ここを出発地点として、西進、即ち自宅のある静岡市街地方面に向う。ツーリング、といっても、ここは自宅から自動車で国一を走れば1時間とかからない距離である。しかし、カブでゆっくり走るには良い距離、ではないだろうか。空の様子が夕方みたいだが、逆である。時間は大体朝5時頃、早朝である。休日は子供等の面倒をみなければならないので、この時間ぐらいしかバイクで遊べないという悲しい事情があるのだ。

 


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 まずはここ、「稲葉家住宅」。県道から、山の上に茅葺き屋根がみえたので、見当をつけて脇道に入り、住宅街のなかにみつける。実にわかりにくい所にあったが、こういうとき、小回りのきくカブは便利である。十八世紀前期の建物らしい、というから、江戸時代、吉宗が将軍だった頃か。

 


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 その「稲葉家住宅」からの眺め。JR東海道線に、ちょっとかわった電車がちょうど通りかかった。特急か何かか?鉄道については疎いので私には何だかわかりません。




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 県道に戻り、しばらく走ると、Y字の分かれ道。右が県道。この396号、地元では「旧国一」と呼ばれている。文字通り、もともとは国道一号線だった道である。現在の国道一号は、海沿いの高架の上を走っている。だがこの「旧国一」自体、さらに古い時代の道の、「新ルート」である可能性は充分ある。そしてこうしたY字に分かれる脇道が、旧道であることが多い。ということで、脇道のほうへ進む。




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 JR富士川駅前に出た。昔こちらが本道であったか否か、その本当の所はちゃんと調べてみなければわからないことだが、駅前を走っている、というのはその可能性を高める事実ではある。ま、先へ行こう。




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 富士市から、静岡市清水区に入る辺り。2006年頃までは、庵原郡蒲原町という地名であった。並走するJR東海道線を、今度は貨物列車が通る。いや、別に私は「撮り鉄」さんではないんですよ。




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 地図確認のため、停車。わかりにくいが、背後にみえるのがJR蒲原駅。ここを目印に、次の目的地「蒲原城址」をめざす。ふたつほど先の信号を右折、つまりまた山側にそれて、1kmほど上り坂を進むと、




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 駐車場。カブを停めて、歩く。




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 最初の内は、こんなに明るくて綺麗な道が、




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 直ぐに、暗く、狭い山道に。嫌な予感。




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 百合花に心なぐさめつつ、数百メートルの山道に息切れしつつ、山頂へ。




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 予感的中、この荒廃ぶり。城跡に神社、そしてその神社も荒れてしまったと、そんなところか。




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 駐車場付近にある説明文によると、室町前期に、今川氏が駿河守護として入国ののちに築城されたといわれる蒲原城は、特定の城主をもたず、戦乱の際に城番がおかれた、というから、城、というよりは、要塞というべきものであったようである。この歴史ある山城も、1590年、小田原攻めの際に徳川の軍勢が陣を張ったのを最後に、廃城となった、という。

 バイクにもどり、坂をくだって、城跡のある山の麓、東海道十五番目の宿場、蒲原宿のあったあたりへ。




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 これが、「旧東海道」である。県道から50メートルほど入った所を並走している。国道一号線の前身が東海道だ、といっても、その旧国道一号である県道396号でさえ、すでに東海道とは違うところを通っている、ということだ。冒頭に書いた通り、道は歴史的に変化していく、ということなのだろう。




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 国登録文化財である、「旧五十嵐歯科医院」。大正時代の洋館。




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 「志田家住宅主屋」。これも国登録文化財。「安政元年の大地震の直後に再建された」という、町家。


 

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 これは、文化財でも何でもない、普通の個人のお宅。こんな民家が、あちらこちらにみられる。




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 県道に戻る交差点。ここを目印にすると、旧東海道の宿場跡に行きやすい。

 蒲原はだいたいここまで。さらに県道396号を西進すれば、となりの由比に入る。そちらのことは、長くなったので、次回、ということで、乞う、ご期待。

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