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私とオートバイ・その2 ゼファー

 インフレーション #1 (1991年)


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 Kawasaki ZEPHYR(C3)
 1991年式
 空冷4サイクル直列四気筒398cc
 最高出力 46ps/11000rpm


 50ccのスクーターの最高速度は時速60km。原付免許を取得して、「原チャリ」に乗り始めた18歳の私であったが、初めてこの時速60kmに達したとき、私は恐ろしくてすぐにスロットルをゆるめ、ブレーキをかけてしまった。景色は信じ難い速さで後方へと流れ、向かい風は容赦なく私の体に襲いかかった。未経験の領域に初めて踏み込んだその恐怖に、私は耐えられなかった。

 自転車では経験できない速度である。無理もない話、といえばそうなのであるが、私が驚いたのは、その時速60kmに、自分がすぐに慣れてしまった、ということであった。

 無論それは、法律で定められた制限速度を30km/hもオーバーした、警官にみつかれば一発で免許停止30日を食らう「とんでもない速度」(あくまでも法的には)、ではあるのだが、実際には、原付で60km/hをキープできる道路ならば、周囲の自動車などはもっと速いスピードで平気な顔で走っている。そうした環境下で、スピード感にも身体や感覚が慣れてくると、もう、物足りなくなってしまう。若者の順応力というものは確かに大したものである。そしてその飽きっぽさも。

 高校卒業後、大学受験に失敗すべくして失敗した私は、数ヶ月間、浪人生をやった。しかしなんだか受験勉強というものがもう、バカバカしくってどうしようもなくなってしまい、勉強はすっぱりやめ、予備校もやめてしまった。で、夏には普通免許を取得、そしてバイトに明け暮れ、翌年の一月には、無事中型二輪免許(現在の普通二輪免許にあたる)を取得した。50ccのバイクでは満足できなくなった私の目標はただひとつ、もっと大きなオートバイを買うことであった。

 当時(即ち1991年)、地方都市で時給1000円もらえるアルバイト、というものは滅多になかった。あるとすれば、もう体力を滅茶苦茶に使う仕事と決まっていた。アルバイト情報誌で、そんな仕事を内容もよく見ずただ時給の欄だけを見て選び、しかも「お前いい加減に休みを取れ」と怒られるまで休みもせず、早出残業もなんのその、バイトのくせに月に30万円以上も稼いで正社員の人に呆れられたりもしながら働き、あっという間にバイク購入資金を用意してしまったのだから、これまた若さとは大したものである。目標を持った若者とはこれほどの力を発揮する。……その力が大学受験に向けられればよかったのだけれど。

 免許があり、資金もある。あとは、どんなバイクを買うのか、それが問題である。私が初めてのバイクを買おうとしてたこの頃、日本のオートバイ市場に、ある面白い出来事が起こっていた。

 80年代。バブル景気という頂点に向けて、日本全体がその歩みを速め、やがて猛然と駆け出すのに合わせるかのように、日本の市販オートバイも、爆発的な高性能化という時代を迎えた。80年代初頭にはすでに、車体の骨格であるフレームはスチール製からアルミ製へ、空冷式だったエンジンは液冷式に、という高性能化の萌芽はみられる。その具体的な道程についてここで詳述することはしないが、とにかく、より速く進化することが絶対であった。その結果、街を走る普通のオートバイが、限りなくレーシングマシンに近づいていくこととなった。その具体的な姿のひとつが、これである。


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 当時の「走り屋」を象徴するバイクのひとつ、ホンダNSR250R。いみじくも「レーサーレプリカ」と呼ばれたこうした高性能マシンに、私もまた高校生の頃から憧れていた。そして実際、さあいよいよバイクを選ぼうというときになっても、こういうバイクに乗ろうとしていたのである。しかし80年代も終わる頃に登場した一台のバイクが、それまでの時代の流れを一気に変化させ、そして、私もまた、その時代の変化に見事に巻き込まれたのだった。

 カワサキ・ゼファーというバイク。記事冒頭のゼファーの写真と、NSRの写真を見比べていただければ、その違いは一目瞭然であろう。ほとんど20年もタイムスリップしたかのような、このオーソドックスな「1970年代スタイル」のバイクを、カワサキというメーカーがどうして売り出そうと考えたのか、それはわからない。とにかく、1989年のこのバイクの登場が、それまでの時代の流れを一変させてしまった。

 各メーカー各モデルが、毎年のようにモデルチェンジを繰り返し、高性能化の一途を辿っていた「レーサーレプリカブーム」といわれた時代に、「先祖帰り」という、全く反対の方向を向いたこのバイク。発売以後、徐々に人気を集め、やがてメーカーの予想を超えた大人気モデルとなった。そしてこのゼファーの登場とその大ブームをきっかけに、レーサーレプリカブームは終わり、新たに、ゼファーのようなオーソドックススタイルの所謂「ネイキッドバイク」と呼ばれるモデル群が一時代を築くこととなったのである。

 ただ私がバイクを買おうとしていた1991年の春には、未だ他メーカーがレプリカバイク一辺倒だったこともあり、一人勝ちのゼファーの人気は頂点を迎えて、生産が受注に追いつかず、発注から納車まで、1ヶ月2ヶ月待たされることは当り前、3ヶ月待ちも珍しくはない、という状況だった。

 だから、ゼファーをバイク屋さんの店頭でみかけることなどあり得ない、はずだった。しかし、さてどんなバイクにしようか、手頃な中古車などあればいいな、などとバイク屋まわりを始めた私は、あるお店で、「即納OK!」と書かれて店頭展示されたゼファーにばったりと出会ってしまったのである。そして、一目惚れしてしまった。

 レーサーレプリカ・バイクに乗りたいと何年も憧れ続け、ついにそれを手に入れようというところまできていた私が、なぜその目的到達の直前に心変わりしてしまったのだろうか。それはわからないけれど、あちこちのバイク屋で、新車中古車様々なバイクを物色しても、どれもイマイチぴんとこなかった私であったのに、このゼファーをみたとき、実際にこのバイクにまたがって走っている自分の姿がまざまざとイメージできたのは確かであった。

 即決、即納。1991年5月の末に、ゼファーは私のものとなった。


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