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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

私とオートバイ・序、その1 ホンダDJ-1


 

 今現在の自分を、自己紹介しようというのならば、これは簡単な話である。今の私の境遇を言葉で説明するためには、多く見積もってもまあ数行の箇条書程度で充分だ。単純明快なる我が日常、である。

 しかし例えば、自分の半生をちょっと顧みてみようか、ということになると、さて、まずはどこに眼を向けてみようかと、迷うぐらいには四十年という月日にはいろいろと詰め込まれているようだ。私のつまらない半生においても、である。

 誰もがそうであるように、この社会において様々な「役割」を、私も担ってきた。学生であったり、とある会社のアルバイトであったり、あるいはまた、ある家庭の次男坊であったり、ある野球チームの一員であったり。そして、その「役割」を担う主体であるところの私自身も、様々であった。ある漫画に夢中になる少年であったり、朝寝坊の怠け者であったり、生まれたばかりの我が子の小ささに戦く父親であったり。

 そうしたなかでも、オートバイとの関わりが、私の半生を特徴づけていることはやはり否定できない。殊にオートバイに関していうならば、三度の長期北海道ツーリングが、私にとってのなかなか大きなアクセントになっている。その旅については、過去にこのブログでも、様々なテーマに則って幾つか記事を書いてみたが、今度は、オートバイというものに焦点をあてて、書いてみようと思う。

 私は今まで、9台のバイクを乗り継いできた。セカンドバイクを入れると、その数はもっと増える。今現在は、残念ながらバイクを所有していないし、これまでも、ずっと乗り続けてきた訳ではないことを考え合わせると、数としてはなかなか多い方ではないかと思う。その一台一台についての、私の思い出を書いてみることにした。

 ただ、このブログは本来読書ブログであり、多分、ご訪問下さる方々は、オートバイなどにはあまり興味を示されないのではないかと想像する。なので、あまりバイクについての専門的なことよりも、それぞれのバイクで私が経験したことを、主にしてすすめていこうと思っている。まあ、とりあえずひとつ、いってみよう。

  
   *     *     *     *


   最初の翼 (1990年)


 HONDA DJ-1
 1985年式
 空冷2サイクル単気筒49cc
 最高出力 5.2馬力

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 次男坊として生まれたからには、もう、「兄貴のお古」というものとは嫌でも上手に付き合って生きていくしかない。

 私自身、ふたりの子供の親になってみて、我が子は女の子と男の子、ではあるのだけれど、この「お古」という制度の優秀さについては疑問の余地もないほどに納得させられた。なにしろ、子供なんてものは、本当に気をつけていないと親でも気付かない内に、どんどん大きくなってしまうので、衣類にしろ、三輪車や自転車の類いにしろ、あっというまに小さくて使えなくなってしまい、最初から子供ふたりに順番に使わせるつもりで購入するぐらいの気でいないと、無駄になって仕方がないのである。

 ということで、幼少時より兄のお古をあてがわれ続け、私としても別段それを不服とも思わず当然のこととして受け入れながら育てられてきたのであるが、思えば、最後にあてがわれた「お古」が、50ccのスクーターであった。

 私が高校を卒業し、原付免許を取得したのが1990年。それは、大学進学時に親にスクーターを買ってもらった兄が、自分でアルバイトをして125ccのオフロードバイクを購入したのと同時であった。乗り手のいなくなったスクーターは自然、私の元へ。これが、私の最初の愛車、ホンダDJ-1であった。

 発売当初、即ち1985年当時には、ホンダの最新モデルとして大々的に宣伝されていたこのDJ-1。エッジのきいたデザインがとてもスポーティでかっこ良くみえたものだったが、私が乗り始めた1990年には、周囲の友人たちの乗る最新モデルはさらにかっこ良く進化し、我が愛車の古さは歴然としていた。

 しかも、兄のこのバイクの使用方法といったらなかなか過酷で、普段は東京の大学へ通うために東京で乗り、静岡の実家に帰ってくる際には、静岡でも乗りたいからと決まってバイクで帰ってきた。それ以外にも勿論滅多矢鱈と走り回っており、おかげさまで私が譲り受けた時点でのその総走行距離は、50ccバイクとしては常識外れなものであった。

 つまりそれは、単に5年落ちの中古車というに留まらないようなシロモノであった訳だが、だからといって私が、そのバイクに嫌々ながら仕方なく乗っていたのかというと、そんなことはまるでなかった。次男坊として、「お古」に抵抗感をもたないように育てられたから、という訳ではない(それもあるかもしれないが)。そんなことは気にならないほどに、とにかく、この小さなエンジンで走る乗り物に乗るのが、楽しくてしょうがなかったのだ。

 それまでの私の移動手段は、自転車であった。その自転車で、体力と時間をたっぷりと使って行っていた場所に、50ccのスクーターは、あっという間に私を連れて行ってくれた。さらに、自転車では泊まりがけでなければとても行けないような遠くへも。そして、そのスピード。俊敏な2サイクルエンジンは、速度リミッターが効く60km/hまでストレスなく加速した。自転車ではとうてい不可能な高速移動を、自転車と大して変わらない姿の小さなバイクが可能にしてくれたのである。

 この「身軽さ」。これこそが、若者をあのエンジン付きの二輪車に夢中にさせる最大の魅力なのではないかと、私は思っている。若者とは、性急で、即物的なものである。若者は自らの欲求が、すぐに、具体的に満たされることを欲する。そうした若者の直情性というか、気の短さに、バイクの俊敏さはぴったりハマるのである。

 それはつまり、大人になることを欲する若者が、自らの力を超えて行動することができる手段を手に入れる、ということを意味する。若者は、自らの力が一瞬にして増大したかのように錯覚する。いや、実際にその力が増したのだ、とみることもできるのかも知れない。事実、彼は時速60キロで移動し、わずかな時間ではるか遠くに到達するのだから、当の本人としたなら、楽しくないはずはないだろう。
 
 ただ、それはあくまでも「バイクの性能」であり、本人が自力で走っている訳ではないこともまた厳然たる事実だ。バイクは「彼のもの」かもしれないが、バイクは「彼自身」ではない。このことを忘れると、痛い目をみることになる。大概の場合、それは転倒事故、という形で結果する。

 私も、よく転んだ。決まって、調子に乗ったとき、自分の運転技術を過信したときに、転んだ。大怪我をしたり、バイクが走行不能なほどに壊れたりしなかったことが、奇跡に近いような転び方をしたこともあった。古くはあっても、ちゃんと新車当時の「形」だけは保った状態で兄から譲り受けたバイクだったが、それから一年が過ぎた頃には、外装部品などにいろいろと足りないものが増えていき、本来見えないはずのエンジンなども、ほとんど丸見えの状態となった。

 それでも懲りることなく、私は走り回った。バイトへ行くにも、遊びに行くにも、どこへ行くにもDJ-1であった。そして懲りるどころか、さらに大きく、速いバイクに乗ることを欲した。初めてのバイクであったこのDJ-1に、自分では何年も乗っていた気がするが、実際に乗っていたのは一年と数ヶ月、というところだった。そしてまた、あちこち行ったといっても、所詮は50cc、考えてみると、東西の隣の市より遠くへ出掛けたことは、数えるほどしかなかった。やはり最初のバイクということで、 それだけ印象深かったということなのだろう。

 私のオートバイライフは、ここから始まった。かつて、バイク雑誌などを眺めながら、あれに乗りたい、あれがカッコイイなどと、空想し妄想するばかりだったものが、ここから、現実となっていった訳である。



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